第四十三話「地の下を流れるもの」
朝、誰よりも早く起きた。
宿の外に出て、カルオの町の石畳に立った。
まだ暗い。東の空だけが、わずかに白くなっている。荷馬車も、行商人も、まだ動いていない。
足の裏に、地声が来ていた。
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押さない。整理しない。全部来るままにしておく。
ガロに教わったことを、そのままやる。
石畳の下に土がある。土の下に、砂と石の層。その下に——水が動いている。
昨日も感じた。カルオの町の地下に、水の道が網目のように走っている。井戸を掘れば出てくるような、ごく普通の地下水だ。
今日は、もう少し遠くまで耳を向けてみた。
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方向を選ぶ必要はなかった。
「必要な方向が自然に浮き上がる」とガロは言っていた。
浮き上がってきたのは——北だった。
沼の方向だ。
蓮は、北に向かって少し歩いた。石畳が続く。宿から三十歩、五十歩。
地下の水が、変わってきた。
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最初は気のせいかと思った。
でも、歩くほどに確かになった。
水の流れが、逆だ。
カルオの町の地下水は、南向きに流れていた。上流から来て、川の方向へ抜けていく。それが普通だと思っていた。
でも、沼の方向に向かって歩くと——水が沼の方から来ていた。
沼から町の方向へ、地面の下を流れている。
*——これは、なんだ。*
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蓮は立ち止まった。
足の裏から来るものに、そのまま耳を傾けた。
町の地下を走る水の道が、二種類ある。
南向きに流れる、普通の地下水。川の方向へ抜けていく、動きが読める水。
もう一方は——沼から来ている。静かだ。流れているというより、滲みている。ゆっくり、ゆっくり、地面の中を広がっていく。
川の水と、沼の水が、地面の下で混ざり合っている。
沼は、地面の上だけにあるのではない。
地の下を通じて、町まで来ている。
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「早い」とノエルが言った。
食堂で朝食を食べていたら、ノエルが降りてきた。
「もう外に行ってたの?」
「少し、歩いてみた」
「何か分かった?」
蓮は手帳を開いた。
「沼の水が、地面の下を通って、この町まで来ている」
ノエルが動きを止めた。
「……どういうこと」
「地下を流れている。地面の上の沼だけではなく、地の下からも広がっている」
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「それって——」
ノエルはゆっくり座った。
「この町にいるだけで、沼の影響を受けるかもしれない、ということ?」
「分からない。地下水が影響するかどうかは、まだ分からない。でも、つながっている」
「オランさんは、沼の近くで倒れた。でも——そうじゃない人も、記憶を失ってるんじゃない?」
蓮は少し考えた。
「確認していない。ギルドで聞いてみる必要がある」
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ギルドに行った。
昨日話をした年配の職員を捕まえた。
「一つ、聞かせてください。沼の近くに行ったわけではなく、この町に住んでいるだけで記憶に問題が出た、という話を聞いたことはありますか」
職員は少し間を置いた。
「……ある、と言えばある」
「どういうケースですか」
「はっきりとした話じゃない。何年もここに住んでいる人間が、昔のことを思い出しにくくなることがある。年のせいだと言えばそれで終わる話だ。でも——」
「でも?」
職員は声を少し落とした。
「同じ年頃でも、よく覚えている人間と、そうでない人間がいる。沼が近くになってから、その差が大きくなった気がする、と言っている古老がいた。俺には確かめる手段がない」
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宿に戻って、ノエルに伝えた。
ノエルはしばらく黙った。
「じゃあ——この町全体が、もう影響を受けているかもしれない」
「可能性はある」
「でも、誰も気づいていない。少しずつだから」
「そういうことだと思う」
スミが、部屋の隅で伏せていた。窓の方を向いていた。
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「蓮」とノエルが言った。
「ん」
「地声が使えるなら——地下の水がどこまで広がっているか、もっと調べられる?」
「調べられると思う。ただ、町全体を歩き回る必要がある。半日くらいかかるかもしれない」
「やる?」
蓮は少し考えた。
「やる。ただ、俺一人でやると地図が曖昧になる。方向と距離を記録する手が必要だ」
ノエルが立ち上がった。
「あたしが手帳に書く。蓮が感じた方向と強さを言って。あたしが書く」
「歩き回ることになる。半日、付き合えるか」
「あたし、歩くの得意よ」
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午前中いっぱい、カルオの町を歩いた。
蓮が地声に耳を傾けながら歩く。沼の水が感じられる場所、感じられない場所。強い場所、薄い場所。
ノエルがその都度、手帳に書いた。
北の端では、沼の水が濃く感じられた。石畳の下から、しっかりと来ていた。
南の端では、ほとんど感じられなかった。町の端を越えると、ほぼ消えた。
東と西は——途中まであって、ある場所で急に薄くなった。
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「線がある」とノエルが言った。
手帳の地図を見ながら。
「沼の水が来ている場所と、来ていない場所の、境目がある」
「ああ」
「なぜ、ここで止まるの。水なら、もっと広がりそうなのに」
蓮はその場に膝をついた。
地声に耳を傾ける。境目の、ちょうど端のところ。
何かがある。水が止まっているのではなく——何かに当たって、それ以上進めない感触がある。
「地面の中に、何かある。水を通さない何かが、この辺りを囲んでいる」
「囲んでいる?」
「意図して、ではないかもしれない。でも、結果として境目を作っている」
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ノエルが手帳を見た。
「ラデンの廃坑で見た白い土——あれじゃないの」
蓮は顔を上げた。
「白い土が、地面の中に埋まっている。それが水を通さない壁になっている」
「可能性はある」
「じゃあ——誰かが、この町の地下に白い土を埋めた?」
「あるいは、もともとそこにあった」
ノエルは少し間を置いた。
「どっちにしても、誰かが知っていたかもしれない。この町がこうなる前から」
スミが、足元の地面を一度だけ、前脚で叩いた。
(第四十三話 完)
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