↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
継承士、はじめました 〜なぜそう生きたか分かった時だけ、俺は強くなる〜  作者: 柿崎 太一
第二部「旅路」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

36/46

第三十六話「あの歌には、言葉があった」

---


ラデンを出る日の朝、蓮はもう一度ジルの畑に寄った。


老人は鍬を持って土を耕していた。蓮の姿を見ると、手を止めた。


「今日、出るのか」


「はい。お世話になりました」


「礼を言うほどのことはしていないが」


ジルは鍬を地面に刺して、蓮を見た。


「もう一つ、聞きたいことがあって来ました」


「なんだ」


「坑道の奥の区画で使われていた作業歌のことです。昨日、市場の老婆から聞きました。あの区画だけ、使う歌が違ったと」


ジルの表情が、少し変わった。


「……あの婆さんも、覚えていたか」


---


老人は、しばらく空を見ていた。


「覚えている、はずだった」


「はずだった?」


「俺も今、思い出そうとしたんだが……出てこない。変な話だろ。三十年歌っていたのに」


蓮は何も言わなかった。


「節回しがあったはずだ。坑道の中で声を合わせて、掘るリズムを作る。あの区画だけ、他と違う歌を使っていた。俺はそれを知っていたはずなのに——」


ジルは口の中で何かを試すように、小さく声を出した。


少し間があった。


「これじゃない。これは別の区画の歌だ」


また少し間があった。


「……分からなくなった。今まで、ずっと覚えていると思っていた」


---


老婆と、同じだった。


話そうとして、初めて思い出せないと気づく。


蓮は手帳にそれを書いた。


「一つだけ、教えてもらえますか。節回しや音は出てこなくても、あの歌がどんな歌だったか、覚えていることはありますか」


ジルはしばらく考えた。


「……リズムのためだけじゃなかった」


「どういうことですか」


「作業歌は普通、掘るペースを合わせるためのものだ。でもあの歌には、言葉があった。ちゃんとした、意味のある言葉が」


「何を言う歌だったか、覚えていますか」


「それが……内容は出てこない。でも、歌の意味については教わった記憶がある。先輩から、あの区画に入る前に言われたんだ」


「何と」


ジルは目を細めた。


「地面が、聞いている——そういう歌だと言っていた」


---


蓮は、ペンを止めた。


地面が、聞いている。


「その言葉の意味を、説明してもらいましたか」


「いや。そういうもんだと思って、特に気にしなかった。若かったからな。仕事に慣れることで頭がいっぱいだった」


「今は、どう思いますか。その言葉」


ジルは少し考えてから、答えた。


「……分からん。でも、あの区画で働いていた時、確かに何かが違う感じがしていた。土の質が違うのか、空気が違うのか。怖い、というわけじゃない。ただ、静かだった。他の区画より、ずっと静かだった」


「静かだった」


「ああ。音も少なかったし……なんというか、耳を澄ましたくなる場所だった。だから、あの歌が合っていたのかもしれない。地面が聞いているなら、こちらも静かにしなければならない、みたいな」


---


ジルと別れて、蓮はノエルとスミが待つ宿に戻った。


荷物はもうまとめてあった。


「話せた?」とノエルが言った。


「ああ」


「何か分かった?」


「二つ」


蓮は歩きながら言った。


「ジルさんも、あの歌を覚えていると思っていたが、思い出そうとしたら出てこなかった。老婆と同じだ」


「……やっぱり」


「もう一つは、あの歌に言葉があったということ。地面が聞いている、という意味の歌だったと」


ノエルは少し沈黙してから言った。「地面が、聞いている」


「ああ」


「それ、あんたが壁に手を当てた時にやっていたことと、同じじゃない?」


蓮は答えなかった。


スミが、二人より少し先を歩いた。


---


町の出口を抜けて、道に出た。


次の目的地はカルオ。ここから二日ほどの距離にある、川沿いの交易町だ。


ラデンでの収穫を手帳に書き留めながら歩いた。


*白い土——ラデン廃坑の奥にも存在。シリウス農村と同一現象の可能性。*

*忘却現象——ジルと市場の老婆、二人が独立して同じ状態にあった。「覚えていた」が「思い出そうとして気づけなかった」。*

*作業歌——あの区画だけ使われた言葉のある歌。意味は「地面が聞いている」。歌の内容は失われた。*


三つが、同じ方向を向いている。


---


昼を過ぎた頃、スミが急に止まった。


蓮も足を止めた。


危険察知が、じわりと反応している。


道の右側——低木が続く茂みの方向だった。


「来る」と蓮は言った。


「どこ」


「右。二つ、たぶん」


ノエルが短剣を抜いた。その動きに、一切の迷いがなかった。


茂みが揺れた。


出てきたのは、犬ほどの大きさの魔物だった。二頭。体は茶色で、口が大きく裂けている。ただの獣よりも動きが速い。


「分担する」とノエルが言った。「あたしが左を引きつける。右はあんた」


「ああ」


---


ノエルが加速した。


スピードが上がる、というより、景色が滑るように見えた。一頭の前に回り込み、短剣で牽制する。魔物がそちらに向く。


その間に蓮は右の一頭に土弾を放った。


当たった。魔物がよろめく。


もう一発。今度は前脚に。動きが鈍る。


スミが飛び込んで、喉元を押さえた。


---


左では、ノエルが魔物を翻弄していた。


速い。魔物が向きを変えるたびにもう別の位置にいる。足を払い、体当たりで崩し、短剣を入れる。一対一なら、ノエルは圧倒的に速かった。


「終わった」とノエルが言った。


蓮も一頭を仕留めていた。


スミが鼻を鳴らした。


---


「怪我は」と蓮は聞いた。


「ない。あんたは?」


「ない」


ノエルは魔物の死骸を一瞥して、「素材になるかな」と言った。


「一応、回収する」


二人で必要な部分を処理していると、ノエルが言った。


「あんた、さっき先に気づいてたでしょ。茂みが動く前に」


「危険察知が反応した」


「でも止まるの、ちょっと早すぎた気がしたけど」


蓮は少し考えた。


「歩いている時、足の裏から地面の振動を受け取っていた。たぶん」


「……いつからそんなことしてたの」


「意識してたわけじゃないが、昨夜練習してたことが、少し残ってたのかもしれない」


ノエルは何も言わなかった。ただ、少し目を細めた。


---


道を再開した。


スミが先を歩き、ノエルがその横、蓮が少し後ろを歩いた。


*受け取る方向——地面の振動が、足の裏を通じて伝わっていた可能性。意識的に使えるかどうかは、まだ分からない。*


手帳に書きながら、蓮は顔を上げた。


道の先に、森が見えた。


ラデンで感じた「弾かれた向こう」——その意味を、次の町でも探し続ける。


(第三十六話 完)

ここまで読んでいただきありがとうございます。

面白いと思っていただけたなら、ブックマークや★評価をいただけると

次の更新の励みになります。

引き続き、よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。