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継承士、はじめました 〜なぜそう生きたか分かった時だけ、俺は強くなる〜  作者: 柿崎 太一


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第三十五話「ラデンに残る話」


---


ギルドに坑道の報告書を出した翌日、蓮はラデンの町をもう少し歩いてみることにした。


「まだいるの?」とノエルが言った。


「次に向かう前に、この町で聞いておきたいことがある」


「何を」


「坑道の奥に白い土があることを、この町の古い人なら知っているかもしれない。誰かが昔語りとして話しているかもしれない」


「あんた、どこでもそれをやるのね」


「職業柄だ」


ノエルは、少し間を置いてから言った。「あたしも行く。一人で歩き回ると、また拾いすぎるから」


「拾いすぎる?」


「いろんな人の話を聞きすぎて、疲れるでしょ。あたしがいた方が、切り上げやすいじゃない」


それは正直なようで、少し違う気もした。が、蓮は何も言わなかった。


---


市場の片隅で、干し果物を売っている老婆に話しかけた。


八十近いだろう、背は小さいが目が鋭かった。


「北の坑道のことをご存知ですか。昔のことで構わないんですが」


老婆は、蓮をじっと見てから言った。


「ギルドの仕事の人かい」


「調査に来ていました。今日は仕事ではなく、個人的に話を聞きたくて」


「個人的に、か」


老婆はしばらく黙ってから、干し果物を一つ蓮に渡した。


「食べながら聞きな」


---


老婆の話は、ゆっくりと始まった。


「あの坑道が掘られたのは、わしの親父の代だ。採掘が始まった頃は、町全体が活気づいてた。岩から出る素材が売れていたから」


「特に良い素材が出ていた場所があったと聞きました」


「奥の方の、ある区画だね。そこだけ特別だったと言っていた。何がどう特別なのか、素人のわしには分からなかったけど」


「その区画のことで、何か話が残っていますか」


老婆は、少し目を細めた。


「話、というより……歌が残っていた」


「歌?」


「坑道の中で歌う作業歌があった。節回しにリズムをつけて、掘るペースを合わせる。あの区画だけ、使う歌が違ったと聞いている」


「どんな歌だったか、覚えていますか」


「……覚えていない。何度か聞いたことがあったはずだが、思い出そうとすると出てこない。変なことだよ、声の感じは覚えているのに、音が出てこない」


声の感じは覚えている。音が出てこない。


蓮は、ゆっくりと手帳に書き留めた。


「その歌を歌える人が、まだいますか」


「いない。みんな、いなくなった。廃坑になって、他の町に行ったか、歳を取ったか。歌を引き継いだ人間がいなかったんだろう」


「引き継がれなかったから、消えた」


「そういうことになるね。でも不思議なのは——消えた歌のことを、わしは覚えていると思っていたんだよ。それが、今日あんたに話そうとして、初めて、思い出せないと分かった」


---


老婆と別れてから、ノエルが静かに言った。


「今日一番、怖い話だった」


「ああ」


「思い出せないと、話そうとして初めて気づく。ずっと覚えていると思ってたのに」


「そういうことが、起きている」


「消え方が、静かすぎる」


「気づかれないように消えていく。だから、誰も止められない」


スミが、二人の間を歩きながら、尾をゆっくり振った。


---


宿に戻って、蓮は今日の分を書き留めた。


*ラデン・市場の老婆の話。坑道の奥の区画で使われていた「特別な歌」が存在した。声の感じは記憶にあるが、音が出てこない。引き継ぐ人間がいなかったため消えた。本人は「覚えていた」と思っていたが、話そうとして初めて「思い出せない」と気づいた。*


消えていく、ということは、静かに進む。


白い土が広がるように、じわじわと。


それに気づくのは、誰かが話しかけた時だ。


聴こうとする人間がいなければ、消えていることに気づかないまま、消えていく。


*ならば、聴く人間が必要だ。*


---


ノエルは早めに寝た。


スミは窓際で丸くなって、静かに息をしている。


蓮は、部屋の床に手を当てた。


坑道でやったことを、もう一度試してみたかった。


白い区画に触れた時、一瞬だけ、向こうから何かが来た。弾いてくるものだと思っていたのに、押さずにいたら、逆に向こうが動いた。


あれは偶然だったのか。それとも——


蓮は目を閉じた。


押し出さない。受け取る方向で。


土の粒々を手のひらで感じるように、意識を薄く広げる。坑道の入り口で坑道内の様子が「聞こえた」時のやり方を思い出す。あの時は意識せずにやっていたが、今はもう少し丁寧にやってみる。


……何もない。


やはり駄目か、と思ったとき。


なにかが、来た。


微かな振動だった。建物の重さ、道の石畳、遠くの馬の蹄の音。それらが土を通じて、手のひらにうっすらと伝わってくる感触。


今まで感じたことのない感覚だった。


押し出せば、跳ね返りしか来ない。


受け取るだけにしていたら、土の方が話しかけてくる。


蓮は静かに手を離した。


長くは続かなかった。数秒のことだ。でも確かに、あった。


*広がる、伝わる方向。受け取ること。*


手帳に短く書いて、ランタンを消した。


---


次の日、ラデンを出る前にもう一つやることがあった。


ジルと、もう一度話したかった。


あの歌を、ジルは知っているか。そして、知っていたなら——今も、覚えているか。


(第三十五話 完)

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