第二十九話「あなたが覚えていれば、消えない」
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調査記録をまとめながら、蓮はあの老女のことを思い出した。
第十話で、井戸端で偶然話しかけてきた人だ。
大昔にこの土地で「あまりに多くの人が一度にいなくなった」という言い伝えを教えてくれた。
あれから、まだ話を聞き切れていない部分があった気がしていた。
調査の一環として、訪ねてみることにした。
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老女は、家の前で日向ぼっこをしていた。
顔を見て、すぐに蓮のことを認識してくれた。
「また来てくれたのかい。あの時の若い人だね」
「はい。また話を聞かせてもらえますか。今度は、ちゃんと書き取らせてほしいんです」
「書き取る?」
「俺の仕事です。人の話を聞いて、書き残すのが」
老女は、少し嬉しそうに、それからわずかに寂しそうな顔をして、言った。
「……実は、来てくれてよかった。最近、あの話をうまく言葉にできなくなってきていて」
「どういうことですか」
「話そうとすると、途中で言葉が出てこなくなるんだよ。前は、すらすら出てきたのに。老いのせいかとも思うんだけど……何か、違う気がして」
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蓮は、手帳と炭筆を取り出した。
老女が語り始めると、最初はやはり言葉が途切れる場面があった。
それでも、蓮が「その続きは、どんな話でしたか」と静かに問いかけると、少しずつ言葉が戻ってきた。
聞き書きの仕事で、何百回も繰り返してきたやりとりだった。
相手が話せなくなったのではなく、引き出し方が必要になっただけだ。
蓮の問いかけに応じるうちに、老女の声は少しずつ力を取り戻していった。
聞き手がいることで、話せる言葉が増えていく。
そういうことが、確かにある。
老女の言葉は、少しずつ、だが確かに出てきた。
「……昔、この土地に何かがあった。それが何だったか、誰も正確には覚えていない。ただ、忘れてはいけないということだけが、残っている」
「その何か、というのは」
「多くの人が消えた。物だけじゃなくて、その人たちが持っていたもの……話していたこと、やっていたこと、そういうものまで、全部一緒に消えたって」
「物語が、消えた」
「そう。その言い方の方が、合ってるかもしれないね」
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書き取りながら、蓮は老女の言葉の中にある断片に、少しずつ気づき始めていた。
「消えた場所には、今も何も育たない」
白い畑。
「地の下に、かつて誰かが残したものがある」
地下水路の入り口。
「それを読める者は、もうほとんどいない」
覚書の文字。
全てが、老女の語る言い伝えの中に、断片として埋まっていた。
この人は、ずっとそれを語り続けていた。
聞く者がいなくても、形が残っている間は、語り続けていた。
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一通り書き取り終えた後、老女はしばらく黙っていた。
それから、静かに言った。
「あなたが覚えていれば、消えなくて済む。そういうものだと、うちの親は言っていた」
「覚えていれば」
「書き残せば、もっといい。でも、書いたものも、いつか消えることがある。誰かの頭の中に入れば、その人がいる間は残る」
「それで……あなたは、ずっとこの話を、誰かに語り続けてきた」
「そうだよ。聞く人が少なくなっても、形が残っている間は、語り続けようと思ってきた。だから、あなたみたいに、本当に聞きたいと思って聞いてくれる人が来ると、嬉しい」
蓮は、ペンを止めた。
この人が言っていることは、記憶の話ではない。
物語の話だ。
物語は、誰かが語り、誰かが聞き、誰かが次の誰かに伝えることで、生き続ける。
誰も語らなくなった時、物語は消える。
消えた物語は、戻ってこない。
そして、今この世界で起きていることは、その「消えていく」速度が、急に上がっているのかもしれなかった。
「また来ます。もっと聞かせてください」
老女は、今度は本当に嬉しそうに、頷いた。
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帰り道、ノエルが言った。
「また来るって、言ったね」
「ああ」
「継ぎ続けることが継承って、言ってたこととつながる?」
蓮は、少し間を置いてから答えた。
「もしかしたら……この世界に来て、俺がずっとやってきたことは、聞き書きと変わらないのかもしれない。理解して、受け取って、繋いでいく。ギフットの名前が継承なのは、偶然じゃない気がしてきた」
「その話、誰かが意図してたってこと?」
「分からない。ただ、そういう形になっていた、ということは確かだと思う」
スミが、二人の前を歩きながら、ゆったりと尾を振っていた。
(第二十九話 完)
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