第二十八話「忘れている村」
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ギルドマスターから最初の調査先として告げられたのは、南の方角にある小さな村だった。
「高齢者の方々が、自分の名前や家族の顔を思い出せなくなっているという話が来ています。認知の問題かと思っていたんですが、症状が出ている方の数が、ここ数週間で急に増えた」
「若い人には、影響が出ていますか」
「今のところ、高齢者が中心ですが……最近、若い方からも、妙に物忘れが増えたという話が聞こえ始めているようです」
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半日かけて村に着くと、静かな集落だった。
田畑があり、家が並んでいる。見た目には、普通の村と変わらない。
ただ、村の人たちの様子が、どこかぼんやりとしていた。
案内してくれた村の世話役の女性が、困り顔で言った。
「おじいさんやおばあさんが、急に……昨日まで普通に話していたのに、翌朝には、自分の家族の顔が分からないって言い出したり」
「一番ひどい状態の方に、会うことはできますか」
世話役に連れていかれた家で、一人の老人に会った。
老人は、穏やかな顔をしていたが、会話の途中で何度も言葉を止めた。
「……すまない、何の話をしていたか」
五分と経たないうちに、それが三度繰り返された。
蓮は、ただ静かに聞き続けた。
老人は、嫌がっているわけでも、苦しんでいるわけでもなかった。
ただ、言葉が途中で消えてしまう、という状態だった。
話していることを、自分でも覚えていられない。
蓮は、聞き書きの仕事で、似たような状態の人と話したことがあった。
記憶の病で、言葉が繋がらなくなる高齢者と、長い時間をかけて話し続けたことが。
あの時と、感触が似ていたが、一つだけ違うことがあった。
あの時の人は、悲しんでいた。自分が忘れていくことを、どこかで感じていた。
この老人には、その悲しみすら、なかった。
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世話役から話を聞く限り、影響が出始めたのは、村の中心部にある古い井戸の周りからだった。
現地に行くと、地面が白っぽく変色している場所があった。
白い畑と、同じ性質の土だった。
スミが、その周囲を避けるように動いた。
蓮は、地均しで土に触れてみた。
やはり、同じ引っかかりがある。
「広がってる?」
「ここの周辺、全部この感触だ。あの白い畑より、範囲が広い」
ノエルが、少し顔色を変えた。
「住んでる人がいるのに、こんなに広がってたのか」
「じゃあ、中心はどこだ」
危険察知に、意識を向ける。
攻撃の予兆ではなく、何かが弱っているという感覚の方向。
どこかに、何かが「ある」気がした。
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引っかかりの最も強い方向へ、ゆっくりと進んだ。
古い井戸の陰に、小型の魔物が横たわっていた。
土色の体をした、掌ほどの大きさの個体。
動く様子がない。呼吸はしているようだったが、ほとんど力を失っているように見えた。
「これ……病気?」
「違う気がする」
蓮は、その側に腰を落とした。
魔物の目は開いていたが、焦点が合っていない。
何かを見ている、というより、何も見ていないような目だった。
「どこから来たのか、分からなくなってるんじゃないか」
ノエルが、静かに聞いた。
「縄張りも、仲間の場所も。自分が何者かも」
蓮は、頷いた。
理解しようとした。
この魔物が、なぜここにいて、なぜ横たわっているのか。
だが、相手の目を見ていると、「なぜ」という問いが空を切るような感覚があった。
理解しようにも、相手の側に「何故」が残っていないかのようだった。
しばらく向き合い続けたが、継承は発動しなかった。
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村には、治療師を手配することと、白い土の範囲を記録してギルドに報告することを約束して、日暮れ前に出発した。
帰り道、蓮はほとんど黙っていた。
「継承、できなかったね」
ノエルが、静かに言った。
「ああ」
「理解できなかった?」
「理解できなかったんじゃなくて……理解しようとした相手に、理解できるものが残ってなかった気がした」
「それは……どういうこと」
「忘却っていうのは、記憶が消えることだと思ってた。でも、あれを見て、少し違う気がしてきた。記憶が消えるんじゃなくて、記憶を持つ力そのものが、なくなっていくのかもしれない」
「記憶が消えるんじゃなくて、記憶を持つ力そのものが、なくなっていくのかもしれない」
ノエルは、しばらく黙っていた。
「それが続いたら、どうなるの」
「分からない。あの魔物が、その先の姿なのかもしれない。あるいは、もっと別の何かに……」
蓮は、そこで言葉を止めた。
結論を急ぐ必要はない。今日感じたことを、正確に持ち帰ることの方が先だった。
スミが、二人の間を、足音を立てずに歩いていた。
帰り道は、来た時よりずっと長く感じられた。
(第二十八話 完)
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