第十話「消えかけた言い伝え」
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依頼を終えた帰り道、井戸端で少し休んでいくことにした。
このところ、依頼続きで、ゆっくり町を歩く時間もなかった。
近くに座っていた高齢の女性が、誰に向けたわけでもなく、ぽつりと呟くのが聞こえた。
「最近の若い子は、誰も昔話なんて聞きたがらないからねえ」
「言い伝え、ですか」
蓮が思わず声をかけると、女性は少し驚いた顔をした。
「興味あるのかい、こんな婆さんの昔話に」
「仕事柄、そういう話を聞くのが好きなんです」
「仕事柄、って」
「前の仕事です。今はもう、できてませんが」
蓮の口調に、隠しきれない寂しさが混じっていたのか、女性はそれ以上は深く聞いてこなかった。
女性は、しばらく蓮の顔を観察するように見つめていたが、やがて小さく笑った。
「物好きだね。まあ、いいよ。どうせ、誰にも話せず終わるだけだったから」
女性は、近くの空いた木箱に蓮を座らせ、ゆっくりと語り出した。
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ノエルとスミも、近くの木陰で一緒に話を聞くことになった。
「こんな昔話、誰が信じるのよ」
ノエルは、最初こそ軽い調子でそう言っていたが、女性が語り始めると、自然と口を閉じた。
「この土地には、大昔、大きな災いがあったって言われてるんだよ」
女性の声は、思っていたよりも落ち着いていた。
「あまりに多くの人が、一度にいなくなった。名前も、生き方も、誰も覚えていられないくらいに」
「それで……どうなったんですか」
「分からないさ。あたしが聞いた時には、もう昔話として伝わってるだけだった」
「ただ、それ以来、この辺りでは、年寄りが子供に、誰かの話を語り継ぐのが習わしになったって言われてる。忘れられる前に、誰かの中に残しておくんだって」
「それが、今のあなたの役目なんですね」
「役目、っていうと立派に聞こえるけどね。実際は、ただの暇な婆さんの話し相手がいない、ってだけの話さ」
そう言って、女性は自分を笑うように肩をすくめた。
それでも、目の奥には、誰かに託したいという気持ちが、隠しきれずに浮かんでいるように見えた。
蓮は、その言葉を、聞き逃さないよう静かに頷いた。
聞き書きの仕事をしていた頃、似たような話を、何度も聞いたことがある。
形は違っても、根っこにある理由は、いつも同じだった。
誰かに覚えていてほしい。それだけのことだった。
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女性は、それから小さな逸話を、いくつか語ってくれた。
若い頃に好きだった人の話。
戦に出たまま帰らなかった弟の話。
一度きり訪れた、遠い町の市場の賑わいの話。
大きな出来事ではなくても、その人にしか語れない記憶ばかりだった。
「弟の話なんて、もう何十年も誰にも話してなかったよ」
女性は、そう言いながら、少し目を細めた。
蓮は、相槌だけを返しながら、最後まで黙って聞き続けた。
途中で口を挟まず、急かさず、ただ言葉が途切れるのを待つ。
聞き書きの仕事で、何より大事にしていた間合いだった。
語り終えた女性は、ふう、と一つ息を吐いた。
「ありがとうね。誰かに聞いてもらえると思ってなかった」
「俺の方こそ、聞かせてもらえて良かったです」
「あんた、本当に物好きだね」
女性は、そう言いながらも、どこか晴れやかな顔をしていた。
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帰り道、ノエルが珍しく、静かな声で言った。
「あんな話、いつもしてるの?」
「向こうの世界にいた頃から、ずっと」
「儲かるの、それ」
「儲からない。けど、誰かの話が消えずに済むなら、それで十分な気がしてた」
「変わってるわね、本当に」
「よく言われる」
ノエルは、それ以上何も言わなかった。
それでも、いつものような呆れた様子ではなく、何かを考え込んでいるような横顔だった。
スミだけが、何かを察したように、蓮の足元に寄り添っていた。
大きな災いという言葉が、なぜか少し引っかかっていた。
聞いた話の中の、誰の顔も知らない出来事のはずなのに、妙に他人事だと思えなかった。
それが何なのか、今の蓮には、まだ分からなかった。
(第十話 完)
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