5【暗殺未遂】
「美味しい..?」
「あ、はい、美味いです」
どら焼きを口に運びながら答えるが、隣からの視線が痛い。メアリーが「じーっ」という効果音が聞こえてきそうなほど、ムスーッとした顔で俺を凝視しているのだ。
「あの、メアリーさん…?」
「…」
「あはは…」
引きつった笑いを浮かべる俺に、彼女は逃げ場を塞ぐような低い声で釘を刺した。
「はすみに手を出したら…許さない…」
エリート殺し屋の宣告が背筋を抜ける中、当のはすみちゃんは興味の対象を床の段ボール箱へと移していた。
ふと、彼女の手が止まる。一度剥がされ、貼り直されたガムテープの跡に、わずかな疑念を覚えたようだ。
「ごめんねはすみちゃん。危険なものが入ってるかもしれなかったから、先に中身を見させてもらったんだ」
俺が正直に白状すると、彼女は納得したように小さく頷いた。
「そっ..か...」
箱の中から取り出されたのは、一匹の愛らしい「熊のぬいぐるみ」。殺伐とした道場の床に、場違いなほどふわふわとした質感が転がる。
「...ぬいぐるみ」
首を傾げるはすみと、それを横で訝しげに見つめるメアリー。
「誰から?」
メアリーが刺すような視線を俺に向けたまま問う。
「あ、長谷川組です」
答える俺を無視して、はすみちゃんは箱から取り出した熊のぬいぐるみを手に取った。
そして、隅々まで観察するようにじーっと見つめ始める。
「はすみ! 危ないですよ!」
「いや、一応こっちで中身は確認してるんだけどね」
「貴方には聞いてないです!」
メアリーに一蹴される。
はすみはそんなやり取りなどどこ吹く風で、ぬいぐるみを文字通り舐め回すようにあちこちから見渡す。
「だいたい、どら焼きははすみの為に買ってきたんです。なんで貴方が食べてるんですか?入りたての下っ端は雑用だけしていればいいんですよ!」
「そんなこと言われてもなぁ……」
俺が困惑混じりに肩をすくめた、その時だった。
はすみがぬいぐるみを高く掲げた瞬間、その腹部がキラリと不自然に光った。
「......」
刹那、ぬいぐるみのお腹から凄まじい速度で「何か」が射出される。
——刃。
反射神経なんて言葉じゃ追いつかない速度。
だが、はすみはそれを見てから、顔色一つ変えずに極めて淡い動作で首を真横に傾け、最小限の動きで回避してみせた。
「っ!はすみ!!」
「…えっ?」
道場の床に、ナイフの先端が深々と突き刺さる。
おい、何が起こって……。そう思った瞬間、俺の視界が反転し、全身の自由を奪われた。
「いだだだだだ!!」
関節を極められ、床に押し付けられる。
「最初に貴方を見た時から怪しいと思っていたんです!殺します!」
「な、なんでだよ!俺、別に怪しいことなんて何も…!」
「ではなぜ!貴方は私の名前を知っていたんですか!?名乗ってもいないのに!」
「…………」
しまった。
殺し屋ヒロインの鋭い指摘に、俺の思考が真っ白に染まる。
ゲーム知識というズルを使っていた俺にとって、それは言い逃れのできない決定的な「ボロ」だった。
「グ、アッ……!!!」
道場に、生木が裂けるような鈍く嫌な音が響き渡った。
囚われた右腕の関節を、メアリーが無慈悲な角度で抉り外す。脳を直接焼くような激痛が走り、俺は声にならない絶叫を漏らして床を這った。
「次、左腕です。簡単に死ねると思わないでください」
メアリーの瞳に宿るのは、冷徹なまでの処刑人の意志。
彼女は流れるような動作で俺の左腕を捕らえ、容赦なくへし折ろうとその細い指先に力を込める。ミキミキと骨が悲鳴を上げる——その時だった。
「..まって」
静かだが、逆らいがたい響き。
俺の腕を捻り上げていたメアリーの動作が、ぴたりと止まった。見上げれば、はすみがいつの間に俺たちのすぐ側に立ち、メアリーの腕を手で制していた。
「は、はすみ……?」
困惑に揺れる殺し屋の少女に対し、はすみは感情の読めない瞳でじっと俺を見つめた。
「私は..大丈夫..だから..河合..を..離して..あげて..」
「で、ですが!」
メアリーの必死の訴えにも、はすみは首を小さく横に振る。
「...それに、まだ..どら焼き..残ってる..」
はすみの口から漏れたあまりに場違いな一言に、メアリーは「え……?」と毒気を抜かれたように声を漏らした。
殺し屋としての冷徹なスイッチが、はすみの食欲という名の平和な理屈によって強制解除されていく。
メアリーが渋々と、しかし折らんばかりの力を込めていた俺の左腕を解放した。激痛で視界がチカチカする中、俺は荒い息を吐きながら床に伏せる。
「河合..この箱を..届けてきた人の..顔、覚えてる..?」
はすみの視線がメアリーから俺へと移る。いつものぼんやりした瞳の奥に、ほんの一瞬だけ、凪いだ水面のような静かな鋭さが宿った気がした。
「い、いや…帽子を深く被っていたから、はっきりとは……」
俺が痛みに耐えながら必死に記憶を掘り起こして答えると、彼女は短く「そう..」とだけ返し、再び無表情なモブお嬢様に戻った。
「お、俺…兄貴達に伝えてきます」
外れた右腕を力なくぶら下げたまま、俺は脂汗を流して立ち上がった。事務所に戻ってこの異常事態を報告しなければ。
長谷川組との関係、あるいは送り主の正体。これは一構成員の俺が抱えきれる問題じゃない。
だが、背後から伸びてきた小さな手が、俺の肩を優しく引き止めた。
「え?」
「.....」
振り返る暇もなかった。はすみが俺の右腕を取り、無造作に、けれど驚くほど正確な角度で力を加える。
ゴリッ、という鈍い音と共に、外れていた関節が吸い込まれるように元の位置へと収まった。
「…っあ!」
あまりの衝撃に声が詰まる。呆然とする俺の瞳を、はすみがじっと覗き込んできた。
「..言わなくて..いい..」
「え?な、なんでですか?これ、暗殺未遂ですよ!?」
俺が必死に食い下がると、彼女は床に突き刺さったナイフを一瞥し、どこか遠くを見つめるように言葉を継いだ。
「今は..抗争で..忙しい..。余計な..心配..よくない..」
その言葉は、組を想う健気な少女のそれなのか。
それとも、この騒動すら自分一人で飲み込んでしまおうとする底知れなさなのか。
「それより..やりたいこと..が..ある」
その言葉を聞き俺は熱を持った右腕をさすりながら、ただ頷くことしかできなかった。




