第八話【歓迎会食事】
とあるコインパーキングに車を滑り込ませる。
俺たちは車を降り、夜の街へと踏み出す。
「こっからは歩きだ」
兄貴の背中を追い、数分。
賑やかな表通りを外れ、街灯の届かない真っ暗な路地裏へと入っていく。湿り気を帯びた夜の空気に、どこからか香ばしい匂いが混ざり始めた。
「……」
隣を歩くはすみは、暗闇に怯える様子もなく、ただ淡々と、期待に満ちた足取りで進んでいく。
やがて突き当たりの開けた場所に、ぽつんと灯る明かりが見えた。
古びたリアカーの屋台。その風情ある佇まいに、小宮の兄貴が口角を上げる。
「着いたぜ〜」
「……焼き鳥?」
思わず俺が問い返すと、屋台の中から年季の入った渋い声が響いた。
「らっしゃい」
煙の向こうで店主が手際よく炭を返し、さらに食欲をそそる匂いが立ち込める。
「おっちゃん、ネギまにつくね、あ〜あと砂肝を人数分頼む」
小宮の兄貴は、慣れた手つきでパイプ椅子を引き寄せながら注文を飛ばした。
「あいよ」
店主の短い返事と共に、炭火の爆ぜる音が夜の静寂に響く。
だが、俺は素直に腰を下ろすことができなかった。周囲は街灯もまばらな、逃げ場のない路地裏だ。警察すら正義を捨てたこの世界で、剥き出しの屋台。もし今、敵対する組やマフィアが襲撃してきたら……。
(……ここ本当に大丈夫なのか? 不用心すぎねーか?)
警戒して周囲をキョロキョロと見渡す俺。
「……」
「おい、いつまで突っ立ってんだ河合。早く座れよ、お前の歓迎会のつもりだぜ?」
小宮の兄貴が、呆れたような声を投げた。その眼光は鋭いが、同時に「俺の隣にいろ」と言わんばかりの余裕に満ちている。
「あ、はい…(自分が食べたいだけな気がするけど…)」
俺は小宮の兄貴の隣に腰を下ろした。
すると、当然のように、はすみが俺の反対側の隣にちょこんと座る。ふわりと漂う彼女の甘い香りと、屋台の香ばしい匂いが混ざり合う、不思議な空間だ。
「お待ち」
店主の無骨な手で差し出されたのは、三種の串。
炭火の熱を帯びたそれは、どれもが視覚だけで胃袋を掴んでくるような、暴力的なまでの輝きを放っていた。
(あー、絶対美味いやん……)
焦げたタレの芳醇な香り、滴り落ちる肉脂が炭に弾ける音。
転生前もそうだったが、屋台で食べる料理には、その場の湿った夜風や裸電球の明かりといった「雰囲気」が最高のスパイスとして溶け込んでいる。
ましてや、さっきまで死線を潜り抜けていた体だ。
極限の緊張から解放された五感には、屋台から立ち昇る煙さえも至高のご馳走に感じられた。
「河合...」
「あ、はい、なんですか?」
不意に名を呼ばれて視線を向けると、はすみが焼きたての串を手にしたまま、じっと俺を見つめていた。
「...口...開けて」
「へ?口?」
「あーん..」
「…え!?」
あまりに唐突、かつ無防備な「あーん」の要求に、俺の思考は一瞬でフリーズした。
だが、そのやり取りを黙って見ていられなかった男が一人。
隣に座る小宮の兄貴が、椅子を鳴らして身を乗り出した。
「おーーい!ちょっっっっと!待てーーい!!!」
「..なに..?」
小宮の兄貴は、信じられないものを見るような目で俺とはすみを交互に見つめた。
「車の時も思ったがなぁ…はすみの嬢ちゃん…河合に対して距離感おかしくねーか?カチコミから戻った時に名前知ったばっかだよな~?」
「うん?」
はすみは心底不思議そうに首を傾げる。その無垢な反応に、兄貴は頭を抱えながらさらに言葉を重ねた。
「お前さんもう15だったか?15ともなれば男を意識する年頃なのはわかるがな~、流石に距離感…おかしいぜ~?」
兄貴の正論すぎるツッコミに、俺は顔が熱くなるのを抑えきれず、ただ固まるしかなかった。
だが、当の本人はどこ吹く風。相変わらず、焼きたての串を俺の口元に差し出し続けている。
「別に恋人でもねぇ上に、初対面に近い相手だろぉ~? それなのに車での密着とか『あ~ん』とかは、流石にダメだと思うぜお嬢~」
小宮の兄貴が、諭すように、けれど呆れを隠さずにそう告げた。まさに常識的な、兄貴分としての至極まっとうな説教。
すると、はすみは串を一度引くと、今度は小宮の兄貴の方へ視線を向けた。
「小宮にも...してあげようか...?」
小首を傾げ、純粋な好奇心と親愛を込めて問う。
それを聞いた兄貴は、一瞬だけ言葉を詰まらせ、深く溜息をつく。「やれやれ」といった様子で頭を掻いた。
「はすみの嬢ちゃん……それはなぁ……。――よろしく頼んます」
(マジか、この人……)
さっきまでの厳格な説教はどこへ行った。結局、お嬢の無垢な「あーん」の誘惑には、作中屈指の武闘派であるこの男ですら、一瞬で膝を屈するしかなかったらしい。
俺は目の前で繰り広げられる「最強の兄貴とお嬢」のシュールなやり取りを、ただ呆然と見守るしかなかった。




