十八
骸骨剣士は上半身と下半身が完全に分かたれ、ぴくりとも動かない。動いたとしてももう追っては来られないだろう。
「おー」コレットが感心したような声を上げた。「弓の訓練の成果?」
「うん。〝力〟の加速距離をなるべく長く取ることと、あと弓の構えをそのまま取ることで命中精度を上げてみたんだけど」
とくに体力の消耗も無く、威力も申し分無い。連射性は棚上げのままだが、差し当たって現在の自分に望める最大の成果と言えるかも知れない。
「大したもんだ」
少し先まで行って転倒していたカーティスが戻って来た。
「ひょっとしてこの三人の中で役立たずは俺だけか」
「かもね。肝心の迷宮の入り口もジャンゴさん任せだったし」
「いや、コレット? もうちょっと言葉を選ぶというかなんというか……」
見も蓋もない言い草のコレットとそれをいなそうとするアイザックに、カーティスは苦笑しながら肩をすくめ、
「さて、役立たずにもう一つ教えてくれアイザック。『口に出して言ったことが現実になる』――この迷宮を支配している規則のより正確な表現は、何だ?」
「ええと……」
アイザックは頭を掻きながら、考えた。
何となく判っている気はするが、それをうまく言葉で説明出来ない。
元来た方を見る。
骸骨剣士の残骸の向こう、曲がり角の方を指差し、
「『角の向こうに扉がある』」
言ってから、そちらへ向かって歩き出した。
カーティスとコレットも着いて来る。
角を曲がると、そこには、
「……無いな」「……無いわね」
扉は無かった。つい先程骸骨剣士に追われて三人で走ってきた通路が伸びているばかりだ。
「ええ、ありません。先ほど通ったときもありませんでした」
アイザックは頷き、
「カーティスさん。さっきカーティスさんが一番先まで行きましたが、どこまで見ました?」
「ん? あの骸骨が倒れてるとこの先の曲がり角の向こうまでだな。その先はまた曲がり角で右に折れてた」
「その角の先は見てませんね?」
「ああ」
「じゃあそこまで行きましょう」
進行方向へ歩く。
骸骨剣士の残骸を越え、角を曲がる。
その先では、カーティスの言った通り通路が右に折れている。今の位置からではその先は見えない。
「『あの先に扉がある』」
アイザックが宣言し、
「行ってみましょう」
三人で角を曲がった。
果たしてその先は突き当りになっていて、扉があった。
かつて――ある賢者が一つの思考実験を行った。
箱がある。
箱の中には鰐が一匹と、呪紋が刻まれた銀貨が一枚と、そして〈死〉の呪紋の呪符が一枚入っている。
呪紋が刻まれた銀貨は一定時間ごとに箱の中で跳び上がり、回転し、落ちる。落ちたときに出た面が表だった場合は何も起こらない。だが裏が出た場合は、それに連動した呪符が発動し、箱の中の鰐が死ぬ。
箱を開けずに中の様子を確認することは出来ない。
箱を開けたとき、初めて観測者は鰐の生死を確認することが出来る。それまでは、鰐は、箱の中で『生きている状態』と『死んでいる状態』の重ねあわせで存在している。
そして観測者の存在がそれをいずれかの状態に収束させる。
「…………」「…………」
アイザックの話を聞いて、カーティスとコレットはしばらく黙ったまま考え込み、
「何だそれは」「意味判んない」
異口同音に言った。
無理もないだろう。アイザック自身も学院の講義でその話を聞かされたときは意味が判らず何を言っているんだその賢者はと思ったし、今も理解出来ている自信は無い。
どういう話の流れだったか。数学の確率論か、或いは哲学か何かの話題だったかも知れない。
だが今の現象を説明するのに何となくその例えが相応しい気がした。
「銀貨が云々ってのは、銀魔術に関係あるのか」
「いえそこは別に銅貨でも骰子でも何でも良いですが」
「何で鰐なのよ。猫でも良いじゃない」
「あれ、コレット猫嫌いだっけ?」
相応しい気がしていたのだが自信が無くなってきた。
ともあれ、
「分かれ道も行き止まりも、ぼくらがそこを観測する前に口に出して言ったことが事実になりました。これらは、今の時点から振り返れば、別にぼくらが口に出して言おうが言うまいが無関係にもともとそういう構造だったと言うことも出来ます」
「……つまり口に出して言った云々は関係無いってことか?」
「あるか無いかで言えば、関係あります。未観測で未確定だった通路の先が、ぼくらの言葉に応じて一つの状態に収束し、観測によって確定しました。確定してしまった後からなら何とでも言えます」
「???」
腕を組み、しかめっ面で宙を睨んだまま、カーティスが離脱した。
「あたしが『ばらばらになる』って言っても骸骨がばらばらにならなかったのは?」
「きちんと動いてる状態の骸骨剣士をぼくらがもう観測しているから、その状態から理由もなしに砕け散るなんてのはさすがにあり得ないからだと思う」
「頭をすっとばした骸骨が起き上がるのはあり得ること?」
「そう」
あの骸骨剣士はおそらく、魔術によって創られる動人形の類か、或いは似た仕組みで自然発生的に死体が動き出す動屍体現象の一種だろう。生物ではなく、多少の損壊は全体の動作にはあまり関係無い。
今回の場合コレットがその辺りに関する知識を持っているかどうかが関係する可能性もあるが、或いは共に観測したアイザックの持つ知識がそれを補完したのかも知れない。
「言ったことを無制限に何でも現実化するなんて魔術は非現実的過ぎるけど、自然にあり得る範囲内で且つその時点で未観測の事象に限るのならば、可能なんじゃないかな。後から振り返れば魔術なんて掛かってなかったとも言えるし」
「えっ、この迷宮魔術掛かってないの?」
「いやたぶん掛かってるけど」
「???」
結局コレットも離脱した。
そして頭の中で色々と説明を考え、最終的にアイザックも諦めた。
「ともかく、この扉だ」カーティスが言った。「話は正直良く判らんのだが、この扉を開ける前に余計なことは言わない方が良いってことだな?」
「ええ。或いはうまく利用して一足飛びに行くべき場所へ辿り着けるようにするか」
と、アイザック。
コレットは考えるのは男二人に任せたといったような態度で、
「明らかに起こりえないことは言っても大丈夫なんだよね? 意外なあの人と再会、とか」
「誰がいるのさこんなところに……」
本音を言うならばコレットには余計なことを言い出す前に黙っていて貰いたいのだが、それをはっきり口に出すのも憚られる。
言うべき言葉を早めに言ってしまうのが次善の策か。
少し考え、結局無難なところに落ち着く。
「『この扉の先はこの迷宮の魔術の中枢である』」
言って、扉を開いた。
扉の先は光に満ちた広い円形の空間だった。
直径五十メートルほどはあるだろうか。
中央に大きな水晶の結晶のようなものが浮かんでいて、それが光を放っている。
床にはそれを取り囲むように円を描くようにびっしりと魔術文字が刻まれている。
そして開いた扉から少し離れた辺りに、こちらに背を向けるようにして立っているゆったりとした長衣の後ろ姿があった。
扉が開く音に反応したのか、部屋の中央の宝石を眺めていたらしいその長衣姿がこちらを振り返った。
人の良さそうな顔つきをした、一見すると若く見えるのだが良く見ればそれなりに歳がいっているようにも見える、結局のところ何歳なのか良く判らない年齢不詳の、背の高い男。長い黒髪を編みこんで肩から身体の前に垂らし、長衣の胸元や袖から覗く手首にじゃらじゃらと護符をぶら下げた如何にもな魔術師然とした格好をしている。
男はこちらを見て、散歩中に偶然町中で会った、ぐらいの気軽さで言った。
「おや、アイザック」
「えっ、師匠?」
意外なあの人との再会だった。




