十六
エティル橋はラルトンの町を南北に分かつ川に掛かる橋の内で最も古い。石造りで幅は二十メートルほど。普段は露天商で賑わっている。
夜明けからまだ一時間程といった時間帯では、露天商はもちろん普段ならば人通りもまだ殆ど無い。だが今、そこここで人々が集まり、何事かを囁き合っていた。町のすぐ近くに現れたゴブリンの群れについての噂話を交換し合っているのだ。
さすがに戦闘が始まったことはまだ広まってはいないようだが、それも時間の問題だろう。
「で、来たけど……」
橋の袂で周囲を見渡しながら、コレットが呟いた。革鎧を着込み、額には鉢金を巻き、腰の剣帯には短剣を下げている。西方支部に寄り、武器庫で見繕ってきたものだ。彼女の他にも守備隊の伝令が町中をあちこち走り回っているので、さほどには目立たない。
「これといって変わった様子は無いね」
「うん……」
アイザックも、上着の下に革鎧――胴体前面の要所々々のみを覆う簡易的なものだ
が――を着込んでいる。武器は持っていない。コレットに何か持っていくかと聞かれたが、使えないものを持って行っても仕方がないと断った。
と、
「お、本当に来やがったか」
横手からの声に振り向けば、
「……カーティスさん?!」
秘法商人志望の行商人がそこに立っていた。
「あいつに会ったんだな? あのジャンゴとか言うドワーフに」
「カーティスさんもですか?」
「ああ」
アイザックの問いに答えながら、カーティスは二人に着いて来るよう身振りで示しつつ、橋の脇にある石段から下へ降りていく。
川の側面は壁と地面が石で補強された狭い通路になっている。アイザックとコレットが降りていくと、カーティスは橋の真下辺りの壁を何やら調べているようだった。
「夜明け直後ぐらいだったか、宿で今日の予定を確認してたら何か外が騒がしくなって、何事かと様子を見てたらいきなり奴が現れてな。あ、やべえ死んだ、って思ったら、『昨日は失礼した』と来た」
「あー、あたしたちも似たようなこと言われた」
と、コレット。
カーティスは頷き、
「で、ここで君らを待つように言われたんだが……詳しい話は聞いてるか?」
「いいえ」答えるアイザック。「ぼくたちは城壁から直接ゴブリンの群れの様子を見ていたんですが、そこにジャンゴさんが現れて、『エティル橋へ向かえ』『そこにこの現象を収める手掛かりがある』って言われて。で、そのあとすぐ群れが町に攻めて来て……」
「動き出しちまったのか……!」
「はい。ジャンゴさんは群れに立ち向かって行って、それで、ぼくたちは詳しいことは判らないままとりあえず言われたままに行ってみよう、ってことになって」
「そうか」
ううむ、と唸りながら、カーティスはぺたぺたと石壁を撫で回す。
「……で、ここに何があるの?」
コレットが問うと同時に何かを見つけたらしいカーティスは振り返り、
「ここな、昨日、俺が最初に奴と会った場所なんだ」
「ん? カーティスさんがジャンゴさんに最初に会った場所、って言うと……」
「明後日の予定だったが、ちっと早まっちまったな」
言いながらカーティスが壁から掌二つぶんほどの大きさの石を抜き取って外す。外したその中には紋章が刻まれた金属板が埋め込まれているようだった。
「アイザック」カーティスは懐から小さな羊皮紙の紙片を取り出した。「これが読めるか」
見れば覚え書きか何かのようだった。書かれているのは短い走り書きの一文。ラファール語ではなく、コルト語だった。
「意味はともかく、読めはすると思います」
「良かった、ジャンゴの言った通りだったな。この金属板の紋章に向かってそれを読んでみてくれ」
「……合言葉か何かですか?」
「ああ。奴から渡されたんだが、俺には読めねえよって言ったら、お前に読んで貰えって。そいつで〝扉〟が開くそうだ」
「判りました。えっと……」アイザックは小さく咳払いをし、それから唱えた。「『オープン・セサメ』」
すると、
「…………」
「…………」
「…………」
何も起こらなかった。
アイザックは少し考え、発音が違っていたのかと半ば当てずっぽうで僅かに変えて読んでみる。
「『オープン・セサミ』」
それが正解だったらしい。突然彼らの正面の壁、幅・高さそれぞれニメートルほどの正方形の範囲が光を放ったかと思うと、次の瞬間、そこに扉が出現していた。両開きで古びた、金属製の扉だ。
「ふン」カーティスが嘆息を漏らした。「本当なら自分で文献とかあたって調べるべきものだったんだが、まあ時間も無いし仕方無いか」
「つまり、これがあれってこと?」
こころなしかそわそわした様子のコレットにカーティスは軽く頷き、扉の取手に手を掛ける。
「ようこそ〝ドワーフの地下迷宮〟へ、ってな」
「ねえアイザック、『オープン・セサミ』ってどういう意味なの?」
「ええと……Openは〝開く〟っていう動詞。〝Sesame〟の方が今すぐにはちょっと判らないけど、『開け』って命令してるわけだから何かの名詞――〝扉〟とか〝封印〟とか、そんなところじゃないかな」
「ふーん」
そんな遣り取りをコレットとしつつ、石造りの通路を三人一列で進んでいく。
先頭はカーティス、二番目がアイザックで、殿のコレットが蝋引きの筆記版にこれまでの経路を記録している。
各々胸元にアイザックが持ってきた明かりの呪符を貼り付けて前方を照らしている。カーティスは角灯や松明も用意していたのだが、呪符の方が便利そうだとそちらを使うことになった。
通路は高さも幅もそれぞれ三メートルほどか。右へ左へと何度か折れ曲がり、また階段を下ってきたが、今のところ分かれ道は無い。
「それにしてもずっと一本道ねー」退屈そうな口調でコレットが言った。「曲がり角もほとんどきっちり直角だし、記録しててもあんまり意味無いんじゃないかしら。そろそろ分かれ道でも――」
コレットのそんなぼやきを聞きながら曲がり角を曲がると、
「おう」カーティスが肩をすくめた。「ご期待に添えられたようだな」
その先は左右に別れた丁字路になっていた。
「どっちに行くよ?」
「う、いざ分かれ道になると迷うわね……。アイザック、どうする?」
「えっ、ぼく?」
いきなり振られ、考える。
かつてとある賢者が『人は迷ったら左を選択しやすい』というようなことを言ったという話を思い出し、
「じゃあ、右」
その言葉にコレットは頷き、
「よし、左に行くよー」
「えー」
問いかけるような目でこちらを見てくるカーティスにアイザックは苦笑しながら頷き、一堂は左へ曲がる。
少しして、
「まあでもこういう時って結局先に選んだ方が行き止まりだったりするよな」
そのカーティスの言葉通り――というわけでもないだろうが、しばらく進むと行き止まりになっていた。
「カーティスさんが変なこと言うから」
「俺のせいかよ」
半眼で小突き合うカーティスとコレットの様子を見ながら、アイザックは自分でも良く判らない違和感のようなものを感じていた。
一応突き当りの壁を調べ、隠し扉の類があるわけではないことを確認してから引き返す。
先ほどの丁字路も過ぎて右側の通路入った辺りで、違和感が仮説のようなものに変わった。試しに、というつもりで言ってみる。
「それにしても通路が綺麗ですね。四五〇年間誰も足を踏み入れていないかも知れないのに埃一つ落ちてない」
すると、
「そうだな……ん、でもこの先はそうでもないぞ。砂埃がたまってる」
と、カーティス。
見ればその言葉の通りだった。
(これは……そういう仕組みなのかな)
もう少し実験をしてみないとなんとも言えないが、差し当たってコレット辺りが余計な事を口にする前に警告をしておいた方が良いだろうか。
「あの……」「ところでさ」
だがそれと同時、コレットがおもむろに、
「迷宮って言えば怪物よね」
よりによって最悪の言葉を口走った。
前方の曲がり角から、足音が聞こえてくる。




