十三
「んじゃ、明日か明後日に一度顔出すわ」
そう言うカーティスを家の戸口で見送るのは、アイザックとコレットと叔父の三人。ラリーは新しく開けた別の客間で熟睡中。
「それまでに一緒に行くかどうか決めといてくれ、アイザック」
「……はい」
カーティスの言葉に、頷くアイザック。
あのあと、アイザックに揺り起こされ、ひと通りの話を改めて聞かされた叔父の第一声は、
「まあ良いんじゃないか、別に」
だった。
「良いんじゃないかって……」
「どうした。何か言いたいことがあるのかね、アイザック?」
「いや、でも、あの、その」
「いや、でも、あの、その? お前の言っていることは意味をなしていないぞ」
真顔で問い詰めてくる叔父に、アイザックは少し考えてから、
「……コレットを止めてください」
「何故」
返ってきたのは即答だった。
「何故って……」
「理由を言いたまえ」
「……危険ではないですか」
「危険」叔父はその言葉を一度繰り返してから、「まあ、それが絶対に無いとは言わんがな、世の中に全く危険でない場所などは無いよ。
カーティスくんが秘法商人として迷宮の探索に行くのも、コレットがそれに同行するのも、別に法に反しているというわけではなし、私が口を出すようなことではない。
特にコレットは冒険者になりたいというのならば良い経験にもなるだろう。あまりに幼かったり明らかに愚かな行為をしようとしているのならば止めもするが、もう十分に自分の面倒は見られる年齢の筈だ」
「…………」
「お前もだ、アイザック」
「……?」
叔父の言葉に眉をひそめるアイザック。
「お前も行くと言うのならば、私はどうこう言ったりはしない」
「ぼくが……?」
「うむ。
……どうした、行きたいのかね? 行きたくないのかね?」
「ぼくは……」
考えてもいなかったことを問われ、答えが出ない。
そのまま黙り込んでしまったアイザックを、コレットとカーティスは黙って見守っていた。
やがてしばらく無言の時間が流れてから、カーティスが立ち上がった。
「……では、自分は一度宿に帰ります」
「帰るのかね? もう遅いし、その負傷もある。泊まっていっても良いのだよ」
叔父の申し出にカーティスはかぶりを振り、
「ありがたいのですが、明日も朝から行商人の方の仕事があるので今夜のうちに宿に戻っておきたいんです」
「そうか」
叔父は頷いた。
カーティスが手にした角灯(叔父が貸したものだ)の明かりが夜の闇の中に消えていってから、三人は家の中に戻った。
「あたしは泊めてもらうね、叔父さん、アイザック。カーティスさんが使った部屋で良いや」
と、コレット。
「うむ」叔父が頷き、「シーツに血が付いているかも知れんな。替えが……」
「知ってる。自分で替えるよ。洗濯場に置いておけば良いね?」
コレットは勝手知ったる様子で客間へ向かいかけ、そしてふと脚を停めた。
「アイザック」
「……うん?」
見れば、コレットは何やら真面目な表情をアイザックに向けていた。
「アイザックがどうしても嫌だってんなら無理にとは言わないけどさ、あたしは、出来たらアイザックも一緒に行って欲しい」
「別に嫌だってわけじゃ……」
もごもごと答えかけたアイザックに、コレットはびしりと人差し指を突きつけ、
「良いから、ちゃんと考えてから答えて。時間はまだあるから。
――んじゃ、お休み」
そう言ってコレットは部屋へ。叔父もまた廊下に突っ立ったままのアイザックの肩をぽんと叩くと、
「明日起きられるだろうか……」
呟きながら自室へ向かった。
「……さて」
自分の部屋へ入ったアイザックは、懐から呪符を取り出し、明かりを灯した。
書物机の上に紐でぶら下げ、学院から持ってきた荷物の中からいくつかの小物を用意し、並べる。
アイザック自身のこれまでの学習や研究を記してきた数冊の魔術書。
粘土の筆記板とそこに文字を書くための鉄筆。
銀無垢の指輪――まだ魔術文字も刻まれていない、のっぺりとしたただの円筒形。
先端に小さな金剛石の刃を付けた彫刻刀。
小瓶に入った薬液。
などなど。
「…………」
椅子に腰掛け、目を閉じ、昼間守備隊の訓練場でイザベルから受けた弓の訓練を思い出す。引いた弓の弦や、矢が飛んでいくときの感覚を、一つひとつ脳裏に思い浮かべる。
それと同時に頭の別の一角では魔術を組んでいく。それは例えば文字や単語を並べて文を作ったり、或いは数値や変数から数式を組み立てる作業にも似ていた。
やがておもむろに目を開き、鉄筆を手に取ると筆記板にいくつも図形や文字を描き、あるいは削って消し、描き直し、描き加える。必要に応じて魔術書を参照する。
そうしてひと通り術の組み立てが終わると、一度それを見直し、
「――うん」
指輪と彫刻刀を手にとって、文字を一つひとつ刻み始めた。
エドワード・シィファンの日記や迷宮探索、師の行方に、ジャンゴというドワーフと、色々と気になる事柄は多いが、それらは一度頭の片隅に押しやって作業に没頭する。
小一時間ほど掛けて必要な文字を刻み終えた。
それから小瓶の蓋を開け、中の薬液を布に染みこませると、仕上げとしてそれで指輪を磨く。
そうしていると、ふと呪符の明かりが弱まっていることに気付いた。
「おっと」
呪符に描かれた魔術文字を撫でながら「光よ」と合言葉を呟く。
もとの強さを取り戻した呪符の明かりを眺めていると、ふと思いつくことがあった。
例えば、角灯に明かりを灯すと油が失われる。蝋燭では蝋が。松明ならば先端に巻き付けられた布に染み込んだ松脂などが。いずれにしても何かしらの燃料が必要であり、補給なしに永遠に使えるものではない。
対し、この呪符の明かりは、そういった補給は必要としない。意思を持った人間が合言葉と共に魔術文字を撫でることで明かりが灯り、それは一〜二時間ほど持続する。そして繰り返し何度でも使用出来る。
この明かりを灯す〝力〟はどこから来るのか。
魔術文字や合言葉それ自体が力を持つと説明されるが、それは油や蝋と違って永遠に保たれ続けるものなのか。
一方で、大規模な魔術では(或いは構成が甘く非効率な術では)しばしば術者の体力が失われる。それらによって失われる体力は角灯の油や蝋燭の蝋に対応するものと言えるかも知れない――が、果たして一晩眠れば回復する程度の疲労がそういった魔術によって得られる結果に本当に見合うものなのだろうか。
銀魔術は銀という金属それ自体が持つ〝力〟を用い、しばしば媒介となる銀の消費を伴う。だが、それも必須ではない。実際、先ほど新しく組んだ術では指輪の質量の消費は発生しない筈だ。ならば銀の持つ〝力〟とはやはり無尽蔵なのか。
「ええとね、魔術って、そもそも何だと思う?」
「えっ? ……判りません」
「だよね。実はね、〝これが魔術でござい〟って明確且つ厳密な定義ってのは、過去何人もの魔術師たちが試みてはきたけど今のところ無いんだ」
ラリーとの会話を思い出す。
そして何かが掴めそうな感覚があった。
それは、本当に突拍子もない、ただの思い付きなのだが――例えば、世界では本来、力も質量も無から発生したり無へと消滅したりするものではなく、総量を保ったまま流転するものであり、そしてその法則から外れたところに位置するものこそが〝魔術〟であるのでは……
「……疲れてんのかな」
しばらくその考えを弄んでから、結局そう結論付けた。
自分は銀魔術を専門とし、廃れつつあるそれの復興がもし出来れば十分と考えている、ただ一介の準魔術師でしかない。そんな自分が、過去幾人もの優れた魔術師たちが試みつつも成せないでいる〝魔術の定義付け〟がまさか出来そうだなどと考えるとは。
肩をすくめ、道具を片付ける。
指輪の出来を最後に一度確認してから、呪符から明かりを消した。
昨日に劣らず、今日も色々なことがあった。そんなことを考えながら寝台に潜り込むと、程なくアイザックは眠りに落ちた。
そして夜明け頃、外からの騒ぎで目を覚ました。




