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二匹の消えたクジラ

「短魚雷、目標に着弾まで30秒」


 水雷士の報告から、カウントが進んでいく。


「着弾10秒前……8、7──」


 そして、10カウントが始まる。


「ッ──⁉︎」


 しかし、突如水雷士が目を見開いてソナーの画面を身を乗り出すようにして見入る。


「朝霞二尉……?」


 砲雷長がその挙動に驚いて、おずおずと問うと、水雷士がこちらを振り向き、上ずった声でまくしたてた。


「本艦魚雷迷走!目標、シーホーク及び本艦の全ソナーからロスト!」


 その瞬間、それまでの緩慢な空気が消え、再びピアノ線のように張り詰めた空気と共に激震がはしった。


「間違い無いのか⁉︎」

「間違いありません、完全にロストしました!」

「目標は潜航をして変温層に隠れたのでは⁉︎」

「あり得ません、現在の変温層は深度300ほどです!」


 絶句した。あり得るのか、このような事が。いきなり水中の潜水艦が忽然と姿を消すなどという事が。

 普通、補足された潜水艦はソナーの音波が反射しやすい変温層の下に隠れるか、デコイなどで姿をくらます。

 だが、今変温層は敵潜水艦の遥か下に、そしていきなり姿を消し、周辺からは何も反応はない。

 あり得ない。絶対にあり得ない。

 狐につままれた。

 僅か1時間ほど前に思った事が、また脳裏に出てきた。


「シーホークで周辺海域を隈なく探せ。どこかに居るはずだ」


 居るはず。そういう願いを、あるいは確信を込めて指示する。理解不能な現象に、この場はパニック状態に陥りかけていた。


「──!艦長、本艦後方方位1−3−9に感あり!距離100、深度200‼︎」


 新たな潜水艦の反応。それは、パニック状態になりかけていたこの場を飽和状態へと陥れ、我々はしばし我を忘れていた。


「目標、相対速度24ノットで接近中!」

「なっ──⁉︎」


 あり得ない。あり得ないあり得ないあり得ないあり得ない。

 この艦は今20ノット近くで走っている。つまり、その潜水艦は44ノットをも出せるという事である。

 そんな艦、今まで無かった。知らされもしなかった。噂を聞きもしなかった。

 存在自体を知らなかった。

 なんなんだ、なんなんだよ、ここは。

 東京湾じゃねえのかよ。

 一体どこのどこなんだよ、ここは。

 何がいるんだ、今俺の下に。


「相対距離、魚雷射程圏内に突入!」


 水雷士の声が焦る。こんな猛スピードで水中を航行するなど、常識の範疇では考えられない。

 どうすればいい、魚雷を先に撃って、沈めるか。いや、海洋法30条……ならば警告、それもこのスピードでは自爆位置を設定しづらい。

 どうすればいい、どうすれば、この化物供を躱せる。


「目標、本艦直下‼︎」


 水雷士の声はほとんど叫びに近い。私が迷っている間に、時は残酷にも事を推し進めていく。


「目標、本艦直下通過、離れていきます!」


 撃たれる。そういう恐怖と、雁字搦めの法律と、潜水艦が消滅し、超高速で水中を航行するという異常な状況のせいで脳内がまとまらない。


「目標、魚雷射程圏より離脱!」


 そう言われても、しばらく動けなかった。そして、ようやく、敵が去ったという事を知った。それまで、この場をどう対処するかという事を考えていた。


「…………。」


 その場にいた全員は、長い間、放心したままだったと思う。誰も、一言も発することはなかった。それほどにハードな状況だった。


『艦橋、CIC。応答せよ、状況はどうなった』


 余りにも長い間我々が沈黙していたことに業を煮やした航海艦橋の副長が、艦内通信で呼びかけてくる。それがきっかけで、私はようやく我を取り戻した。


「不明潜航艦2隻、共にロスト。新たな動きは認められず、離脱したものと思われる」

『2隻?どういうことだ』

「対潜用具納め」


 砲雷長が気だるげに艦橋に返し、追求してくる無線を切らせ、私は戦闘終了の合図を出した。


「対潜用具納め」


 その場の全てに、疲れが見られた。

 敵を逃した。そういう悔恨より、あの異常な状況から生き残ったという安堵の方が強かった。

 終わった。

 今、ここの全てが終わった。

 私は、大きなため息に色々な感情を込め、背もたれに大きくもたれかかった。

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