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不明潜航物

 2026年2月4日午前4時。東京湾の浦賀水道の洋上を、あきづき型護衛艦のてるづきが警備活動の任に付いていた。

 ちょうど5時間前に全国MFV監視システムが爆破されたことに対する緊急の招集が為され、全ての乗員が揃ったのが3時間ほど前だった。それから、2時間ほど水上レーダー、対空レーダー、ソナー、そして目視で、何か怪しいものがないかを神経を張りながら警戒している。

 しかし、この凪いだ海面と何も映らないレーダーを見ていると、何か狐につままれたような気分になってくる。

 だが、全国MFV監視システムは爆破された。そしてそれを行った者はまだ、東京にいる。海路、空路、陸路のいづれかは分からないが、その者は確実に東京を離れようとするだろう。逃してはならない。日々の訓練が何の為にあるのか、自衛隊という組織が何のためにあるのか。それを思うたびに肩に力が入り、背を伸ばす。

 我々が、逃してはならないのだ。


『CIC、艦橋!ディッピングソナーに感あり!本艦の方位3-4-5、深度200、距離12キロメートル!現在、音紋照合中!』


 CICにいる砲雷長からの内線に肩が震える。瞬間、艦橋に緊張感が走り、空気が張り詰める。


「対潜戦闘用意」

「対潜戦闘用意!」


 努めて平静に指示すると、副長がそれを復唱した。


『音紋照合!一致する音紋なし、当該潜航物の所属は不明!』


 敵は未知の潜航物。そう聞いた瞬間、全ての筋肉が硬直した。頭が冷えていき、若干呼吸が浅くなっていく。


「艦長、いかがいたしましょう」


 副長の問いかけに、一回呼吸をしてから答える。


「機関始動、不明潜航艦を同速度で追尾。……私もCICに行く」




「状況は?」


 聞いても仕方のないことは分かっている。だが、聞かずにはいられなかった。聞かなければ、平静を装うこともできなかっただろう。


「不明潜航物との距離は10キロメートル、深度と進路はそのまま変わっていません」


 ソナーはレーダーのようにリアルタイムに情報を更新することはできない。今は哨戒ヘリコプターのディッピングソナーの情報があるが、電波よりも遥かに遅い音波では、情報のタイムラグが可視できるレベルで発生する。

 相手にこちらの位置はもう把握されただろうが、それでも魚雷の射程圏で無闇矢鱈に探信音を出して艦を危険に晒したくはない。

 だが、この時点で不明潜航物に対する攻撃を行えば、国連海洋法条約30条に違反し、日本は国際的なバッシングを受ける事になる。また、相手の艦種も特定できていないため、日本が事後に外交上の大きなハンデを負う可能性もある。それに、もしこれが新型の潜水艦であった場合、その装備が分からない今は、国際法違反による攻撃の可能性をできる限り潰しておきたい。

 自衛隊が、現代の軍事組織が背負う物は大きい。しかし、その為に強硬的な手段に出られず、対応に時間がかかることもある。

 だが、それが国を守るということなのだろう。世界は、分からなかっただけで済ましてくれるほど単純で、優しくはない。

 故に、ここにいる者の中で自分が一番冷静である必要がある。ここには、日本という国の防衛の全てがかかっている。大丈夫、ここでできることは一つしかない。


「国連海洋法条約30条に基づき、水中音響通信にて浮上要求!」

「水中音響通信にて浮上要求!」

「通信始めます!」


 水測員がマイクを手に取り、浮上要求の文言を英語で話し始める。


「Warnning, you are crusing underwater in volation of article 30 of the UN Convention on the Law of the Sea! If you will not surface quickly, I will fire warning shot」

「10分待つぞ」

「はい」


 自分の乾いた声に、砲雷長が硬い声で答えた。

 それから、CICに沈黙が重く被さってくる。この浮上要求によって、相手にはこちらが気づいていることが分かったはずだ。ここから取り得る行動は、要求を無視して進み続けるか、要求通り浮上するか、それとも敵対行動に移るかだ。特に、潜水艦より発射される対艦ミサイルは、海面付近で発射される。要求に従ったための浮上かどうかの見分けがつきにくく、警戒が必要となる。

 しかし、取り敢えずはソナーの情報を頼りに、状況を注視することしかできない。

 長い時間が過ぎていく。緊張は僅かに苛立ちへと変わり、動かない状況に息が詰まってくる。


「艦長、10分経過しました。目標に動きはありません」

「……、分かった。 短魚雷発射管、発射用意。目標手前20メートルで自爆」

「左舷短魚雷発射管、発射用意!」

「左舷短魚雷発射管1番、装填始め!」


 自分の決断で、部下たちが一斉に動き出す。艦長から砲雷長へ、砲雷長から各部署の士官へ。そこから兵装を管理する隊員へと、素早く、訓練通りに素早く指示が回っていき、艦が動いていく。その様は、まるで一つの生物が蠢き出すようでもある。


「諸元入力、20秒後に自爆!」

「Mk48短魚雷、装填よろし!」

「左舷短魚雷発射管、発射用意よし!」


 そう復唱して、砲雷長がこちらの目を見てくる。海上自衛隊初の警告攻撃。国際法的には問題はない。だが、彼は私にこの引き金を引けるかと聞いてきている。いや、彼自身にはその意思はない。だが、今自分は彼を通じて、護衛艦隊司令部から、幕僚から、内閣から、守るべき国民から、国際社会から、背後で蠢く某国から、そしてモニターとSH60Jのディッピングソナーと200mの海水と鋼鉄の隔壁に隔たれた何者か達から見られていると感じた。

 敵対するか否かの引き金を引けるのかどうかを。


「左舷短魚雷発射!警告射撃始め!」

「左舷短魚雷発射管、1番発射!」

「発射!」


 命令した瞬間に、指示が砲雷長、水雷士へと伝わっていく。

 左舷の短魚雷発射管の一番上の管から、白煙と共にMk48魚雷が月明かりを揺らす海面に落ちてかき乱す。直後、白い雷痕を引きながら、時速25キロメートルものスピードでMk48魚雷は駆け出した。


「短魚雷、目標に接近。自爆まで15秒!」


 水雷士が報告し、直後に10のカウントが始まる。それは3のところで止まり、僅かに間を置いて最後の一声が下る。


「今ッ……短魚雷ロスト!」


 直後、航海艦橋から艦内通信が入る。


『艦橋、CIC。本艦前方方位3−2−7、距離5で発光を確認。本艦短魚雷の自爆と思われる』


 それを聞いた瞬間、再び肩に力がこもる。


「……目標に再要求。次は当てる」

「了解、目標に再度浮上要求!」


 そうして、再び浮上要求が行われる。私は、どこかで応じて欲しいと願っていた。素直にゆっくりと浮上し、自国の国旗を掲揚し、本艦の呼びかけに応答してすぐさま領海を脱して欲しいと思っていた。そうしてもらいたいと、そうなって欲しいと、神頼みにも近い形で願っていた。

 さっき、威嚇の為に短魚雷を撃った。それを、私は水雷士を、モニターを、艦首のソナーを通して見て、副長によって証明してもらった。

 全く、感覚がなかった。任官から初めての演習以外での魚雷の発射。しかも、目標は人間が乗っている可能性のある不明潜航艦。

 引き金は軽かったが、それを引く指はひどく重かった。防衛大学校の一年生の時に初めて六四式を撃った時の感覚と似ていた。撃った後の事が酷く恐ろしくて、引き金にかけた人差し指が凍りついたように動かなかった。それなのに撃った瞬間は拍子抜けしてしまい、射撃場で立ち尽くし、教官に怒鳴られたのを覚えている。

 銃口を向け合うこと。それは、本当に軽い力で事を起こせるという自覚をすることでもあると思う。そして引き金を引ききって仕舞えば、後はなし崩し的に全て事が進んでいってしまう。そのまま指が凍りついて、動かなければ、そう思ってしまっても、意思とは別の力が指を動かす。

 互いが極限に至った時、引き金が引かれ、撃鉄が落ち、雷管が爆ぜ、火薬が燃え盛る。

 だけど、その感覚はなく、自覚もない。

 それを思うと、私は両腕を抱き、背を丸め、声にならない言葉を発した。


「艦長……動き、ありません」


 そう伝える砲雷長の声は明らかに強張っていて、僅かに震えていた。私は顔を上げ、彼の目を見つめ返した。そうすると、彼の不安定な目がそこにいて、鏡写しの私がいた。

 そして、私はCICの方へと目を移す。その場にいる全員が私のことを見ていた。その全てが不安定で、揺らいでいるように見えた。そして、皆が震えていた。


「……ぁ」


 私の声は掠れ、揺れている。頭の中はごちゃごちゃと散らかり、手は震えが止まらない。


「ぁ……」


 今一度、CICを見回す。だが、そこに何があるわけでもない。見つめ返す目があるだけだった。


「ぅ……」


 残された、当然の帰結は一つしかない。だけど、私はそれを考えようとすると、ひどく緩慢になってしまう。自分の頭が上手く動かず、ずっと腕を抱いた両手を強く握りしめ、震えることしかできなかった。


「艦長、目標は国際海洋法違反の犯罪者です」


 そう言った砲雷長の目は、私を向いていたが、どこか別のところに向かっていて、小刻みに震えていた。


「撃ちましょう、魚雷を──」


 彼がそう言った瞬間、全身の震えが止まった。頭の中が突如整理され始め、当然の帰結へと至る定型が組み上がっていく。何度も、何度も繰り返して刷り込んできた、用意してきた帰結を、組み上げていく。


「短魚雷、発射用意。目標、当該不明潜航艦。目標を沈めるまで撃て」

「短魚雷、発射用意」

「短魚雷再装填」


 そうして、その場にいた皆が動き始める。何度も繰り返し、刷り込んできた定型を再現していく。


「再装填よし」

「諸元入力、発射後すぐにアクティブホーミングに切り替え」

「左舷短魚雷発射管、発射用意宜し」


 最後に砲雷長がそう言った。そこが、私にとって最後のタイミングだった。

 だが、私は迷わなかった。寸分の迷いもなく、その引き金へと人差し指を伸ばした。


「短魚雷発射、目標を沈めろ」

「了、短魚雷発射」

「発射」


 その引き金は、軽かった。

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