接敵
「艦長、ご足労いただきありがとうございます」
レミリアが艦橋に戻ってくると、ソナーのモニターを睨んでいたロシア人の中年男性が振り向いて敬礼した。レミリアは、通常の軍用潜水艦より広めに作られている艦橋の最奥部、扉に一番近いところの艦長席に座る。艦長席は一段高くなっていて、全てのモニターと艦橋内にいる全員の顔が眺められる。
「クズネツォフさん、何があったんですか?」
「はっ……先ほど、グアムから本艦付近でロシア海軍の艦艇がニホンへ向けて航行中との報告が入りました」
「規模は?」
「キーロフ級が1隻と、ウダロイ級が2隻です。それと未確認ですが、ヴィクター型潜水艦が1隻」
「そう……」
そう言って、彼女は右手で口を抑える。彼女が考え事をするときによくする癖だった。しばらくして、彼女が口を開く。
「艦内に騒音規制を発令、その艦隊のソナー探知圏外まで超電磁航行で切り抜けます」
「艦隊を追わなくて宜しいのですか?」
グラーフが無表情で問う。レミリアはまた、無表情で即答する。
「もうニホンには用はありません。私たちが目指すべきなのはオデッサ島に向かうことよ」
「アイ・マム。総員、これより騒音規制を実施、超電磁航行にて方位1–5–8に向け巡航速度」
「取り舵3度、進路158!超電磁推進、巡航速宜候!」
グラーフの複勝に続いて、航海長が復唱しながら舵を僅かに左に切り、艦にわずかな傾斜が発生し、立っているグラーフとクズネツォフが体を傾ける。
「恐らく私たちには気づいていません。安心していいでしょう」
レミリアがそう言ったが、艦橋内の張り詰めたピアノ線の様な尖った空気は解けなかった。
× × ×
あの子、この船の艦長だと言うレミリアは、私があのハイスクールにまた通えるように掛け合ってくれると言ってくれた。そうしたら、また、彼とあの高校へ通うことができるのだろうか。相変わらず無愛想な顔をしながら、私の周りに気を配る彼。そして、彼の不器用さを見て、なんだかんだと世話を焼こうとする自分。
懐かしい景色のような気がした。それでいて、まだ時間は経っていない上にまだ自分はその中にいるような気もした。
これが終わったら、私はニホンに戻れるだろうか。故郷から遥かに遠く離れすぎてしまった。それでも、自分は家と呼べる場所を求めている。
これが終わって、もしニホンに戻れたら、あの部屋を整理しなくちゃいけない。ほこりがたまっているだろうから掃除をして、皿洗いをして、洗濯物を片付けて。
『全艦へ、これより騒音規制を実施する。これより騒音規制を実施する。解除されるまでの間、一切の騒音の発生を禁ずる。繰り返す──』
その時、部屋のスピーカーからアナウンスが入った。それに続いて、部屋のドアが開いて、迷彩服姿に着替えた天城イオリが入ってきた。
「天城さん?なんですか、この騒音規制って」
「近海に、ロシア海軍の艦隊がいます。ロシア海軍の潜水艦の対潜ソナーは優秀です、僅かな騒音でも感知されてしまう危険があります」
「ロ、ロシア海軍⁉︎」
今自分が乗っている船のすぐ近くに敵がいる。一度は命を狙ってきた相手が、この近くにいる。それは、背後からナイフの切っ先を首に突きつけられるのと同じ感覚がした。
「問題ありません。この艦は、そうそう探知されませんから」
だが、天城イオリは冷静だった。これまで幾度となくこの潜水艦で敵と相対してきた彼の経験から、この艦は敵に簡単に見つかるようなヤワな艦ではないと知っていた。
「そ、そうですか……」
アリシアが、天城イオリのいつも通りの冷静さに脱力しかけたその時、僅かに床が傾いてたたらを踏んでしまう。転びかけそうになって、天城イオリがアリシアの左手を咄嗟に掴んで引き起こす。
「これから揺れるかもしれません。お気をつけて」
「え、ええ……」
ほっと一息つくと、どっと疲れが押し寄せてきた。昨夜は狭く暑い車内で激しく揺られ、軽く脳震盪を起こして寝込んでいた。疲労で限界で、まぶたを開けていられなかった。
そのままベッドに倒れこみ、アリシアは寝息をたて始めた。
× × ×
グアムの対水上レーダーとのデータリンクにより、付近の海図の上に二つの赤いマーカーが浮かんでいた。その二つは西南西に向かって進んでいる。
艦内が不気味に静まり返っていた。どこかで獣が息を潜めているのではないかというような不気味さに包まれた艦橋では、全員がモニターを注視していた。二つの赤いマーカーの動きに最新の警戒を払っている。そして、もう一つのマーカーが出ないかということも。
何時間そうしていたのか分からない。ただ、モニターを睨んでいた。発見したロシア艦隊はこちらに気づいている様子はない。ただ、衛星写真に写った敵の攻撃原潜の動向だけは未だ掴めていない。
これは罠か。そういう思考が頭の中を揺さぶる。もしかしたら敵はこちらに気づいており、今にも攻撃原潜が魚雷発射管の砲門を開いてこちらが射程に入ってくるのを今かと待ち構えているのかもしれない。
前後左右上下、どこに敵がいるのか分からない恐怖が心に噛み付いてくる。だが、その獣を追い払い、冷静を保つ。戦いでは冷静さを欠いた者から死んでいく。
「来ました、探信音!」
ソナー員が突如叫ぶ。その瞬間、艦橋に激震が走った。
「艦長……」
「分かっているわ。グラーフさん」
自分の左隣で艦長席に座っている彼女に、この艦が今のソナー音で探知されたかもしれないということを言おうとしたら、彼女が先を制した。大した娘だ。この艦を設計したというだけではない。この機転の良さと度胸には、毎度のことながら驚かされる。
「総員、対潜対水上戦闘用意。クズネツォフさん、スーパーホーネットも出せるようにしておいてください」
「アイ・マム。総員、対潜対水上戦闘用意!」
彼女の指示を復唱する。艦橋だけではなく、艦内の空気が一瞬で切り替わったような気がした。
× × ×
ただならぬ雰囲気が艦内を支配してからしばらく経つ。続く動きが無いか警戒していると、個室のドアが開いて中から迷彩服に着替えていたマイクが入ってきた。
「どうした?」
「ああ、艦内の戦闘要員全員にブリーフィングルームに集合がかかったんだが……」
マイクの視線は寝ているアリシアの方向へと持っていかれている。
「起こしちゃ、まずいよな」
「だろうな」
淡白に答えると、マイクが額に手を当てる。
「分かった。イオリ、静かにこっちに来い。いいか、そおっとだぞ」
「了解だ」
言われた通り足音を立てないように廊下に出ると、マイクがそっとドアを閉めた。
「それで、なんの任務だ」
「スーパーホーネットを出すらしい」
「なに?この中でか?」
近海にはロシア海軍のミサイル巡洋艦と対潜駆逐艦の艦隊、海中には敵潜水艦。先ほどのソナー音で探知されたかは分からない。この中、浮上して艦載機を発艦させるのは危険すぎる。
「待機命令だ。とりあえずブリーフィングルームに急ぐぞ。少佐殿が呼んでいる」
「そうか」
そう言って、赤く薄暗い廊下を足音を立てないように駆け出していった。
× × ×
「天城軍曹、入ります」
「サージェント・マイク、入ります」
ブリーフィングルームのドアを開けて、敬礼をしながら入る。中には既に数人の同じ迷彩服に身を包んだ、老若男女入り混じった集団が椅子に座っていた。
「これで全員だな」
正面のスクリーンの前で書類の束をめくっていたクズネツォフがつぶやき、一同を見回す。
「諸君らも知っている通り、本艦はロシア海軍のミサイル巡洋艦と対潜駆逐艦、攻撃原潜に囲まれている。探知されている可能性もある。本艦は現在、対艦ミサイルを搭載していない。後部VLSにESSMが80発、アスロックが12発装填されている」
「そこで私たちがスーパーホーネットで出るってわけね」
スクリーンの海図とそこに映る2つの赤いマーカー、一つの赤いバツ印を眺めていたアデルが口を挟む。
「そうだ。諸君らには爆装したFA18Fで出撃してもらい、ミサイル駆逐艦と対潜駆逐艦を無力化してもらう。何か質問はあるか?」
「人数は?」
「4名だ。2機で出撃してもらう」
「ちょっち、厳しくないですかね?」
「ならば、諸君らは敵対艦ミサイルの迎撃に上がるESSMの誤射に巻き込まれたいか?」
クズネツォフが言うと、ブリーフィングルームが一瞬で静まった。それを確認したクズネツォフは、先を続ける。
「それではメンバーを発表する。一番機操縦兼リーダー、アデル曹長、後席マイク軍曹。二番機操縦、アマギ軍曹、後席クレマンソー軍曹」
呼ばれた全員が立ち上がる。自分の後席はクレマンソーというフランス人だ。奴の専門は偵察と狙撃。信用できる男だ。
「以上、呼ばれた者は直ちに格納庫に集合、その他の諸君らは準待機には入れ」
そう言って、クズネツォフはブリーフィングルームを後にした。
× × ×
『こちら格納庫、スーパーホーネット発艦準備整いました。いつでもいけます』
内線を通して、クズネツォフが報告を入れる。
「了解、ご苦労様です。航空隊は機内にて待機、こちらから発艦命令を出した1分後に浮上、カタパルトで射出します」
『了解、航空隊は機内にて待機させます』
短く命令すると、クズネツォフは内線を切った。
「連中は我々に気付いているのでしょうか……」
グラーフがこめかみに汗を伝わらせて言う。歴戦練磨の潜水艦乗りである彼だとしても、一瞬の判断の間違いで乗員もろとも海の底に沈んでいく。ここは地球上のどこよりも過酷な戦場だ。
「……ソナー長、さっきのソナー音で目標との位置関係は分かりますか?」
「計算してみます」
早速、ソナー長が機械類を弄り出す。しばらくして、ソナー長が頭を上げてこちらを振り向いて言った。
「出ました。相対距離約120km、方位017!」
敵のヴィクター級攻撃原子力潜水艦の最高速は32ノット。魚雷の射程はおよそ40kmほどのはずである。つまり、敵がこちらに気付いているとするならば、あと一時間ほどでこの艦を魚雷の射程に抑える。
「航空隊を出しますか?」
グラーフが無表情で問いかけてくる。私は、癖で口に左手を当てる。
「目標はこちらに気付いたとは限りません」
「ですが、脅威になるのは確かです」
「それでも、こちらの手の内をわざわざ明かすことはありません」
「…………。」
自分の右隣に立つ男の表情は読み取れなかった。だが、彼が決してこの判断を最良のものだと思っていないことだけは分かる。
「私は、甘すぎますか?」
「いえ」
グラーフの態度はそっけない。
「そう……」
日の光の届かない海の下1000メートルを、一匹の怪物と狼が互いを睨みつけながら息を潜めていた。




