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霧の街3

「アリシアさん、気を付けて」

「こ、こんな降り方をしなくても……」


 例のごとく、ベランダを伝って下に降りていく。しかし、元英国王室の王女であるアリシアにとって、マンションの10階の高さを命綱無しで渡るというのは、危険すぎることであった。


「あっ!」

「大丈夫ですかっ⁉︎」


 案の定、ベランダの外壁のへりから足を滑らせてしまう。が、それを先に下の階のベランダ(天城イオリの自室)に降りていた天城イオリが受け止める。


「こんな降り方じゃなくてもいいでしょう。エレベーターを使ったり、階段を駆け下りたりとか、そういう安全な方法はないんですか?」


 乱れた寝間着のすそを直しているアリシアの小言に、天城イオリは淡々と答えていく。


「私たちはすでに捕捉されています。敵は、もう既に一階からフロアを駆け上がってきているはずです。今、敵と対面する危険が高いのは、廊下と階段なんです」

「でも、これじゃいつ落ちて死んでしまうか、わかったもんじゃないです」


 それでも、先ほど実際にトラブルを起こしたアリシアは、自身の身のために食い下がる。さっきのトラブルと、自分の任務を思い出した天城イオリは、いきなり多摩学園の制服である長袖のTシャツを脱ぎ出した。


「それもそうですね。このまま、何も対策をせずにあなたを死なせれば、私は任務を失敗したとして関係者諸共に消される可能性もあります」

「だ、だからって、何しているんですかッ⁉︎」


 いきなり自分の服を脱ぎ始めた天城イオリに対して、アリシアは両目を両手で覆う。アリシアの恥ずかしがる動作を見た天城イオリは、はて、と首を傾げる。


「何をしているのですか?」

「お、女の子の前でいきなり上半身裸……とか……あれ?」


 天城イオリがTシャツを脱いで上半身を露わにしている破廉恥な光景を想像していたアリシアは、インナーと防弾チョッキで防護されたその体を見て素っ頓狂な声を上げてしまう。その防弾チョッキには、マガジンを入れるポケットが付いており、そこに4つの拳銃用のマガジンと、4つのライフル用のSTANGマガジンが入っていた。そして、天城イオリの右肩から左腰にかけてロープがまかれており、背中には一丁のXM8アサルトライフルが掛かっていた。


「私がハーネスを掛けます。アリシアさんは、ロープを伝って私の後に続いてください」

「は、はい」


 すっかり毒気を抜かれてしまったアリシアは、ただ自動人形のように生気のない返事をした。そして、自分が今どれだけ破廉恥な想像をしてしまったかを思い出して、頰を赤く染める。

 その様子を、月明かりが照らしていた。


 × × ×


 先に行った天城イオリのやっていたことを思い出す。ロープを強く握り、壁を蹴って一定間隔ごとに降りる。


「OK......All right. I can do. I can......」


 自然と、母国語が口から出てきていた。天城イオリは軽々とやって見せたが、アリシアにとっては、地上30メートルからスタントをするようなものだ。そう簡単に恐怖が拭えるわけではない。


「天城さんにできたんです、私にも、できますっ!」


 意を決して、マンションの外壁を思い切り蹴ってロープを握る手を緩める。


「きゃっ!」


 その瞬間、アリシアの体はほとんど自由落下に近い速度で落ち始める。その浮遊の感覚に体が悲鳴をあげ、死の恐怖のせいでパニックに陥ってしまう。

 10メートルほどを滑り落ちて、アリシアは壁に足をつけてロープを握ることでなんとか静止することができた。


「はっ、はっ、はっ」


 心臓が高鳴り、呼吸が荒くなる。頭の中に直接アイスを付けたような、嫌な感覚がする。


「アリシアさん、落ち着いて、ゆっくりと壁を伝って降りてきてください。無理に飛ぼうとしなくても良いです」

「は、はいっ!」


 そう答えて見たは良いものの、下を見ればまだ20メートル、運河の橋桁ほどもある高さで宙ぶらりんになったこの状況では上に行くことはできない。しかし、さっきのトラウマと高さへの恐怖から、アリシアの足は中々一歩を踏み出そうとしてくれない。


「だめ、やだ……怖い」


 冷たい夜風が頰を撫でる。しかし、さっきまではただの冬の夜風だったものが、今では不安定な場所にいる自分を揺らす脅威となって襲いかかってくる。

 寒さと高さ、それに揺れがアリシアの脳内の思考を狭めていき、一歩を踏み出すという選択肢を削って行く。


「嫌だ。もう、嫌だ……」


 そう弱音を吐き、泣きそうになったその時。右の部屋のベランダの窓がガラリと空いた。


「く、あぁ〜……ようやく数学の宿題終わったよ。ホントなんなの、あのハゲ。クソみたいな量の宿題出しやがって。呪い殺してやる。このっ、このっ、このっ!」


 そして、中から出てきたどんよりと濁った目をした少女。


「へ?」

「は?」


 アリシアとその少女は、目があってしばらく硬直する。


「ど、泥棒だあァー⁉︎」

「え、きゃ、きゃぁあああ‼︎」


 いきなり目の前で叫ばれ、アリシアは思わずロープを手放してしまう。

 またしても浮遊感がアリシアを襲い、アリシアはなんとかしようと足とてを使って減速を試みる。が、その努力も虚しく、そのまま下の植木に突っ込んだ。


「だ、大丈夫ですか……お怪我、は……」


 下から聞こえるうめき声で、アリシアは自分がまだ生きていることに気づく。心臓は割れんばかりの勢いでばくばくとなり続け、肩で荒い呼吸をしていた。


「え、ええ、なんとか……」

「そうですか、では、まず上からどいてはもらえないでしょうか……苦ぢい」


 そのくぐもった声で、アリシアは自分が天城イオリの体の上に覆いかぶさっており、自分の尻が天城イオリの顔を塞いでいることを知る。途端に羞恥心に襲われたアリシアは、慌てて身を起こし、赤面してうつむきながら寝間着のズボンを握りしめる。


「では、行きましょう。セーフハウスまで案内します」

「はい……」


 天城イオリが手を掴んで歩き出すが、アリシアはどうしても自分の尻が踏み潰した顔を直視することができなくて、俯いて歩き出した。


 × × ×


 敵のMFVに見つからないように、コソコソと隠れて警戒しながらファントム分隊のセーフハウスに向かう。先ほどのスパイダーの改造MFVが近隣を探し回っているため、平時の東京の閑静な住宅街であるはずなのに、どうしても敵地の中心にいるような感覚になってくる。

 こちらは防弾チョッキを装備しているとはいえ、敵の装備は50口径機関銃であり、このようなもの役に立つはずもない。

 だから、見つかってはならない。それでいて、敵が今どこにいるのかこちらからは知りようがないという恐怖感。

 天城イオリの背中をつっ、と冷や汗が伝って行く。どうしても避けて通れない交差点の角からXM8を構えながらそっと顔を出し、敵がいないか確認する。安全を確認することができたら、ハンドサインでアリシアを呼んで、素早く渡ってしまう。


『ファントム03、そこから10メートルくらいの脇道に入って』

「ファントム03、了解」


 無線機から聞こえる、アデルの指示を聞いて、セーフハウスまでの最短ルート。それでありながら、細かい裏路地を選んで進んで行く。敵がMFVだけであるとも限らない。今道端を歩いている酔っ払いの中年男がもしかしたら今にでも拳銃を抜いてこちらを撃ってくるかもしれない。

 ありとあらゆる脅威を想定して、一歩歩くごとにそれらを一つ一つ潰して行く。そうして選んだ道を、”安全である可能性が高い道”として駆け抜けて行く。


「隠れてください、アリシアさん」


 天城イオリが言った直後、目の前の交差点に敵MFVが通ろうとする。しかし、十字路の真ん中に差し掛かったところでそのMFVは止まってしまう。


(気づかれたか……?)


 頰を脂汗が流れ落ちたその時、敵MFVは左に曲がって行った。その後、車がその交差点を通過して行く。


「行きましょう、アリシアさん」


 また交差点で奴を見つける。また、十字路の真ん中で立ち止まり、少しして右に曲がって行く。その後を数台のバイクが駆け抜けて行った。


(何をしている?どこにいくか決めているのか?)


 今の時代、日本を走る全ての車両は車種に限らずGPSに登録されて、追跡監視されていた。そのGPS装置は外した場合、テロ等準備罪で即座に検挙される。その中の、MFVの追跡システムが今回破壊されたわけだが、他の車両の追跡システムはまだ生きていた。

 もしかしたら、敵MFVはそのシステムをハックして情報を得ているのかもしれない。今までどこかに隠していたとしても、こんな巨体が夜中とはいえ、公道を走って他の車両に発見されないはずがない(駆動音は、GM社の公害対策で深夜の就寝を邪魔しない程度に抑えられていたため、ほとんど聞こえない)。

 奴は、そのシステムの情報を元に公道を走る一般車両の目を回避している。それなら、こちらも避け方がわかるというもの。


「ファントム01、日本のトラフィックモニタリングシステムにアクセスできるか?」

『ファントム03、可能だ』

「敵はシステムをハックして民間車両を避けている可能性がある。民間車両の走っているルートを誘導せよ」

『ファントム03、了解した。誘導を開始する』


 その直後から、アデルによる民間車が走っている公道の案内が始まる。すると、面白いように民間車と遭遇して、日本のシステムの優秀さを思い知る。全世界規模で我が大隊にも導入したい、と天城イオリは心の中で密かに感嘆した。



「ファントム03だ。VIPをお連れした」


 事前に決められていた、緊急時のノックをして、ドアノブに手をかけながらドアに向かって小声で言う。


「……ファントム04、了解。ファントム03、入れ」


 中から男の声がして、目の前のドアがさっと開く、そこにアリシアを押し込んでから、天城イオリも素早く身を入れた。その直後に背後でドアが閉まる音がする。


「姫殿下はご無事だ」

「そうか、よくやったアマギ軍曹」


 一見、ただの民家に見えるが、実はこの護衛作戦のために種々の改造を受けている。例えば、玄関横には侵入者を察知するための赤外線探知機が、押入れの奥には地下の秘密倉庫へと続く梯子が、ガレージは軍用MFVの整備のための施設や道具が整っており、家のアンテナはかなり強力なものへと付け替えられていた。

 近隣住民や前の居住者がこの光景を見れば、トントン拍子で売買契約が成され、リフォーム業車が来たと思ったらイカツイ外国人や日本人が何人も出入りして、何台ものトラックからいろんな機材やら道具やらが持ち出されて毎日毎日17時までうるさく工事をしていたと思っていたら、いつのまにか軍事基地になっていたと仰天して腰を抜かして気絶することだろう。

 それほどに、この家は民家と言い張るには内面が変わりすぎていた。

 その謎の軍事基地の奥から身長173センチメートル、体はよく鍛え込まれ、短く切りそろえた黒髪が特徴的な女性が出てくる。


「ようやくね、アマギ・イオリ軍曹殿」

「状況はどうだ?」


 アデル流の挨拶をまっこうから切り捨て、天城イオリは土足で上がりながら問う。


「今マズい書類を隠し終えたとこ。後はここを出るだけよ」

「了解した」


 そう言って、天城イオリは廊下を勝手知ったる顔で進んで行く。アリシアは完全に置いていけぼりを喰らい、玄関で棒立ちしていた。


「あなたが姫様ね。噂通りニュース通り中々にキュートじゃな〜い」


 アデルは、アリシアの方に振り向くと、その顔を自分の胸に抱き寄せてその後ろ髪を撫で始める。


「髪さらさら。羨ましい限りじゃないの」


 変に声色を変えて、アデルはぺたぺたとアリシアの体をいやらしい目つきをしながら触ったり撫でたりする。


「ちょっ、あの、やめてください!」


 アデルの指使いのくすぐったさに困惑しつつも、アリシアは切れ切れに抗議の声を上げる。するとその様子に満足したのか、アデルがアリシアを解放して、腰に手を当てる。アリシアはせき込み、アデルによってついた寝巻のしわを伸ばす。


「うん、変なものは持ってたりしないわね。安心して、今のはただのボディチェックよ」

「ただのボディチェックにしてはかなり過激だったのですが……」


 アリシアが不快感を露わにしながら言うと、アデルは満足そうに大きく笑った。


「あたしにそんな趣味はないわよ」

「信用できません……」


 アリシアがそっぽを向いてしまうと、さすがにアデルも困った顔をして、ふと右手を差し出した。


「私はアデル・ラングレー曹長。こりゃ機密事項なんだけど、コールサインは今はファントム01よ。今はまだ本名でいいけど、この家を出たらファントム01と呼ぶこと。いいわね?」


 自己紹介というには、あまりにも有無を言わせない強引な物言い。それにアリシアはカチンと来たものの、アデルは一応名乗ったのであり、ここは自分も名乗り返すのが礼儀である。


「アリシア……アシュリーです。ファントム、01……」

「素直でよろしい」


 そう言いながら、アデルは握り合わせたアリシアの手をぐっと握る。少し痛い気もしたが、アリシアは言わないでおくことにした。


「じゃ、もうそろそろ時間よ。付いて来て」


 パッと手を離すと、アデルはスタスタと歩き出す。相手は自分より背が高く、軍人である。その早い歩行に小走り気味でついて行くと、アリシアは半地下型の、大きなガレージに着いた。


「これは……?」


 アリシアの目の前にあったものは、全長9.4メートル、全幅3.2メートル、全高2.7メートルの巨大な8足のMFVだった。

 先ほど見た敵のスパイダーの改造機とは違い、車体上の戦車砲とその上の50口径重機関銃、様々な機械や構造物が、軍用MFVであることを主張している。全ての脚はずんぐりとしており、脚先の車輪も普通のものより大きくて鋼鉄の装甲が付いている。

 車体全体からひしひしと伝わってくる人殺しのための合理性。それが、静かに昂ぶる戦意のようなものをアリシアに伝えてくる。


「ジェネラル・ダイナミクス社製軍用MFV、M7アイゼンハワー。エイブラムスの技術の継いでいて、機動性、防弾性に優れた傑作車よ」

「これが……軍用MFVなのですね……凄く、大きいです」

「この大きさが合理的なのよ」


 アデルが自信満々に解説を終えた時、アイゼンハワーの上部ハッチが開いて、アデルや天城イオリと同じ防弾チョッキを着てG36Cカービンライフルを携えた黒人の男が顔を出す。


「曹長ー。エンジンの始動準備終わりました。いつでも行けます」

「オーケー。今すぐかけて!」

「|Roger!(ラージャ!)」


 その男は車内に戻っていった直後、耳をつんざくような高周波のエンジン音がガレージを震わす。アリシアは耳を抑えながら、アイゼンハワーの揺らぐ全体像を見上げた。

 これは、人殺しのための合理性の塊。

 天城イオリは何回もこれに乗って、同じような殺意の塊に出会って、生き残ってきた。

 テレビで見た映像とは違う。

 これが本物。

 これが、戦場の神の偶像。

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