第三章 割付けの古代図
聖女様と呼ばれる少女は、十五には見えない目で、千年前の図面を広げた。
地下祭室を出て、廊下を抜けた先の、書庫だった。
羊皮紙に描かれたそれを、俺は息を呑んで眺めた。
「これは……割付図だ」
「割付図、とおっしゃるのですか」
「ああ。タイルの配置を、施工前に決めるための図面だ。日本のと、書式がほとんど同じだ」
羊皮紙には、聖堂の床面と思しき俯瞰図が描かれていた。
中心点から放射状に芯墨が引かれ、タイルの一枚一枚に番号が振られている。
半端を逃がす指示も、ちゃんと書き込まれていた。
俺は、千年前の職人と、同じ言葉で会話できる気がした。
「リネア、これは、誰が描いた」
「祖父の代より、さらに古い記録です。古代の壁の守人、ロウェン師の手によるものと伝わっています」
「ロウェン師」
俺はその名を、口の中で転がした。
会ったこともない男の、几帳面な線に、奇妙な親近感を覚えた。
俺はリネアの案内で、聖堂の本堂へと向かった。
扉を開けて、思わず立ち止まった。
巨大な空間だった。
高い、円天井。
そして、その壁面、床、柱──全てがモザイクタイルで覆われていた。
日本の現場で見たことのない規模だ。
単純に計算しても、数百万枚のタイルが、ここに張られている。
「世界はタイルでできている、と古文書にあります」
リネアが、俺の隣で言った。
「我々の祖は、世界の最初に、タイルを張ったのだと」
「比喩じゃ、ないのか」
「比喩でもあり、実際の物事でもあります」
俺は何も言えなかった。
とりあえず目の前の壁を、見た。
西面の壁。
高さ二十メートルほど。
モザイクタイルは、奇跡のように美しかった。
だが目を凝らすと、ところどころに黒ずんだ目地があった。
風化ではない。
あれは、内部から染み出している。
俺は柱に近づき、手のひらでそっと触れた。
冷たいはずの石がわずかに、生暖かい。
これは、剥離の前兆だ。
接着面に空気層ができると、温度の伝導が遅れる。
それを、皮膚で感じる。
現場で十年やっている職人なら、目を瞑っていても、それが分かる。
「ハンマーを使う」
「どうぞ」
俺は腰の打診ハンマーを抜き、壁面を、軽く転がした。
コロ、コロ、コロ──。
澄んだ音が続いた。
だがある一点で、音が、変わった。
ポコ。
さらに横へずらすと、ポコ、ポコ、ポコと、剥離の連続音が、五十センチほど続いた。
俺は、息を吐いた。
「リネア、ここの壁、半径二メートル、内部剥離してる。いつ落ちてもおかしくない」
リネアの顔が青ざめた。
「他の場所も、ですか」
「全部叩いてみないと分からない。少なくとも、この一面で、目視より、悪い」
その時、俺たちのいる本堂に、足音が響いた。
重たい足音だった。
革のブーツと、金属の擦れる音。
振り向くと、銀色の鎧を着た男が、数人の従者を連れて立っていた。
四十代くらい。鋭い目、整えられた髭。
「聖女リネア」
男は、低い声で言った。
「祭室で意識を取り戻したという者は、その方か」
「はい、ヴァルト辺境伯。こちらが、拓海様です」
ヴァルト辺境伯と、リネアは呼んだ。
俺は反射的に、軽く頭を下げた。
現場では、上の人間にこう挨拶するものだ。
「お世話になっております。石田拓海です」
「……ふむ」
ヴァルトは俺をじっと見た。
無遠慮ではないが、品定めをするような目だった。
俺はその視線に怯まなかった。
怯んだら、現場では、なめられる。
「貴公は、聖女が言う『壁の守人』であると」
「いえ、自称はしてません。俺は、ただのタイル工です」
「タイル工」
「壁にタイルを張る職人です。日本というところから来ました」
ヴァルトは片眉を上げた。
「壁にタイルを張る、職人」
「はい」
「それだけか」
「それだけです」
ヴァルトはしばらく俺を見つめた。
それからゆっくりとリネアに視線を移した。
「聖女よ。彼が、本当に守人かどうか、確かめる方法はあるか」
「先ほど、彼は、何も告げずに、西面の壁の剥離を、半径二メートルにわたって、見抜きました」
ヴァルトの眉が、ぴくりと動いた。
「西面の壁か」
「はい」
「あの壁の異常は、教会の魔導士たちが半年かけても、ついに発見できなかった箇所だ」
ヴァルトは再び俺を見た。
今度は、明らかに最初とは違う目だった。
「貴公は、それを、何分で見つけた」
「……まだ三十秒くらいですけど」
ヴァルトは長く息を吐いた。
「リネア、この方を、王都の使者として登録せよ」
「畏まりました」
「拓海殿。歓待しよう。少し、ゆっくり話を聞きたい」
俺は、首を振った。
「いや、まず、壁を全部診させてくれ。順番が逆だ」
ヴァルトの目に、初めて、感情らしきものが灯った。
それは、明らかな、感嘆だった。
従者の一人が、横で、息を呑む音がした。
俺は気にせず、再び壁にハンマーを当てた。
ポコ、ポコと、異音が続いた。
壁の内部で、世界が、静かに剥がれ始めていた。




