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タイル工が異世界転生して鏝一本で世界の崩壊を防ぎ、現場に帰ってきた話  作者: もしものべりすと


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第二章 目地が腐っている

祈りのような声が、頭上から落ちてきた。


「目地が、腐っているのです」


 俺は、混乱した。


 目地。


 それは、タイルとタイルの隙間に詰める材料のことで、雨水の侵入を防ぐ防水の要だ。


 現代日本の建設現場で、毎日のように使う言葉だ。


 それを、なぜ、こんな少女が口にする。


「ここは、どこだ」


 俺は無理に身体を起こした。


 全身に鈍い痛みがある。だが不思議と骨は折れていない感じだ。


 少女は、俺を支えながら、ゆっくり告げた。


「ここは、ヴァロン王国、中央聖堂の地下祭室です。私は、リネア。聖女と呼ばれている者です」


 ヴァロン。


 聖堂。


 聖女。


 単語が、頭の中で意味を結ばない。


 俺は周囲を見回した。


 石造りの壁、低い天井、燭台の灯火。


 壁面には、無数のタイルが貼られていた。


 古い、モザイクタイル。一辺が二寸ほどの、釉薬の乗った陶片。


 壁全体が、それで覆われている。


 夢じゃない。


 夢にしては、目地のラインが、あまりにも正確すぎた。


 俺は手を伸ばし、近くの壁に触れた。


 指先で、軽く撫でる。


 目地の幅、約六ミリ。


 タイルの厚み、八ミリ前後。


 張り付け工法は、おそらく圧着張りに近い。下地はかなり古いが、タイル自体は、まだ生きている。


 ただ目地が、ところどころ黒ずんでいた。


 拓海の目には、それが「死にかけている」ように映った。


「リネア、と言ったか」


「はい」


「あんたが、目地が腐ってると言ったのは、これのことか」


 俺は黒ずんだ目地のラインを指した。


 リネアは目を大きく見開いた。


「……見えるのですか」


「見えるよ。これ、白華はっかも出かけてる。これ以上放置すると、三年で剥がれる」


 白華。エフロレッセンスとも言う。


 目地の隙間から雨水や湿気が侵入し、内部のセメント成分が表面に溶け出して、白い結晶を作る現象だ。


 タイル張り構造の、最初の崩壊サインである。


 日本の現場では、ありふれた風景だ。


 だがリネアは俺の言葉に絶句していた。


「あなた様は……あなた様は本当に……」


「あんたが先に言ったんだろう、目地が腐ってるって。なら、原因も知ってるんじゃないのか」


「いいえ、私は、ただ、祖父に教えられた言葉を、繰り返しているだけです」


 リネアは目を伏せた。


「祖父は、最後の壁の守人でした。十年前に亡くなりました。それから、目地を、本当の意味で見ることができる者は、誰もいなくなりました」


 俺は、言葉を失った。


 壁の守人。


 タイル工に、聖人めいた呼び方をするこの世界。


「俺は、石田拓海。日本という国で、タイル工をやっている。気がついたらここにいた」


「ニホン」


「異世界、ってやつだ。たぶん、俺は、転生だか転移だかしたんだろう」


 俺はそう言ってから自分の言葉に呆れた。


 軽すぎる。


 でも軽くしないと、頭が追いつかなかった。


 リネアは、俺を見つめた。


 そして、恭しく、跪いた。


「拓海様、どうか、お願い申し上げます」


「やめろ。跪くな」


「世界の目地が、腐っております。剣も魔法も、それを直せません。あなた様だけが、それを、診ることができるのです」


 俺は、息を吐いた。


 訳が分からなかった。


 でも目の前で、十五歳くらいの少女が、震えながら祈っていた。


 俺は、彼女を立ち上がらせた。


「とりあえず、立て。詳しい事情を聞かせてくれ」


「……はい」


 リネアは立ち上がった。


 その時、頭上で、低い音がした。


 ポコ。


 聞き慣れた、濁った音だった。


 俺は反射的に、天井を見上げた。


 誰も、何も叩いていない。


 ただ壁の中で、小さな何かが、剥がれた。


 その音が、俺の耳には、なぜか、はっきりと届いた。


「拓海様、何が」


「壁が、鳴いた」


 俺は、呟いた。


 風もない地下祭室で、壁の内部の剥離音が、勝手に響く。


 そんなことは、現代日本ではあり得ない。


「リネア、これは、何の音だ」


 リネアは震える声で答えた。


「世界が、剥がれている、音です」


 俺の指は、いつの間にか、腰の打診ハンマーに伸びていた。


 幸い、転生する直前まで握っていたものが、そのまま、ベルトに差さっていた。


 俺は、ハンマーを抜いた。


「案内してくれ」


「え」


「上だ。聖堂の本堂に行く。壁を、全部、診る」


 リネアは、初めて笑った。


 涙が滲んだまま、それでも確かに笑った。


「はい」


 俺は彼女について、地下祭室の階段を上った。


 石段の一つ一つに、千年の重みがあった。


 階段を昇るたびに、壁から、ポコ、ポコ、と濁った音が、続いていた。

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