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タイル工が異世界転生して鏝一本で世界の崩壊を防ぎ、現場に帰ってきた話  作者: もしものべりすと


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第十八章 別れ

体が透けていくのは、痛くなかった。


 むしろ、最初の現場の朝に戻るような、静かな感覚だった。


 俺は聖堂の中央で自分の手を見つめた。


 わずかに、向こう側のステンドグラスの光が透けて見えた。


 戻る時間は、おそらく半日ほど。


 日が落ちる前には、俺はこの世界から消える。


「拓海様」


 リネアが俺の前に立った。


 彼女の目には、もう涙が滲んでいた。


「リネア」


「はい」


「俺は、戻る」


「はい」


 彼女はただ頷いた。


 止めなかった。


 止められないということを、彼女は最初から知っていた。


 俺は彼女を見つめた。


 最初に出会った時の、震える少女。


 今、俺の前にいる、しっかり立った聖女。


 彼女はもう、誰の助けも要らなかった。


 俺はベルトからノートを取り出した。


 四年分の打診記録。


「リネア、これを、お前に、置いていく」


「拓海様の、ノートを」


「ああ。お前のじいさんの施工要領書と、並べてくれ。同じ書式のノートが二冊、揃うから」


 リネアは震える手で、ノートを受け取った。


「これは、千年後の誰かが、また必要になった時に役に立つ」


「拓海様」


「お前が、後継者を育てろ」


「私が、ですか」


「ああ。お前はもう、立派な聖女だ。次の壁の守人を育てる責任がある」


 リネアはノートを胸に抱きしめた。


「やります」


 俺は頷いた。


 ヴァルトが近づいてきた。


「拓海殿」


「ヴァルト殿」


「貴公の名は、辺境ザールに、語り継がれる」


「やめてください」


 俺は苦笑した。


「俺は、ただの、職人ですから」


「だからこそだ」


 ヴァルトは深く頷いた。


「職人として、世界を救った男の名を、語り継ぐ。それが、辺境伯の、責務だ」


 俺は頭を下げた。


「ありがとうございます」


「貴公の世界の壁も、きっと、半端を、逃がせる」


「ええ」


 ヴァルトは剣の柄を、軽く叩いた。


「私も、貴公から、多くを、学んだ」


 俺は、もう一度頭を下げた。


 医療班から帰ってきたグロウブ老が、車椅子で運ばれてきた。


「拓海殿」


「グロウブ殿、もう、立ち上がれるんですか」


「振動魔導具の、副作用だ。少し、時間がかかる」


 老人は笑った。


「貴公の作業を、最後まで見られなかったのは、残念だ」


「お疲れさまでした」


「いや、まだ終わりではない」


 グロウブ老は車椅子の上で、俺を見つめた。


「私はこれから、あの古代モルタルの配合を、王国中の魔導士に教える。次の世代のために」


「いい話ですね」


「貴公のおかげだ」


 俺はグロウブ老の手を握った。


 干からびた軽い手だった。


 でも千年の知恵を握ってきた手だった。


 ギルドの方角から、走ってくる人影が見えた。


 ミラ受付嬢だった。


「拓海さん!」


 彼女は息を切らせていた。


「間に合った、間に合った」


「ミラさん」


「あの、これ、ギルドの、新しい登録札です」


 ミラは俺の手に、銀色の札を押し付けた。


 札には《白金》と刻まれていた。


「白金ランク、ですか」


「冒険者ギルド、王国本部からの、特別認定です」


「いや、俺、もう、戻りますよ」


「持っていってください」


 ミラは頬を赤くしながら、頭を下げた。


「最初、銅ランクで登録した時、本当にすみませんでした」


「いいんですよ」


「これ、お守りとしてでもいいので、お持ちください」


 俺はありがたく、それを受け取った。


 軽く笑った。


 日が徐々に傾き始めていた。


 俺の体は少しずつ透けていった。


 残された時間は、わずかだった。


「リネア」


「はい」


「最後に、一つ、いいか」


「はい、何でも」


 俺はリネアの両肩に、手を置いた。


 彼女の頭が、俺の肩にちょうど収まる高さだった。


「お前のじいさんに、伝言、頼める?」


「はい」


「『あんたのノートで、世界を直せた』、って」


 リネアの目から、涙がこぼれた。


「『ありがとう』って、伝えてくれ」


「はい、必ず」


 彼女は頷いた。


 俺は彼女の頭を軽く撫でた。


「お前も、ありがとう」


「拓海様」


「お前がいなければ、俺はロウェン師のノートに辿り着けなかった」


 リネアは俺の手を両手で握った。


 最初に目を覚ました時と、同じように。


 ただあの日と違って、彼女の手はもう震えていなかった。


「拓海様」


「うん」


「忘れないでください、あなたの仕事を」


 俺は深く頷いた。


 リネアは自分の首から、ペンダントを外した。


 古い銀のペンダント。


 石が嵌まっていて、その石の中に青い線が走っていた。


 古代タイルの一片だった。


「祖父が、私に残したものです。これを、拓海様に」


「いいのか」


「私には、もう必要ありません。私はこの聖堂に毎日立つことができますから」


 彼女は俺の首にペンダントをかけた。


 俺はそれを胸に当てた。


 ひんやりと冷たかった。


 そして、温かかった。


 夕日がステンドグラスを抜けて、聖堂中央に降り注いだ。


 俺の体はほとんど透けていた。


「リネア、ヴァルト殿、グロウブ殿、ミラさん」


「はい」


「皆、ありがとう」


 俺は深く頭を下げた。


 顔を上げた時。


 すでに視界が、白く、なっていた。


 最後に、見えたのは、リネアの、笑顔だった。


 彼女は笑っていた。


 目から、涙を、流しながら、それでもしっかりと、笑っていた。


「拓海様、また、いつか」


 彼女の声が、遠く、聞こえた。


 聖堂の鐘が、長く、鳴った。


 世界が、白く、溶けた。

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