第十五章 鏝を持つ者たち
辺境ザールの石工、修道院の煉瓦工、ドワーフの鉱夫まで──鏝を持つ者だけが、聖堂に集まった。
昼を回って、聖堂の中央広場では、本格的な作業が、始まった。
俺はまず、墨出しを行った。
ヴァルトが用意してくれた、長尺の麻縄と、墨壺。
現代日本のレーザー墨出し器はないが、麻縄と分銅で、垂直と水平を出していく。
千年前のロウェン師も、こうやって墨を引いたはずだ。
二時間で、聖堂中央の芯墨がすべて引き終わった。
「これが、芯墨か」
白髪の石工が、しゃがみ込んで、線を覗き込んだ。
「綺麗な線だな、兄ちゃん」
「ありがとうございます」
「俺は、五十年、石工をやってるが、ここまで、まっすぐな墨は、見たことねえ」
俺は控えめに頭を下げた。
別に特別なことはしていない。麻縄がまっすぐ引かれただけだ。
次は、剥離タイルの、撤去作業。
職人たちが、ノミとハンマーで慎重にタイルを剥がしていく。
古代のタイルは、希少品だ。可能な限り再利用するため、傷つけないように剥がす。
俺は剥がした後の下地を、診ていく。
石材の表面に、無数のひびと剥離痕。
予想していた以上に、悪い。
「これは、下地から、やり直しだな」
俺は独り言を呟いた。
ヴァルトが、隣で、聞いていた。
「直せるのか」
「直せます。ただ、補修モルタルが、大量に、要る」
「グロウブ老に、伝えよう」
ヴァルトはすぐに伝令を、走らせた。
二日目の朝、グロウブ老が錬金術師たちと、特殊な補修モルタルを運び込んできた。
「拓海殿、これを試してくれ」
白い粉と、青い液体。
俺はそれを配合通りに、混ぜた。
粘度が、現代日本の補修モルタルと、ほぼ同じ。
可使時間は、四十分ほど。少し短いが、扱える範囲だ。
「グロウブ殿、いい配合です」
「ロウェン師の文献を、再現した」
「これなら、千年、もちます」
俺は笑った。
グロウブ老は嬉しそうに、髭を撫でた。
二日目、三日目と下地調整が進んだ。
職人たちは、優秀だった。
俺が指示を出すと、すぐに理解して動いた。
現代日本の現場と、変わらない、いや、それ以上の連携だった。
彼らは、職人としての誇りを持っていた。
四日目の昼。
聖堂の入り口で、騒ぎが、起こった。
駆けつけてきたのは、教会騎士団の、鎧の集団だった。
先頭には、バルティス枢機卿の使いの、司教がいた。
「聖堂の修復作業を、即刻、中止せよ! これは、教会の許可なく、行われている、神聖冒涜である!」
ヴァルトの私兵が、立ちはだかった。
「これは、辺境伯の指揮による、緊急修復である。退かれたい」
「辺境伯にも、聖堂への口出しの権限はない!」
「では、力ずくで、押し通る」
ヴァルトは剣を抜いた。
司教は、息を呑んだ。
「貴公、本気か」
「世界の中心が、崩れかけている。ここで止めれば、貴公らも、私も、同じ穴の貉だ」
ヴァルトの目は、本気だった。
司教は、護衛の騎士たちと、押し問答を始めた。
その隙に、俺たちは作業を続けた。
夕方、グロウブ老が、倒れた。
高齢の体に、四日間の、徹夜作業は堪えていた。
「グロウブ殿!」
俺は、駆け寄った。
老人は、横たわりながら、薄く笑った。
「拓海殿……あとは、頼んだぞ」
「グロウブ殿、まだ、現場は、終わってない」
「私は、もう、力が、残っておらん。だが、振動魔導具は、誰でも、使えるよう、調整しておいた」
「グロウブ殿」
「拓海殿、千年前の職人の、子孫が、貴公の手で、世界を直す。これは、私が、最後に見たかった、夢だ」
「夢じゃ、ない」
俺は、グロウブ老の手を握った。
「現実です」
老人は、満足そうに頷いた。
医療班が、彼を、運んでいった。
俺は立ち上がって聖堂の、中央広場に、戻った。
四日目の夜。
半径二十メートル四方の、下地調整が、ようやく完了した。
明日からは、いよいよ再施工に入る。
「皆さん、今夜は、休んでください。明日、芯割りで、貼り始めます」
「分かった、兄ちゃん」
職人たちはそれぞれ、簡易宿に引き上げていった。
俺は聖堂の中央に、一人、残った。
月明かりがステンドグラスを通して、薄く降り注いでいた。
俺は芯墨の上に、跪いた。
目を閉じた。
ロウェン師、見ていてください。
あんたの、千年前の仕事を、引き継ぎます。
俺は、しばらくその姿勢で、いた。
顔を上げると、聖堂の入り口にリネアが立っていた。
彼女は近づいてきて、俺の隣に座った。
「拓海様」
「うん」
「祖父の、ノートを、ありがとうございます」
「お礼を、言うのは、こっちだ」
俺はリネアの頬の、傷を、見た。
まだ薄く、痕が、残っていた。
「すまなかった」
「拓海様が、庇ってくださいました。むしろ、感謝を」
「いや」
俺は、首を振った。
「俺は、現場で、君を、危ない場所に、立たせた。それは、職人として、失格だ」
リネアは、しばらく黙った。
やがて俺の手を握った。
「拓海様。明日、世界の中心が、修復されたら、世界は、どうなりますか」
「目地が、再活性する。世界の繋ぎ目が、繋がる」
「拓海様は、どう、なりますか」
俺は答えなかった。
答えが、なかった。
ただリネアの手が、温かかった。




