第十二章 中央タイルの崩落
打診の音が、止まらなかった。
聖堂中央、半径十メートル四方が、すべて、剥離していた。
俺は、最初の一時間で、それを、悟った。
ハンマーを、転がす。
ポコ、ポコ、ポコ、ポコ。
濁った音が、途切れない。
澄んだ音が、ほとんど、ない。
俺は、手を止めずに、リネアに告げた。
「リネア、これは、半径十メートルじゃない。少なくとも、二十メートル四方が、全部、来てる」
「全部、ですか」
「ああ。バルティスは、半径十メートル四方しか、知らなかったみたいだな」
俺は、汗を拭った。
時間が、足りない。
半径十メートルなら、五時間で、ぎりぎり。
二十メートル四方なら、最低でも十時間。
諦めるか。
いや、できる範囲で、進めるしかない。
俺はハンマーを転がし続けた。
ポコ、ポコ、ポコ──。
二時間が経った。
評議会の議員たちは、傍聴席で、退屈そうに、雑談を始めていた。
バルティスは椅子の上で、薄く笑っていた。
三時間が経った。
半分も、終わらない。
俺は、額に、汗を流していた。
四時間が経過したその時。
頭上で、何かが、軋む音がした。
俺は咄嗟に上を見た。
円天井の、中央部分。
そこに張られていた、巨大なモザイクタイルの一塊が、ぐらりと、揺れていた。
「拓海様、危ない!」
リネアの叫び声が、聞こえた。
タイルが、崩れ落ちた。
俺は咄嗟にリネアの方へ、駆け出した。
彼女は、聖堂中央のすぐそばで、記録を取っていた。
タイルが落ちる、その真下に。
俺は彼女に、ぶつかるように、突き飛ばした。
ぐしゃと、嫌な音がした。
俺の背中に、タイルの破片が、降り注いだ。
幸い、本体の塊は、リネアからはわずかに、外れた。
俺は痛みに、息を止めた。
背中が、熱かった。
血が、流れている。
「拓海様!」
リネアが、俺に縋りついた。
俺は、目を開いた。
彼女の頬に、血が流れていた。
俺の血ではない。
彼女自身の、血だった。
破片が、頬を、深く切っていた。
「リネア、お前」
「私は、平気です。それより、拓海様」
俺は、彼女の頬を見つめた。
白い祭服に、彼女の血が、点々と、染みていた。
ぱきりと、何かが、心の中で、折れた。
俺の不注意だった。
もっと早く、上の崩落の予兆を、見つけられたはずだ。
でも半径二十メートルの剥離を、五時間で、という、不可能な納期に、追い立てられて、見落とした。
「拓海様、私は、本当に、平気です」
リネアは、俺の手を握った。
評議会の議員たちが、ざわついていた。
バルティスが、笏杖を強く、叩きつけた。
「中止だ! これ以上、聖堂を、危険に晒すわけにはいかぬ!」
「猊下!」
ヴァルト辺境伯が、立ち上がった。
「これは、明らかに、異界の魔の力による、聖堂への侵攻だ! 壁屋は、聖堂から、即時、退去せよ!」
「バルティス、貴様」
「リネア聖女は、即時、私が保護する! 壁屋は、聖堂への立ち入りを、禁ずる!」
バルティスは護衛の騎士を、呼びつけた。
騎士たちが、リネアと俺を、引き離そうとした。
俺は、抵抗しなかった。
ただリネアの目を、見ていた。
彼女も、俺を、見ていた。
「拓海様、また、お会いできますか」
「会える」
俺は、それだけ答えた。
騎士たちが、リネアを引きずるように、奥へ連れて行った。
俺は聖堂の外へ、追い出された。
扉が、閉まる音が、した。
俺は聖堂の外、石段の上に、座り込んだ。
背中の傷が、ようやく痛み始めていた。
ヴァルト辺境伯と、グロウブ老が、駆け寄ってきた。
「拓海殿、医者を」
「いや、いいです」
「だが」
「いいんです」
俺は、立ち上がろうとした。
膝が、笑っていた。
「拓海殿」
「俺は、無能ですか」
ヴァルトは答えなかった。
答えられなかった、というほうが、近いだろう。
俺は、聖堂を見上げた。
遠くで、十二の鐘が、鳴り始めていた。
時間切れの、合図だった。
石畳の冷たさが、足場の鉄パイプの感触と、重なった。
現代日本の、あの落下の瞬間。
権藤の声が、頭の中で、響いた。
「お前なんざ、明日にでも替えが来るんだよ」
俺は、ここでも何者でもないのか。
千年前のロウェン師の、跡を継ぐと、思い込んだ。
でも結局、何も、できなかった。
リネアを、傷つけて、聖堂から、追い出された。
俺の手は、何も、直せなかった。
俺は立ち上がった。
ヴァルトの肩を、軽く叩いた。
「すみません、ヴァルト殿」
「拓海殿」
「少し、一人にしてください」
ヴァルトは無言で頷いた。
俺は、王都の、夜の街を、歩き始めた。
街灯の光が、滲んで、見えた。
涙が、出ているのに、気づいたのは、しばらく経ってからだった。




