63.2/21 舟葬
「本船は、現地時刻12時に予定通りチャコムへ下船開始予定です。下船されるお客様は、必ず現地時刻午後6時までに船にお戻りください。」
潮の香りが強い島だな、と思いながら街を歩いていた。
観光地らしい場所はガイドブックにいくつか載っていたものの、これといって「ここは絶対に見たい!」という場所があるわけでもない。
せっかくだから、もう少しだけ街の上の方まで歩いて、海でも見下ろしてみようか。 そのあと、少し早めの夕飯をどこかで食べられればいい。
そんなことを考えながら住宅街を歩いていると、ふと前方に人の集団が見えた。子供の姿も多い。
海へ続く緩やかな坂道を、ゆっくり、ゆっくりと下ってきている。やや前方には、何か箱のような大きなものを抱えた男性たち。 その周囲を、大人や子供たちが取り囲んでいる。
……なんだろう?
不思議に思って眺めていると、道を歩いていた人たちが、次々と動き始めた。慌てて道を引き返す人。 家の中へ入っていく人。 道の端へ寄り、頭を下げるようにして立ち止まる人。まるで、その集団を避けているようだった。
何事か分かっていないのは、どうやら私だけらしい。
『え、なに? どうすればいいの?』
キョロキョロと周囲を見回す。
集団から離れた方へ戻ろうかとも思ったけれど、そちらへ行ったところで目的地があるわけでもない。仕方なく、私も道の端へ寄った。周りに合わせるように、少しだけ顔を伏せる。
すると、すぐ近くにいた女性が、私を見て何かを叫んだ。
『〜〜〜? 〜〜〜!?』
早口で何かを伝えている。
『えっと……』
もちろん、分からない。
「セルマー公用語しか話せません…⋯…」
申し訳なさそうに伝えると、女性は困ったような顔をした。そして、私と近づいてくる集団を交互に見る。
『〜〜〜花! 花!』
「花?」
セルマー公用語で言ってくれたそこだけ聞き取れた。私が聞き返すと、女性は「そう!」とでも言うように頷いた。
そして突然、私のすぐ隣にある家のプランターへ手を伸ばした。たぶん知らない人の家だ。
ぶちっ。
『あっ』
花を一輪、容赦なく千切る。そして、それを私の手に握らせた。
「……?」
女性は花を指差し、それから坂道の方を指差す。
さらに、花を投げるような仕草。
「……これを、投げる?」
私も投げるような仕草をすると、女性が勢いよく頷く。なるほど、どうやら、あの集団が来たら花を投げるらしい。私はよく分からないまま、とりあえず頷いた。すると女性は安心したように微笑み、私の隣に並んだ。
集団が、ゆっくりと近づいてくる。さっきまでよく見えなかったものが、少しずつはっきりしてきた。
……箱じゃない。
抱えられているのは、箱ではなく、小さな舟だった。男性たちが両側から支えるようにして、一艘の舟を運んでいる。その中には、白い布に包まれた何かが横たわっていた。
道に残っていた人たちが、一人、また一人と舟へ花を投げ入れていく。
ふわり。
色々な色の花が舞い、舟の中へ落ちる。
『……。』
周囲からは、さっきまでのざわめきが消えていた。子供たちが楽しそうにおしゃべりしているのが不思議なほどよく聞こえる。それとは逆に女性の中には、目元を押さえている人もいた。
花を投げ終えた人は、静かに集団へ加わり、そのまま海の方へ歩いていく。
「……。」
私は手の中の花を見つめた。なんとなく、分かった。これはきっと、葬儀だ。知らない土地の、知らない人たち。言葉もろくに通じない。それでも、誰かを見送るために集まっているのだということだけは、不思議なくらい伝わってきた。
隣の女性を見る。
彼女も静かに舟を見つめていた。
私も手の中の花を、そっと握り直す。そして、舟が目の前を通り過ぎる瞬間、ふわりと花を舟の中へ投げ入れた。
白い布の上に花が落ちる。
ほんの一瞬だけ、隣の女性と目が合った。彼女は何も言わず、小さく頷いた。私も、同じように頷き返した。
花を投げ入れたからなのか、それとも、そこにいる者は誰でも参加するものなのか。よく分からないまま立っていると、隣の女性がぐいっと私の腕を取った。
『えっ?』
そのまま、当然のように集団の中へ引っ張り込まれる。
女性はしばらく私の腕を取っていたものの、集団の中へ入ると、もう大丈夫だと思ったのか、すっと手を離した。
……参加することになってしまった。
これ、きっと宗教儀礼だよね?
セルマーには地球とはまったく違う文化や風習がある。勝手に参加していいものなのだろうか。
そもそも、私は何をしているんだろう。
「……。」
ちらりと周囲を見る。誰も私を咎める様子はない。むしろ、自然に集団の一員として受け入れられているように見える。
とはいえ、もしこの先、私にはちょっと無理な宗教儀式が始まったら、静かに離脱しよう。そうしよう。
そんなことを考えながら、集団と一緒に来た道を戻っていく。向かう先は、もちろん海だ。
ゆっくりと坂道を下っていくうちに、さっきまで道を埋める程度だった集団が、少しずつ大きくなっていることに気がついた。
道端に立っていた人が、舟に花を投げ入れる。そして、そのまま集団の後ろへ加わっていく。家から出てくる人もいる。途中から参加する人もいる。
気づけば、私たちの後ろにはかなりの人数が続いていた。
現地の言葉が小声で飛び交い、時折、すすり泣くような声が聞こえる。子供たちは日本でも同じだと思うけれど、葬儀の重要性に気づいていないかのように賑やかで、まわりの大人は誰もそれを咎めたりたしなめたりしない。そのチグハグさが不思議な空気を作っていた。
海が近づいてきたのか、潮の香りが一段と濃くなる。
坂道の先に、青い海がちらちらと見え始めた、その時だった。道の端に、見覚えのある二人の姿を見つけた。
『…あれ?』
思わず足が止まりそうになる。
エリザベス。そして、その隣にモーガン。
どうやら二人も、私と同じように道の端へ避けているらしい。
大声で呼びかけたい。でも、今の空気でそんなことをしたら、とんでもなく場違いな気がする。
私はぐっと声を抑え、集団の端へ少しずつ移動した。花を投げ入れる二人にできるだけ近付き、目の前を通り過ぎる、その瞬間。
「エリザベス。モーガン。」
小声で呼びかける。
「……え?」
エリザベスが、はっと顔を上げた。モーガンも目を見開く。
一瞬、二人とも驚いたような顔をしたが、すぐに私の意図を察したらしい。自然な動きで集団の中へ入ってくる。
よかった……!
知っている人が来てくれた。
それだけで、さっきまで胸の奥にあった不安が少しだけ薄くなった。やっぱり知らない文化の中に一人で放り込まれるのは心細い。
隣を歩くエリザベスが、周囲を気にしながら小声で尋ねてきた。
「どうして、ここにいるの?」
「……なりゆき、としか言いようがないな。」
私は苦笑する。
「街を散策してたら、葬儀らしい集団が来て。よくわからないまま花を渡されて……花を投げ入れたら、そのまま腕を掴まれて組み込まれた。」
「なるほど……花を手向けてしまったのね。」
「うん。」
「それなら、もう最後まで葬儀に参加するしかないわよ。」
「やっぱり!?」
思わず声が大きくなりかけて、慌てて口元を押さえる。
エリザベスは困ったように眉を下げている。けれど、その目は妙に輝いていた。
「……でも、すごいわよ。」
「何が?」
「この島の葬送儀礼を、実際に体験できるなんて⋯!」
やっぱりだ。
いつものエリザベスだ。
さらに横を見ると、モーガンも神妙な顔をしているものの、どう見ても興奮を隠しきれていない。
時折、周囲を観察するように視線を動かしている。
「二人とも……こういう時まで民族学者なんだね。」
思わず呆れたように呟く。
「不謹慎なのはわかってるの! でも、だって、舟葬よ? こんな機会は滅多にないもの。」
興奮気味なエリザベスが小声で返す。
「学問としては知ってるのよ。サファと呼ばれる舟より前を歩いているのは近しい親族で、サファのすぐ後にいるのがいわゆる泣き女。泣き声と子供の笑い声で葬送するの。」
「花を投げ入れるのは、そうしないと魂の一部を持ち去られてしまうと考えられているからよ。近くを通る時、自分の魂のかわりに花を投げ入れるの。そして魂は花とくっついているから、亡くなった方のお見送りが終わるまでは一緒についていくのが習わしね。」
舟葬という儀式の説明を受けながら、私たちは膨れ上がっていく集団について歩く。
「私は『変な儀式が始まったら逃げよう』って思ってたんだけど。」
「それは……」エリザベスが少し考え、「やめておいた方がいいと思うわ。」と顔をしかめた。
「ですよねぇ……」
ため息が漏れる。
でも、不思議なことにエリザベスとモーガンが加わったことで、さっきまで感じていた不安がずいぶん小さくなっていた。少なくとも、何か分からないことが起きても、この二人なら意味を読み取ってくれる。そう思えるだけで心強い。
「まあ、分からないことがあったら私たちに聞いて。」
「頼りにしてる。」
小声でそう返すと、エリザベスは嬉しそうに頷いた。
そして、海へ向かって歩いていく。
先頭では、白い布に包まれたどなたかを乗せた小さな舟が、静かに運ばれている。その中には花が積み重なり、歩くたびに、ふわり、ふわりと揺れていた。
やがて坂道が終わり、目の前いっぱいに海が広がった。潮風が吹き抜ける。葬列は、そのまま海辺へと進んでいった。
着いたのは私たちの船が停まっている港とは、まるで違う場所だった。観光客が利用するために整えられた港ではなく、集落の人たちだけが使っているような、小さな入り江。白い砂浜と、ところどころに岩が顔を出す静かな海辺で、規模だけならプライベートビーチと呼んでもいいくらいだ。
さっきまで聞こえていた人々のざわめきも、海辺に着くと不思議なくらい小さくなった。波の音だけが、寄せては返している。
「……どうやって流すのかしら?」
隣でエリザベスが呟いた。
「離岸流に乗せる、って論文にはあったけど」
モーガンも海を眺めながら答える。
「この辺りに、自然に沖へ向かう流れがあるのかしら?」
「たぶん。だから海岸の形も、この場所が選ばれている理由の一つかも。」
二人はすっかり自分たちの世界に入ってしまった。
私は話しかけるのを諦めて、黙って集団の動きを眺めることにした。
やがて、男性たちの一部が動き始めた。
腰に巻いていた綱をほどき、それを自分の体へぐるりと巻きつけていく。一人ではなく、何人もの男性が同じように綱を身につけ、その綱の端を別の男性たちがまとめて握った。
どうやら、海へ入る人たちの安全を確保するためのものらしい。
女性たちは舟のそばに集まり、白い布に包まれた人を静かに見つめ、その周囲に積まれていた花を、ひとつ、またひとつと手に取る。そして、綱を身につけた男性たちへ手渡していった。
男性たちはそれを受け取ると、何も言わずに海へ入っていく。
ザブザブと波をかき分ける音がする。
最初は膝。次に腰。さらに進むと、水面が胸元にまで届いている。思っていたよりずっと深い。
それでも男性たちは慣れた様子で進み続け、岸からかなり離れたところまで行った。その位置で、男性たちが互いに目を合わせる。
ばさっ。
持っていた花を一斉に海へ放った。色とりどりの花が、波の上へふわりと広がる。まるで海面に小さな花畑ができたようだった。
男性たちはすぐには戻ってこない。
綱を握っている岸の男性たちも、女性たちも、子供たちも、みんな、ただ海を見つめている。私もつられるように海へ視線を向けた。
ゆらり。
ゆらり。
波に揺られて、花が動く。大半は波に押されるまま、ゆっくりと岸へ戻ってくる。
けれど、その中に、ほんの一部だけ。すっと沖へ向かって流れていく花があった。
『あ……』
思わず声が漏れる。
岸へ戻ろうとする花とは、明らかに違う。
沖へ。
遠くへ。
まっすぐに流されていく。
まるで、これから死者が向かう道を示しているようだった。
もちろん、ただの海流なのだろう。自然の流れなのだと頭では分かっている。
それなのに、その光景を見ていると、背中がぞわりとした。
偶然なのか。
それとも、この場所を選んだ人たちは、ずっと昔からこの流れを知っていたのだろうか。
そんなことを考えていると、海の中にいた男性たちが動き始めた。岸にいる男性たちが綱を引き、ゆっくりと戻ってくる。
水から上がった男性たちは、綱を外すこともなく、そのまま舟のところへ向かった。
何人かで舟の縁を掴む。ぐっと腰を落とし、「せーの」というような合図とともに、舟を持ち上げた。
そのまま、再び海へ入っていく。
波が男性たちの足元を洗う。舟が少しずつ水に浮かび始める。どうやら、これから舟そのものを海へ送り出すらしい。
周囲にいた人々も、誰一人として騒がない。泣いている人もいる。祈るように手を組んでいる人もいる。先ほどまで楽しそうだった子供たちも大人たちの後ろで、じっと海を見つめている。
私も、何も言わずにその光景を見つめた。
ここから先は、もう観光でも見学でもない。この島の人たちにとって、大切な人を送り出す時間なのだ。
やがて男性たちが舟から手を離すと、何かに導かれるように舟が沖へとひとりでに進み始めた。
男性たちは岸へ戻ってきて海の先を見つめる。
少しだけ重くなった胸の奥を軽くしたくて、私は両手を合わせて見知らぬ方のご冥福を祈った。




