62.2/20 ベネチアカーニバル
今日はいよいよベネチアカーニバルの日だ。
朝食へ向かう道すがら聞こえる音楽も、いつものゆったりとしたBGMではなく、カンツォーネだったか、陽気なイテリアの伝統音楽になっている。
しかも生演奏もそこかしこで行われ、朝からなんとも贅沢な気分だ。軽快なリズムに合わせて、通りかかった乗客が足を止めている様子もあり、まだ朝だというのに、すでにお祭りの空気が出来上がっている。
船内新聞によれば、今日はベネチアカーニバルにまつわるイベントが盛りだくさん。
仮面コンテスト、仮面を探せ!、ベネチア料理、仮面パレード、水上パレード等など⋯⋯。
しかも、昨日この新聞が配られた直後には、マリナから連絡が来ていた。
「明日は絶対みんなで回りましょう!」
という、妙に気合いの入ったお誘いだった。
もちろん断る理由なんてない。
むしろ私も楽しみにしていた。
ただし。
『午前中は仕事しないとなぁ…。』
新聞を畳みながら、小さくため息をつく。
さすがに一日中遊んでいるわけにもいかない。
幸い、午後からみんなで回る予定になっている。
だから今日の私の予定はこうだ。
午前 ─ 仕事。
昼食 ─ ベネチア料理のビュッフェ。
午後 ─ マリナたちとカーニバル巡り。
午前仮面コンテストはエントリーするつもりもないし、午後からでも十分楽しめるだろう。
すでに仮面をつけた乗客の楽しそうな様子を見て湧き上がる、朝から満喫したかったというわがままを、カーニバル仕様の衣装を着たクルーたちをみることで飲み込み、私は朝食を済ませて午前中は仕事に打ち込んだ。
午前中になんとか仕事に区切りをつけた私は、いつもより少し早めにビュッフェ会場へ向かった。
今日はベネチアカーニバル。
もちろん、普通の料理を食べるつもりはない。
会場の一角には、今日だけの特設コーナーが作られていて、そこには見慣れない料理がずらりと並んでいた。
おお、これがベネチア料理か!
料理名を確認しながら、まずはサルデ・イン・サオール。
そして、ビゴリ・イン・サルサ。
名前だけ聞くと、どちらも舌を噛みそうだ。
でも、なんだか外国っぽくて楽しい。
料理をたっぷり盛り付け、デザートにはフリッテッレとキアッキエレを選ぶ。
『よし。いただきます。』
まずはサルデ・イン・サオール。
口に入れた瞬間、魚の旨味と玉ねぎの甘酸っぱさが広がった。
おぉ! おいしい。
魚の南蛮漬けみたいに、魚料理なのに重たくない。
玉ねぎの甘みと酸味がいい具合に効いていて、さっぱりしているのに、後から魚の旨味がしっかり残る。
これ、好きだな。
次にビゴリ・イン・サルサ。
太めのパスタに、玉ねぎと魚を使ったソースが絡んでいる。
見た目はシンプルなのに、食べてみると味が濃い。
魚の塩気と玉ねぎの甘さが合わさっていて、太いパスタにも負けていない。
朝から仕事をしてきた身には、こういうしっかりした味がありがたい。
そして、お待ちかねのデザート。
まずはフリッテッレ。
ころんとした揚げ菓子を一口かじる。外側はさっくり。中はふんわり、しっとり。
『ん~~!』
思わず顔が緩む。
甘い。
でも、揚げ菓子特有の香ばしさがあって、ついついもう一口食べたくなる。
続いてキアッキエレ。
こちらは薄く伸ばした生地を揚げたお菓子で、粉砂糖がたっぷりかかっている。
パリッとした軽い食感とともに、口の中でほろっと崩れる。
軽いから、いくらでも食べられそう。
イテリア料理、とっても素敵だ。
特にサルデ・イン・サオールは、また食べたいと思うくらい気に入った。
午後からはマリナたちと合流して、いよいよカーニバル巡り。
私は最後のキアッキエレを口に放り込みながら、少し早く来たことを満足に思った。
食べ終わってしばらくするとセルヒオが現れ、アマンディーヌがきて、マリナとウィリアムが来て、バイロンがのんびり来たことで全員が揃った。
「まずは仮面コンテストを見に行くでしょ?」
もちろんそうよね、という感じのマリナの言葉に反論の言葉も出ず、みんなでコンテスト会場へと向かうことになった。
自分で作った仮面をつけて、いざベネチアカーニバルへ出発だ。
到着したエントランスホールには何百もの仮面が飾られていて、自分の簡易なマスクと同じ材料なのが信じられない程、華やかなマスクが多い。
「逆に黒に金も素敵だね⋯ええ、どれに投票しようか⋯⋯。」
「あのモスグリーンもいい色だし、でもあっちの飾りよかったのよね⋯⋯。」
マリナとアマンディーヌがすごく真剣に悩んでる中、男性陣はサッと投票を済ませ、待ちモードになっている。直感で決めた私も待ちモードだ。
「これでも急いだよ!」というマリナたちの投票を待って、水上パレード体験をするために甲板へ向かう。
「あれ、『ペストの医師』じゃないか!?」
バイロンが嬉しそうな声を出し、クルーと思わしき仮装の一人に近づいていった。
何のことだ?と首をかしげた私と違って、みんなは思い当たる節があるようでぞろぞろとあとに続く。
「ほら、『仮面を探せ!』のイベントに『ペストの医師』ってあったでしょ?」
アマンディーヌの説明にようやく思い出して、サコッシュから船内新聞を取り出した。
「仮面を探せ!」にあった、五人の仮装クルーを探して景品をもらうイベントだ。その中に「ペストの医師」という鳥型の仮面に黒づくめの仮装をした、今目の前にいる格好の写真が載っている。
台紙にスタンプを押してもらうと、みんなはすでに一人、二人発見していて、初スタンプは私だけのようだ。
「今からで全員みつかるかな?」
むっと口をとがらせた私の頭に、セルヒオが笑ってポンッと手を乗せた。
「サクラが探す気なら夜まで付き合うさ。」
「ありがとう、夜までかからずに見つかることを一緒に祈ってね!」
動揺を見せないようにニコッと笑って見せる。
「それもそうだな、早く見つかりますよーに!」
軽い返事にみんなで笑っていると、甲板へたどり着いた。思っていたよりも集まっている人数が少ないのは、一時間毎に行われるイベントだからだろうか。
船首に近い一角で待っていると、アナウンスが流れた。
「これより、本船周囲において水上パレードを模したホログラフィ映像が流れます。危険ですので、身を乗り出したり、物を投げたりといった行動はなさいませんよう、ご注意ください。繰り返し──」
「いよいよだね!」
念のため手すりを握りしめた私たちはわくわくとその時を待った。
少しだけ待って、時間になったのだろう。
スッ──
スッ──
「わぁ……!」
一隻。
また一隻。
さらにその奥にも。
まるで海の中から浮かび上がってきたかのように、細長い船影が前方左右に次々と姿を現していく。
ホログラフィ映像だと分かっている。
分かっているのに、思わず海面を二度見してしまう。
フォーマルナイトの時と違って明るいからだろう、少し映像が薄く感じる。
輪郭の周囲にわずかな光の揺らぎがあって、近くの海面が透けて見える。
それでも、技術に感動するほどリアルな映像だ。
波の動きに合わせるように船体が上下し、船に乗っている人たちの衣装まで細かく動いている。
細長い船の上には、仮面をつけた人々。
男性は華やかなスーツやマント、女性は色鮮やかなドレス。
大きな羽根飾りをつけた人もいれば、顔全体を覆うような白い仮面をつけた人もいる。
その船たちが、客船と同じ速度でゆったりと並走していく。
まるで、こちらが巨大な運河を進んでいるかのようだ。
「あ! 見て! あれ、ネズミよ! ネズミ!」
「うわ、大きいね!」
マリナが指差す方をみれば、船いっぱいに大きなネズミの模型が乗っていて、ウィリアムが笑顔で頷く。
賑やかに飾り付けられた船とは違って地味で、いやにリアルなネズミの模型は気づけば目をひく。
スッと船の間を縫うように前に躍り出たネズミは、パカっとその背中が開かれた。
すると、ブワッと大量のカラフルな風船が背中からあふれ出した。
広がって風に揺られ、空高く上がっていく風船は、一定の高さで空気に飲まれて消えていく。
儚くも美しいその光景に、周りの乗客からも「わぁぁ!」と歓声が上がる。
「本場だったら、あれが空いっぱいに広がるんだろうね〜!」
みんな同じ想像をしたようで、「きれいだろうね」と同意の声が上がる。
自分が水上パレードに参加しているかのような錯覚を起こす映像は、船を飾る風船や花、仮装した乗客のドレスやスーツの華やかさに心躍る気分にさせてくれた。
興奮冷めやらぬまま、次は仮面パレードに参加するため私たちはプロムナードデッキへ向かった。
すでに賑やかな音楽が流れ、集まっている人もたくさんいる。
その周りを船内カメラマンが写真を撮っていて「俺もあっちに行きたい」とセルヒオが口を歪めるのを笑ってたしなめ、私は仮面をしっかり付け直した。
バイロンとウィリアムは無地の白い、目元だけ隠す仮面で、他の四人は自分たちで作った仮面だ。
「うーん、こうしてみると、ちゃんと作ればよかったような気がしてくるな。」
バイロンがそう言いながら自分の仮面をつまらなそうに摘んで振る。
「作ればよかったのに。」
アマンディーヌが白と金の仮面の下に優雅な笑みを作った。
「最終日に申し込もうとしたら、定員オーバーだったんだよ。」
「僕は作る気がなかったけど⋯⋯白もシンプルで仮面ぽいけどな。」
ウィリアムが付けた仮面を指で押す。
「セルヒオみたいな黒の方がかっこいい気がするだろ?」
「まぁ、白は『オペラ座の怪人』感あるわよね。」
「お? なるほど、むしろフル仮面にしたほうがよかったのか。」
「え、オペラ座の怪人目指すの?」
そんな話をして笑っていると、時間になったようで、仮装したクルーの声がマイク越しに聞こえてきた。
「皆様、大変お待たせを致しました。これより、プロムナードデッキを一周し、メインホールを目指してパレードを行います。走らず、前方との距離を空けすぎず、パレードをお楽しみください。」
興奮した空気に包まれる中、クルーがさらに高らかに声を上げた。
「本日は皆様が主役です! 思い切り目立って、楽しんでください!」
「わぁぁ!」とそこかしこで歓声が上がった。
バイロンなんて指笛まで鳴らして大盛り上がりだ。
バイオリンやトランペットの音楽に合わせて、パレードの一団がゆっくりと進み始めた。
仮面を付けただけの私服の人が多いけど、中にはマントやタキシードを着た男性や、ボリュームのあるドレスに華やかなヘアセットをした女性もいて、本場さながらな気分になる。
パレードには参加せず写真を取っている人もいて、私はなんだか恥ずかしかったけど、マリナやアマンディーヌは優雅にポーズをとったりしている。
「ね、恥ずかしいことない?」
素朴な疑問を口にすれば、二人は顔を見合わせて笑った。
「今は仮面つけてるんだから、別人よ、別人。」
「そうそう、どうせ船の上で非日常なんだから、楽しんだもの勝ちでしょ?」
そうか、そうかも知れない。
何度か頷いて納得していると、マリナがセルヒオにスマホを渡した。
「ほら、ブルーの仮面の鳥の女王! 写真写真!」
くるりと振り返って後ろ向きに歩きながらセルヒオがカメラを構えた。
「もっと寄って!」
マリナに引き寄せられて、私とアマンディーヌはぎゅうぎゅうにくっついて笑った。
見せてもらった写真はきれいな空と海、カラフルな仮面の一団、その中で満面の笑みを浮かべる三人という素敵な写真だった。
「仮面を探せ!」イベントは、みんなあと一人二人を見つけられず、景品ゲットならずでした。




