61.2/19 泳ぐ島
「本船は、現地時刻午後1時に予定通りピビアスへ下船開始予定です。下船されるお客様は、必ず現地時刻午後7時までに船にお戻りください。」
「見えてきた!」
デッキに出ると、誰かが弾んだ声を上げた。
私も手すり越しに前方を見つめる。
青い海の向こうに、大きな島影がゆっくりと姿を現していた。
『あれが『泳ぐ島』かぁ……。』
思わず独り言が漏れる。
昨日の船内新聞でも特集が組まれ、船内講座でも紹介されていた有名な寄港地。
もちろん、島そのものが泳ぐわけではない。動かない本島と、いくつかの小島を囲むように集まっている無数の「島」が、実はアスピドケロンという巨大な亀型モンスターなのだ。
遠目に見える景色は、まさに群島そのものだった。
中央には堂々とした本島。
その周囲には大小さまざまな小島が点在している。
けれど、よく目を凝らすと違いが見えてくる。
『あっ、動いた。』
右手側にあった小島が、ほんの少しだけ位置を変えた。
ゆっくり。本当にゆっくり。波に流されるようにも見えるし、自分の意思で泳いでいるようにも見える、不思議な速度だ。
しばらく見ていると、今度は別の小島が少しずつ離れていく。
「あっちも。」
近くで見ていた乗客も気付いたらしい。
「あれ、本当に動いてる。」
「島が動いてる……いや、泳いでる?」
そんな声があちこちから聞こえてきた。
驚くのも無理はない、ガイドブックで知っていてもやっぱり不思議だった。
だって島にしか見えないのだ。
アスピドケロンの背中には分厚く土が積もり、一面に草が生えている。中には低木どころか立派な木まで根を張っている個体もいるという。
遠目では甲羅の輪郭などまるで分からない。完全に小島だ。
だからこそ、その小島がゆっくり位置を変える様子は現実味が薄く、まるで巨大なジオラマを眺めているような感覚になる。
本島だけは、どっしりと動かない。その周囲を、生きた島々が思い思いの場所へ移動しながら囲んでいる。それは本島を守る衛兵のようにも、のんびり散歩を楽しむ羊の群れのようにも見えた。
『あれがアスピドケロンかぁ……!』
本で読んだ知識と、実際に目にする光景の一致に、わくわくするのが止められなかった。
島が近づくにつれ、疑問がわいてきた。どうやって島に着岸するんだろうか?
本島の周りには小島も亀もうようよしていて、どう見ても停められる場所がない。
どうするんだろうと思っているうちに、客船は群島の右側へ回り込み始めた。
比較的近くに本島が見える位置に着くと、小島を避けるように──たぶんどれかはアスピドケロンだろうけど全部島にしか見えない──小舟がわらわらと本島から近づいてきた。
「皆様、これより汽笛が何度も鳴り響きます。着岸に必要な措置であり、非常警報ではございません。繰り返し──」
そんなアナウンスが流れ、「カンカンカンカン」と金属同士がぶつかる甲高い音がし始めた。よくよく見てみると、出てきた小舟からの音のようだ。
小島に寄り添うように近付き、小舟の側面につけた金属を棒で打ち付け、カンカンと音を鳴らす。
すると、その音を避けるようにのんびり小島が動き始める。
暴れることも、大きな波が立つこともなく、騒がしくはあるが、あまり強引さのないやり方で、徐々に徐々に本島への道ができていく。
本当にこの幅を、この大きな客船が通れるのか?
そんな疑問が残るくらいの幅の海の道が出来上がった。
まだ小舟はうろうろと動き、はぐれアスピドケロンが道の中にいたりするけれど。
客船はねじ込むように海の道へ船首を入れ込んだ。
ボァァァァァァ!!
大きな汽笛が鳴り響き、アスピドケロン達は音を避けるようにさらに道を広げる。
船は汽笛を鳴らしながらゆっくり、ゆっくりと進む。
見下ろせば、ぶつかるのではないかと思われる距離に小舟やアスピドケロンがいる。でも、船の引き起こす波に押されるように、ぶつかることはない。ギリギリの中でもギリギリに見えるけれど。
本島が間近に迫り、客船が着岸したのは小島の1つだった。
小島からは木の橋が島と島を結ぶようにかけられ、目でたどっていけば本島まで続いているのがわかった。
下船案内の放送が流れ始めた。
私は今日のツアーを申し込んでいたため、一般の乗客よりも一足早く下船できる。
見えていた木の橋は思っていたよりも簡易なもので、大人二人が並んで歩けるくらいしか幅がない。
揺れたりしないだけありがたいけど。
落ちたらどうするんだろう?という不安がつきまとうのを振り切って、私は無事に本島までたどり着いた。
島に着くと、参加するツアーの団体が見えた。
ガイドさんが人数を確認しながら、救命器具だという分厚いベルトのようなものを両腕に巻いてくれた。
今日の説明を受けて、全員が揃うと出発だ。
案内された小舟にツアー客六人と船員二人ずつ乗り込み、小島の間をすり抜けるようにして船は進む。
どうなっているのかわからないが、櫂はあまり使われておらず、なのにそこそこのスピードが出ている。
船員さん二人は手を海にかざしているだけで、歌っているわけでもないのに不思議だ。
──いや、歌で進むのも十分不思議だったわ。
気になって、前にいる船員さんへセルマー公用語で尋ねてみる。
「これは、どうやって動かしているんですか?」
船員さんは私を見てにこっと笑い、何か答えてくれた。
『〜〜〜〜。』
現地語のようで、一単語も分からない。
困って笑い返すと、船員さんも事情を察したらしく、肩をすくめて笑っていた。
ガイドさんのように共通言語を話せる人ではなかったようだ。
『ま、魔法の一種なんだろうね。はぁ、素敵。』
小さく呟きながら、私は諦めて流れていく景色へ視線を戻した。
こうして小舟で海へ入ってみても、小島なのか亀なのか、全然わからない。動いているのはアスピドケロンで、動かないのは──島か、アスピドケロン。亀形だから一応手足や頭があるはずだけど、海へ光が入る明るさの範囲では見えない。
ガイドブックでは「アスピドケロンの息継ぎが見えるとその日はラッキーな一日でしょう☆」って書いてあったけど、手足すら見えないんだな。
通り過ぎる動く島々に頭と手足を探しながら、しばらく進む。
「着きました。準備します。」
ひとつの小島に寄り添うように停泊し、地球公用語で船員さんがそう言った。
着きました、ってことはこの島はアスピドケロンってことか!
どこで判断しているんだろう?
ただの四、五メートル程の高さの断崖絶壁の島にしか見えないが、船員さんは不自然に島から生えた二本の金属の丸フックに手早くロープを巻き付けた。
そして長いはしごを組立て、島に──アスピドケロンに立てかける。
船の底の凹みにはしごを押し込むとガコンッと音がなり、固定されたようだ。
船員さんが一人、するするとはしごを登っていく。
ツアー客の全員が顔を引きつらせた。
「はしごを登って上陸します」という字面から想像していたよりも、高いし不安定そうだし垂直だし、これを登るのかという戸惑いが見て取れる。
もちろん私も同じ思いだ。
「準備ができました。」
残っている船員さんがにこりと笑って手をはしごへ向けた。
誰から行くのか、譲り合いというか、押し付けあいというか⋯⋯空気の読み合いが一瞬起こる。
誰も動かない数秒間が流れ、小舟の上に気まずくも可笑しい沈黙が落ちた。
「じゃあ僕から。」
年配の男性がそう言って、迷いなくはしごに手をかけた。
するすると軽い足取りで登っていく後ろ姿に押されるように、
「じゃあ次は私が。」
「続きます。」
と、一人、また一人とはしごへ向かっていく。
譲り合っているうちに、気付けば最後に残ったのは私だった。
『……よし!』
小さく気合を入れ、覚悟を決める。
両手ではしごをしっかり握り、一段ずつ慎重に登り始めた。
下は見ない。
見たら怖くなる。
そう自分に言い聞かせながら、一歩、また一歩と体を持ち上げていく。
思っていたより、はしごはしっかりしている。
これなら大丈夫かも。
そう思い始めた、その時だった。
ゆら──。
ゆら──。
「……?」
最初は気のせいかと思った。
けれど次の瞬間、握っているはしごが確かに左右へ揺れた。
『え? えっ!?』
思わず足が止まる。
すると上から船員さんの落ち着いた声が飛んできた。
「大丈夫です。そのまま登ってください。」
ほぼ同時に、下の小舟からも別の船員さんが声をかける。
「止まらず登ってください!」
いやいやいやいや! 揺れてるって!!
心の中で盛大に叫ぶ。
けれど、船員さんたちの様子は驚くほど落ち着いている。
……プロがそう判断するなら、ここで止まる方が危ないんだ。
私は覚悟を決めた。
手を強く握り直し、足場を確かめながら、一気にはしごを登る。
一段。
また一段。
あと少し。
「はい、もう少し!」
最後の一段を登ると、上で待っていた船員さんが手を差し伸べてくれた。
その手をしっかり握り、ぐいっと引き上げてもらう。
両足が地面についた瞬間、全身の力が抜けた。
『はぁぁぁ……! 怖かったぁぁ!!』
思わず大きく息を吐く。
降り立ったアスピドケロンの甲羅の上は、相変わらずかすかに揺れていた。
足首ほどの草が風に揺れ、小さな花があちこちに咲いている。
低木では鳥がさえずり、草むらからは虫の羽音も聞こえてくる。
どこをどう見ても、穏やかな自然に囲まれた小島だった。
ただ一つ違うのは、その島全体がゆっくりと動いていること。
固定されたはずの小舟ごと、海の上を静かに進んでいる。
遠くから眺めていた時は、本当にゆっくり泳いでいるように見えていた。
けれど実際に背中へ乗ってみると、その速度は思っていたよりずっと速い。
海面が少しずつ流れていく様子を見ていると、自分が巨大な生き物の上に立っていることを改めて実感する。
「大丈夫でしたか?」
振り向くと、最初にはしごを登った年配の男性が心配そうに声をかけてくれていた。
「いえ……怖かったです。」
苦笑しながら正直に答えると、男性も「ああ、それはそうですよね」と笑う。
その一言に、周りのツアー客からもくすくすと笑い声が漏れた。
「これから、アスピドケロンについて説明をします。質問は、島に戻ってからガイドにしてください。」
船員さんがカンペのような紙を持ってゆっくり話始めた。
説明するだけの地球公用語は覚えてくれたが、自由な会話は難しいのだろうと判断する。
「わかりました。」
ツアー客の返事に、船員さんは満足そうに頷いて続ける。
「草、花を取る。木を傷つける。木の実を取る。すべて禁止です。危険を感じたアスピドケロンは海に潜ります。背中にあるものは、生き物以外アスピドケロンの背中に直接生えています。取られると痛いです。」
なるほど。
草一本でも、私たちで言えば髪を無理やり引き抜かれるようなものなのかもしれない。
「アスピドケロンは長生きです。数百年生きると言われています。島の守り神でもあります。雄は生涯で海に潜るのは小さな亀の時期、数十年の間だけ、大人になると潜らなくなります。」
だから島になるのか、と納得する。
「背中にたくさんの木や草が生えている雄個体はモテます。海に潜ると背中から草木が落ちてしまいますので、潜りたくないのです。雌は海中で暮らしていますが、産卵時期になると海上に上がり、雄を選びます。」
説明を一通り聞き終え、自由散策となった。
広さは学校の体育館四、五個ほどだろうか、島としては大きくないが、生き物だと思えばものすごく巨大だ。
草原の中を歩き、小さな花を眺め、海を背景に写真を撮る。
潮風が心地いい。
……ただ。
アスピドケロンは今もゆっくりと泳ぎ続けている。
端へ近づけば、真下には青い海が広がっているのが見える。
さすがにこの揺れの中そこまで行く勇気はなかった。
満足した頃、下の方から大きな声が響いた。
小舟に残っていた船員さんが何かを叫んでいるようだ。
それに島の上の船員さんが大きな声で返事をした。
二人は何度かやり取りをすると、こちらへ向き直る。
「そろそろお時間です。これ以上遠くへは行けません。」
振り返れば、初めに見ていたよりも本島が遠くに見える。
慌てて全員がはしごの方へ戻り始めた。
そして。
「じゃあ順番にどうぞ。」
再び現れた、あの垂直のはしご。
この揺れ中、はしごを使う状況に、みんな怖がっていた。
私なんて行きも揺れてたからね!
下りはさらに怖かったけど!
すみませんが、来週はお休みをいただきます。




