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60.2/18 糸の国

「本船は、現地時刻11時に予定通りフルトナウゼンへ下船開始予定です。下船されるお客様は、必ず現地時刻午後5時までに船にお戻りください。」



『うわぁ!』


風を感じながら馬車に揺られた私たちツアー客を出迎えたのは、川沿いに並ぶいくつもの大きな水車だった。ばしゃん、と水が落ちる音が響き、ゴトンと何かが落ちる音が鳴る。

その奥には広大なお花畑が広がり、一面の白いお花が風に揺れていた。れんが造りの工場のような建物がいくつかあるだけで、どこか牧歌的な景色だ。


「はい、到着です。あちらへ行きましょう。」


ガイドさんに案内されてついていくと、花畑の中に収穫作業をする人がちらほらいるのが目に入った。体格的に男の人のようだ。背中に大きな籠を背負って、黙々と作業している。

その中の一人が、私たちに気づいてこちらに近付いてくる。


『〜〜〜。』

『~〜〜。』


ガイドさんが手を上げて何かを言うと、にこやかに男性も返事をした。


「それでは、収穫体験からいたしましょう。籠をもらってください。」


収穫の人たちとは違って、片手で持てそうなくらいの大きさの籠が一人ひとりに手渡される。

私も頭を下げて受け取る。

行き渡ったのを見た男性がひとつ頷いた。


『~〜〜。』

「今から説明をしますので、よく見ていてください。」


話しをしながら、白い花の中央に手を入れる。

蓮の花のような造りの花は、蓮なら黄色い中心部分に黒い塊があった。

男性は花全体を逆の手で支えて、黒い塊を取り出した。


『これが『王妃の糸』の元になる種です。』


アーモンドくらいの大きさの種が、ぎゅっと八個ほどくっついたものが『王妃の糸』と呼ばれる高級糸の原材料だそうだ。


『採る時は逆の手で花を支えて──』

『花を傷つけると次の種ができないから気をつけて──』

『収穫出来るか大きさで迷ったら採らずに──』



ガイドさんの通訳を聞きながら何度か種を採って見せてくれるのを、参加者は真剣に聞く。


「では、時間になりましたらまた声をかけます。」


ガイドさんの合図で、私たちはそれぞれ好きな場所へと向かった。


ど・こ・に・行・こ・う・か・な!


収穫作業をしている人の周りは邪魔になりそうで、私は人を避けて畑へ入った。

花をよく見てみると、説明にあったように成長過程だと思われる小さな種も混じっていた。

籠を下に置き、確実に大きいと思われる一輪にそっと手を伸ばす。

左手で花を下から包むように支え、種を引っ張る。


⋯⋯あれ、採れない?


説明されていた時にはあんなに簡単に採れていた種が、全然採れない。

というか、力をどこまで入れていいのかわからない。花を傷つけそうで怖いからだ。

グググっと力を入れてみるが、やっぱり採れない。

首をかしげてこの花を諦め、隣の花に手を伸ばす。

下から支える、種をしっかりつかむ、採る!⋯採る!

⋯⋯採れない!!


んんんん???


まごまごと戦っていると、ガサッと土を踏む音が近付き、私は振り返った。

作業の男性が近づいて来ていた。

邪魔だったのだろうか。そう思って避けようとすると手招きをされた。

花をつかみ、もう一度手招きをする。

説明してくれるようだ、と気付いて手元を覗き込む。


『〜〜〜、〜〜〜。』


何かを説明してくれながら、種を掴んだ手を大げさに回転させる。

するり。

種は簡単に採れていた。

なるほど!

コクコクと頷いて見せ、私も種が大きな花に手を伸ばす。

くるり。

今度はスポッと簡単に採れた。


『やったぁ! 採れた!』


初収穫に喜んでいると、男性はピッと私を指さしニカッと笑った。

そして片手を上げ、自分の作業に戻っていく。


「ありがとうございます!」


せめてとセルマー公用語でお礼を伝える。

男性はもう一度手を上げて去っていった。


そこから、私は黙々と作業をして、ガイドさんから声がかかる頃には籠いっぱいに種を抱えていた。

左手からは花の香りが漂っていて、頑張りを認めてくれているようだ。

大きな籠に採った種をまとめるため列に並ぶと、説明してくれていた男性が私の籠をのぞき込んだ。


『〜〜〜!』

「たくさん収穫出来ていると、褒められていますよ。ぜひうちで働いてほしいそうです。」


ガイドさんが笑って通訳してくれるので、私も思わず笑ってしまった。


「セルマーに引っ越してきたら、ぜひ働かせてください。」

『〜〜〜。』


ガイドさんが通訳してくれると、男性ははははっと笑って私を指差した。




収穫体験が終わり、今度は糸踏み体験に移った。

工場だと思っていた建物に案内される。

ガイドさんのあとについて歩き、先ほど遠くから見えていた赤れんが造りの建物へ入る。

近づくにつれ、水音がだんだん大きくなっていく。

ざあ……。ぱしゃ、ぱしゃ。

建物の扉をくぐった瞬間、ひんやりとした空気が肌を撫でた。


中は思っていた工場とはまるで違っていた。

大きな部屋の中央には、円形にぐるりと巡る幅広い水路が造られている。

浅い水が絶えず流れ込み、水車によって新しい水が次々と送り込まれていた。

その水路の中には、裾をももまでたくし上げ、生足を水に浸した女性たちが何十人も並んでいる。

一定のリズムで、足踏みをして、何かを踏んでいる。

ぱしゃっ。ぱしゃっ。

時折小さな水しぶきが上がるが、誰もが慣れた様子だ。


「ここでは、先ほど収穫した種から中身を取り出し、『王妃の糸』の原料を作っています。」


ガイドさんがそう説明しながら、水路へ手を差し入れる。

引き上げられた手には、先ほど見た黒い種がいくつか握られていた。

よく見ると、種の割れ目から白い綿のようなものがふわりと顔を出している。


「こうして踏み続けることで、種の中身だけが少しずつほぐれ、糸の原料になる繊維が自然と水に浮かび上がってきます。」


私は興味深く覗き込んだ。


「もちろん現在では、水車を利用した機械で取り出す施設もございます。」


ガイドさんは建物の奥を指差す。

そちらでは木製の大きな装置が水車と繋がっており、ゆっくりと回転していた。


「ですが、柔らかな足裏で時間をかけて踏み出した繊維は傷が少なく、美しい艶を持ちます。」


その言葉に、私はもう一度女性たちの足元を見る。

ゴロゴロと埋め尽くされるように転がった種が、踏まれるたびにあちらこちらへ動いている。


「そのため、この方法で作られた糸は最高級品とされ、『王妃に献上されるにふさわしい糸』として古くから珍重されてきました。」


なるほど。

名前だけではなく、本当に王族へ献上されるような品だったのか。


「また、高貴な女性へ献上する糸を作るという意味合いから、この作業は昔より男子禁制とされていました。」


ガイドさんは少し申し訳なさそうに男性参加者へ向き直る。


「現在でもその伝統は残っています。そのため女性の皆様にはこちらで糸踏みを、男性の皆様には隣の作業場で種皮を取り除いたり、水面へ浮かんできた糸の原料をすくい上げる工程を体験していただきます。」


男性たちから「なるほど」「そういうことか」と納得したような声が上がる。

誰も不満そうな様子はない。

むしろ珍しい文化に興味津々といった表情だ。

私も思わず自分の足元を見た。


「……裸足ですか?」

「はい。」


誰かの質問に、ガイドさんが笑う。


「靴下が濡れても困ると思いますし、裸足でお願いいたします。」


いざ体験となると、なんだか少し緊張してくる。

壁際に寄って靴を脱ぐ。

床はひんやりとしていて、外の暑さが嘘のようだった。

靴下も脱ぎ終え、裾を膝まで折り返す。

ももまでは上がらないけど、ぬれないだろうか?

周りの参加者たちも少し照れくさそうに笑い合いながら準備を進めている。


「それでは、こちで足を洗ってください。」


案内された水路の隅で足を洗おうと水に足をつける。


『おぉ……!?』


思わず肩が跳ねる。

川の水らしく、驚くほど冷たい。

でも、その冷たさが心地よくもあった。


きれいになった足を汚さないように円形の水路の縁を歩き、そっと縁に座った。

流れる水は透き通るほど澄んでいて、底には黒い種がたくさん沈んでいた。

静かに両足を沈めると、水面が小さく揺れ、足首を優しく包み込んだ。

ゴロゴロと足の裏で種を感じる。


まだ裾を捲っている人もいる中、私は一番乗りのようだ。

ぐっと足に力を入れ、立ち上がったその瞬間──


『いったっ!!!』


ざばっ! パシャパシャ⋯⋯。


足裏に走った激痛に耐えきれず、私は足が汚れるのも厭わず水から飛び出した。

施設の中の視線が私に集まるが、そんなことを気にしてられないくらいの衝撃だった。

じん、じん、じん⋯⋯。

足の裏がまだじわじわと痛みを訴える。


『え、え? なに? めっちゃ痛い。え、なに?』


「なに?」「大丈夫?」と心配するツアー客とは対象的に、それを見ていた種踏みの女性たちが、耐えきれないように「うふふ」「クスクス」と柔らかく笑い始めた。

ガイドさんもニコニコと笑っている。


「大丈夫ですか? 体に悪い所がたくさんあるのではないですか?」

「悪い所⋯⋯? あっ!」


わかった! 足つぼだ!

硬い種を大量に踏んだことで、足つぼマットを踏んだのと同じような痛みが走ったんだ!


「踏み慣れていないと、痛く感じる方もいらっしゃいます。皆さんも体験してみてください。」


手を差し出して私が起き上がるのを助けながら、ガイドさんがそう言った。

周りの女性陣はお互いの顔を見合ったり、恐る恐る水路をのぞき込んだり、先を譲る姿勢にかわってしまった。


種踏みの女性たちは、こちらへおいでと手招きをしたり、「大丈夫よ」とでも言うように優しく笑いかけたりしている。けれど、ツアー客は誰一人として立ち上がれず、水路の縁に座ったまま顔を見合わせていた。

私はもう一度足を水で洗い、縁に腰掛ける。

深呼吸をひとつ。

よし!

覚悟を決めた……とはいえ、さっきのように勢いよく立ち上がる勇気はもうない。

恐る恐る、へっぴり腰でゆっくりと腰を浮かせる。

体重が足裏にかかった瞬間。


『い、いたたたたたたっ……! うぅぅ~っ!』


思わず小さくうめき声が漏れる。

足の裏中から一斉に悲鳴が上がるような感覚だ。

それでも何とか立ち上がることには成功した。

その様子を見ていたツアー客たちも、それぞれ覚悟を決めたらしい。


「うわっ、痛っ!」

「いったぁ……!」

「うぅ~、イタタタ!」


あちこちから似たような悲鳴が上がり、水路は一瞬だけ笑いと悲鳴が入り混じった不思議な空気に包まれた。

その様子を見ていた種踏みの女性たちは、口元を押さえてくすくす笑っている。

その時、トントン、と肩を叩かれた。

振り向くと、隣にいた女性がにっこり笑い、たぶん「こうするのよ」と言いながら、お手本を見せるようにリズミカルに足を踏み始めた。

ザブッ、ザブッ、ザブッ。

慣れた動きで力強く踏み込むたび、水しぶきが小さく跳ねる。

私はその動きを見て、首を横に振った。

「無理です」という気持ちを込めて、両手も顔の前でぶんぶん振る。

じんじんと足裏を襲う痛みはまったく引いていない。

ここからさらに足踏みなんて、絶対に無理だ。

周りの女性たちが「ほらほら」と励ますように笑っているのが伝わってくる。

その期待に応えたい気持ちはある。

……でも。


『ごめんなさい、無理ぃ……。』


私は限界を迎え、再び縁へ腰を下ろした。

その姿に女性たちから「うふふ」と優しい笑いが漏れる。

馬鹿にされているというより、小さな子どもを見守るような笑い方だった。

水から足を引き上げ、意味もなく両手でさすってみる。

もちろん痛みは少しも変わらない。

このまま何もしないのもなんだかな、と私は座ったまま、両足をぱしゃぱしゃと上下に動かし始めた。

立って踏めなくても、水中で動かすくらいなら何とかなる。

元々ツアー客を戦力として数えているわけではないのだろう。

女性たちは「うんうん」と頷きながら、温かい目で見守ってくれていた。

そのまま同じ場所を踏み続けていると、不思議なことに、最初は石のように硬く感じていた種が、少しずつ柔らかくなってきた気がした。


『……あれ?』


期待して、さらに足を動かす。

ザブ、ザブ、ザブ。

すると。

ぽこん。

小さな音を立てて、一粒の種が水面へ浮かび上がってきた。

黒い殻が割れ、中から白い綿のようなものがふわりと顔を覗かせている。


『やった!』


思わず声が弾む。

私は急いでそれを拾い上げた。

立って踏んでいる女性たちの速さには到底及ばない。

それでも、自分の力で一粒だけでも割れたことが嬉しかった。

割れた種を眺めながらにまりと笑っていると、それに気づいた女性たちがこちらを見て微笑み、たぶん「よかったわね」と声をかけてくれる。

その笑顔があまりにも優しくて、なんだか子どものお手伝いを褒められたみたいで少し照れくさい。


「えへへ……。」


笑って頭を下げる。

もう少しだけ頑張ろう。

そう思って再び足を動かそうとした、その時だった。

籠を抱えた男性がやって来る。

慣れた手つきで、ザザザッと大量の新しい種を水路へ撒いた。

黒い種が水底いっぱいに広がり、ようやく柔らかくなってきていた足元の種は、あっという間に新しい種へ埋もれてしまう。

……また一からか。

思わず肩を落とした、その直後。


「皆さん、そろそろお時間です。」


ガイドさんの声が響いた。


「あっ、はい。」


私は冷え切った足を水から上げ、タオルで軽く拭く。

そして見守ってくれていた女性たちへ向き直り、セルマー公用語で頭を下げた。


「ありがとうございます。」


女性たちは嬉しそうに笑い、それぞれ手を振って見送ってくれる。

私も何度も手を振り返しながら、水車小屋を後にした。



次に案内された建物は、雰囲気ががらりと変わっていた。

販売所なのだろうか、壁一面の棚には、繊細なレースで作られたリボンやハンカチ、ストール、スカーフが所狭しと並べられている。


「わぁ……。」


思わず感嘆の声が漏れる。

さっきまで泥や水にまみれて種を踏んでいたとは思えないほど、そこは『王妃の糸』が最高級品と呼ばれる理由を、一目で理解できる場所だった。


奥には何やら作業している人がいて、カチャカチャカチャカチャと音が響いている。


「お土産を見る時間はあとで取ります。最後の見学はレース作りです。見るだけになりますので、作業の邪魔にならないようにご注意ください。」


手前の作品溢れる販売所を通り過ぎ、音の方へと近づいていく。

一人一台のテーブルに座った女性たちが、一心に手元で何かを動かしている。

女性たちの手元には、細い糸を巻き付けた木製のボビンが何本もぶら下がり、まるで生き物のように動いている。

カチャ、カチャ、カチャ、カチャ。

一定のリズムで鳴り続ける音が工房いっぱいに響き、不思議と心地いい。

私は以前、地球で本かテレビだったかで見たことがある。


『ボビンレース……だったかな。』


土台に刺した無数の待ち針へ糸を絡めながら、何十本ものボビンを交差させ、少しずつ模様を織り上げていく技法。

知識としては知っていた。

けれど、実物を見るのは初めてだった。

速い。とにかく速い。指先が見えないほどの速度でボビンが入れ替わり、交差し、また戻っていく。

それなのに⋯⋯。

出来上がっていくレースは、驚くほどゆっくりだった。

ガイドさんから声がかかるまで見つめていても、進んだのは二センチほど。

それだけしか進んでいないのに、その二センチには花びらや葉脈まで繊細に織り込まれていて、小さな芸術作品のようだった。


しばらく見学したあと、ガイドさんが静かに声をかける。


「それでは、お待たせしました。販売所をご覧ください。」


名残惜しく工房を後にし、私たちは再び手前の販売スペースへ戻った。

近くで見る作品は、どれもため息が出るほど美しい。


細いリボン。

テーブルクロス。

ショール。

刺繍入りのストール。


どれも白を基調としていて、繊細な美しさがあった。

が、値札を見て、私は思わず小さく息をのむ。

……高い。

もちろん安くはないと思っていた。

でも、さっき職人さんの手仕事を見てしまった今なら納得できる。あれだけの時間と技術が詰まっているのだ。むしろ適正価格なのかもしれない。

自分用に一枚くらい……。

そう思いながら歩いていると、小さめのレースハンカチが目に留まった。

縁いっぱいに花のレースがあしらわれ、中央には小さな花模様が散りばめられている。

派手ではない。

けれど、上品で可愛らしい。


『……これ、好きだな。』


そっと持ち上げる。

柔らかく、それでいてしっかりした質感。

値段を見る。

うーん……。

決して安くはない。少しだけ迷う。

その時、ふと二人の顔が浮かんだ。

アマンディーヌとマリナ、こういうの好きそう。

ベネチアンマスク作りでも、綺麗な装飾に目を輝かせていた二人。

きっと、このレースも気に入る。


『せっかくだし……。』


私は棚から同じ柄のハンカチを三枚取り出した。

一枚は自分用。

そして二枚は、お土産。

三人お揃いのものだ。なんだかそれだけで少し嬉しくなる。

レジへ持っていくと、店員の女性が丁寧に薄紙で包み、小さな箱へ入れてくれた。

大事にトートバッグへしまいながら、私は自然と笑顔になる。

喜んでくれるといいな。

船へ戻ったら渡そう。

二人がどんな顔をするのか、少しだけ楽しみだった。


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