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51.2/9 アシアンデー

 いつも通りに朝食を済ませた時から気になっていたけど、我慢して仕事を進めた。そして早めのお昼休憩にした私は船内冒険に出かけた。


 船内が春節仕様になっていて、見てみたくなったのだ。上階へ向かう階段には、赤い布が手すりに巻かれていて、途中途中に桃の花の造花。ほんのり甘い香りまでする気がする。


 プロムナードを歩くと、生演奏が聞こえてきた。いつものジャズではなく、今日はどこか東洋風の旋律。立ち止まってしばらく聞く。

 人が行き交う音。 食器の触れる音。 遠くの笑い声。

 船って、街みたいだなと思う。

 ふと窓の外を見ると、海は静かだった。青い海と、ガラスに映る赤い提灯。その対比が妙に綺麗で、しばらく見入ってしまう。

 誰かと来る旅もいいけれど、こうして一人で気ままに歩く時間も好きだ。誰にも合わせなくていい。 気になったところで止まって、飽きたら次へ行ける。

 それは贅沢だ。

 もう一度音に耳を澄ませ、私はゆっくり歩き始めた。


『あ……すごい。』


 思わず小さく声が漏れる。

 吹き抜けのショッピング通り着くと、赤と金を基調にした飾りがあちこちに吊られている。 天井からは房飾りのついた提灯。 柱には金文字の書かれた赤い対聯(ついれん)。 いくつかのお店の入口の前には、大きな紙細工の飾りが置かれ、福の字が逆さに貼られていた。


『福が来る、だっけ。』


 どこかで聞いた知識を思い出して、ひとり頷く。

 いつもの豪華客船のきらびやかさとはまた違う、祝祭の華やかさがあった。赤って、こんなにわくわくする色なんだなと思う。

 しばらく見て回っていたら、獅子舞の頭まで飾ってあるのに気付いた。


「写真撮ってもらえますか?」


 近くにいた年配のご夫婦に頼まれて、記念写真を撮る。 お返しに撮ってもらって、少しだけ観光客気分になる。一人なのに、一人じゃないみたいな気軽さが船旅にはある。

 普段はブランド店が並ぶ通路にも、赤いランタンが連なっていて、ショーウィンドウには金色の龍が這っている。龍の胴がやたら長くて、なんだか愛嬌がある。

 かわいい顔してるなぁ。龍ってもっと怖いものかと思っていた。

 途中、バーラウンジでは春節限定カクテルなんて看板も出ていた。 金粉入りらしい。

 ちょっと気になる。

 でも昼から飲む気分でもなく、今日は見るだけ。


 そのままブラブラとエントランスホールに向かう。そこには、オレンジが山のように積まれた飾り台があった。 近くにいたクルーが笑って教えてくれる。


「縁起物ですよ。富と幸運です。」

「へぇ、かわいい。」


 よく見ると金色の小さな飾りが実に結ばれていて、本当に宝の山みたいだ。

 その周りには長机がいくつも並び、机の上には赤や金の紙飾り、のり、房飾り、小さな札が広げられている。


「春節ランタン作り体験」


 と書かれた看板が目に入った。


『へぇ、こんなのやってるんだ。』


 覗き込むと、スタッフがにこやかに手招きした。


「作っていきませんか?」

「え、いいんですか?」

「もちろん。完成したら龍に飾れますよ。」


 龍?

 その言葉につられて奥を見ると──


『うわ……!』


 思わず声が漏れた。

 エントランスを登りながら突き進むように、巨大な龍がいた。

 いや、龍「になりつつあるもの」と言うべきか。

 骨組みに無数の手作り提灯が飾り付けられていて、それが鱗のように連なり、うねる胴体を作っている。 もう形は十分わかる。 口を開けた龍の頭が吹き抜けの方を向き、長い体は階段脇を蛇行しながら伸びていた。しかもかなり大きい。二階の回廊近くまで頭が届いている。


「乗客みんなで作ってるんですよ」 スタッフが少し誇らしげに言う。


「夜には点灯予定ですので、ぜひ一つ作っていってください。」


 文化祭と巨大アートとお祭りが混ざったみたいで、一気にテンションがあがった。


「やります!」


 即答していた。

 席につくと、作るのは思ったより簡単だった。蛇腹状になった赤い紙飾りをそっと広げて、円筒状に整えて留める。 それだけで、ころんとした提灯の形になる。


『かわいい。』


 思わず笑う。

 下には金色の房飾りをつけるらしい。揺らすとしゃら、と小さく鳴る。


「願い札も書けますよ。」


 小さな赤札を渡される。ペンを持って、少し考える。

 幸福? 健康? 旅の安全?

 迷った末に、『良縁』と書いた。


 書いた瞬間、セルヒオの顔が浮かんでしまい、「いやいやいや。」と一人で赤くなる。誰も見ていないのに、妙に恥ずかしい。

 完成した提灯は思っていたより可愛くて、なんだか愛着まで湧く。


 完成品を眺めていると、「どこにつけますか?」 とクルーが聞いてくれた。


「え、選べるんですか?」

「もちろん。」


 部屋に飾って明日には持て余すより、せっかくなら龍につけたい。階段を上がれば上の方にもつけられるらしいが、高いところは人気のようで、すでに隙間がない。私は中腹あたりを選んだ。

 スタッフと一緒に飾りつける。

 自分の作った提灯が龍の一部になる。なんだか不思議な気分だ。

 少し離れて全体を見ると、自分の提灯がもうどれかわからない。でもそれがいい気もする。一人ひとりの小さな飾りで、一匹の龍ができていく。


『いいね〜!』


 しばらくその場で他の人たちが作るのを眺めていた。

 夫婦で色を選んで揉めていたり、 一人旅らしい青年が真剣に願い事を書いていたり。みんなそれぞれの提灯が龍の鱗になっていく。その感じが妙に温かい。


「頭の方、すごいですよ。」


 スタッフに言われて二階から見に行く。

 上から見下ろすと圧巻だった。提灯の龍がエントランスを泳いでいる。赤と金が照明にきらきらして、 今にも空へ昇りそうだ。

 しかも所々、乗客の個性が出ている。絵を描いている人。 派手に飾る人。 願い札を何枚も下げてる人。統一されてないのに、まとまって見える。龍ってこういう生き物なのかもしれない。混沌ごと抱えて一つになる感じ。


「サクラ?」


 聞き覚えのある声に振り返ると、セルヒオがいた。


「え、セルヒオ!?」

「何してるんだ?」


 笑って近づいてくる。


「龍を作ってたんだよ! 私の提灯もあるんだ。」

「どれ?」

「……もう分からない。」


 二人で笑う。


「じゃあ俺も作るかな。」

「え、ほんと?」

「せっかくだし。俺のも隣につけたい。」


 その言葉に、胸がちょっと跳ねた。

 隣。

 その響きだけでちょっと嬉しくなるなんて、単純だ。

 セルヒオがスタッフに材料をもらいに行く背中を見ながら、私は龍を見上げる。自分の小さな提灯はどこかわからない。でも確かにこの龍の一部だ。

 旅で出会った縁みたいだなと思った。

 一つひとつは小さいのに、 集まるとこんなに大きく、鮮やかになる。

 龍の腹の下で揺れる赤い提灯たちは、まるで生きているみたいに、静かに揺れていた。



「意外とこういうの好きなんだ?」

「嫌いじゃない。旅先でその土地っぽいことするの好きだし。」


 スタッフから材料を受け取ったセルヒオと一緒にまた座る。

 材料を並べ、確かめる手つきが妙に慣れている。


「絶対器用なやつだ。」

「なんだその決めつけ。」


 笑いながら紙飾りを広げると、案の定、あっという間だった。蛇腹の紙を破くこともなく、きれいに丸く整えて留めてしまう。


「早っ。」

「こんなもんだろ。」


 私が最初ちょっと手こずったのが恥ずかしくなる。

 下の房飾りまでつけ終わると、スタッフが願い札を差し出した。


「願い事書けるって。」

「お、いいな。」


 セルヒオは迷いなく筆を取った。さらさら、とすぐ書く。


「何書いたの?」


 覗こうとすると、ひょいと紙を引く。


「秘密。」

「え、なんでよ。」

「願い事は人に言うと叶わないかもだろ。」


 そう言って笑う顔が妙に少年っぽい。


「私は書いたの見られても平気なのに。」

「何て書いた?」

「それは秘密。」

「おい。」


 二人で吹き出す。

 結局お互い見せないまま、願い札はそれぞれの提灯に結ばれた。


 そして飾り付け。


「この辺でいいか?」


 セルヒオが龍の中腹あたりを指さす。ちょうど私の提灯がある辺りだった。

 心臓がひゅっとなる。

 え、待って。そこ私の……!

 でも名前は書いていない。 願い札も小さい。 わからない、はず。わからないよね。

 そう自分に言い聞かせながら、平静を装って頷く。


「うん、その辺バランス良さそう。」


 内心どきどきだ。

 セルヒオが手を伸ばして自分の提灯を吊るす。

 そのすぐ近く。ほんの少し離れたところに、私の提灯。

 良縁。

 ぶら下がってる。見える位置じゃない? いや小さいし読めないよね? もし見られたらどうしよう。『お前これ書いたの?』とか言われたら恥ずかしすぎる。平静を装いながら、脳内だけ大騒ぎしていた。

 セルヒオは龍全体を少し離れて眺めて、


「悪くないな。」


 満足そうに言っただけ。

 ……気づいてない。

 たぶん。

 きっと。

 たぶん。

 ほっと息が抜ける。よかった……! こんなことで緊張してる自分がばかみたいで、少し笑ってしまう。


「何笑ってる?」

「いや、龍って思ったより壮観だなって。」


 半分本当。

 セルヒオは疑いもせず頷いた。


「完成したらもっとすごいだろうな。」


 二人でしばらく見上げる。

 赤い提灯が揺れて、龍の体が生き物みたいに見える。

 その中に、私とセルヒオの提灯が並んでいる。

 偶然だけど。偶然なのに、 ちょっとだけ嬉しい。

 ⋯言えないけど。



 午後の光が吹き抜けから斜めに差し込んでいた。そろそろ夕方だ。


「じゃ、俺ちょっと部屋戻るわ。ディナーまでにシャワー浴びたい。」

「あ、わかった!」


 なんだかこのままもう少し一緒にいたい気もしたけれど、そんなことは言えない。


「またディナーで。」

「うん、またディナーで。」


 軽く手を上げて、セルヒオは去っていく。

 見送ってから、もう一度龍を見上げた。

 セルヒオの提灯。その近くの私の提灯。誰にもわからない、小さな秘密みたいで。胸がふわっと熱くなる。

 ……気づかれなくて本当によかった。

 でも少しだけ。ほんの少しだけ、もし気づいていたらどうなってたんだろう、とも思ってしまう。日本語だし、抽象的な内容だし、きっと大丈夫なんだけど。

 見つかったら心の中を覗かれてしまうような気になってしまった自分に苦笑して、私は赤い提灯の下を、ディナーへ向けてゆっくり歩き出した。




 夜のダイニングは、いつも以上に華やいでいた。赤い提灯の飾りが窓際にも灯り、テーブルには金糸の入ったランナー。 メニューも春節の特別ディナーのようだ。


「今日は中華らしいわよ、楽しみ!」


 マリナがメニューを開いた瞬間から声を弾ませる。


「船旅のいいところは、イベントメニューが本気なところよね。」


 同じようにメニューを見ながら、エマが微笑んだ。


「祝日って世界共通で食が豪華になるの、いい文化だと思う。」


 ディックが真顔で頷いて、みんなが笑った。

 私たちはいつもの丸テーブルに座っていた。

 私はできるだけメインダイニングでディナーを食べているけれど、それでもバイキングで手早く済ますこともある。セルヒオはその傾向が強いから、8人が揃うのは久々な気がした。


「サクラ、今日なんだか機嫌よくない?」


 席につくなりエリザベスがにやりとする。

 昼間のランタンのことが一瞬よぎる。


「え、そう?」

「なんか顔がふわふわしてる。」


 セルヒオが水を飲みながら、ちらっとこっちを見る。

 やめて。後ろめたいことなんて何もないけど、なんとなくバレたくない。


「春節飾りが楽しかったからじゃない?」


 と誤魔化す私と対照的に、セルヒオはあっさりと言った。


「一緒に龍も作ったしな。」

「えっセルヒオも!?」


  マリナが食いつく。


「ああ、隣で作ったんだよ。」

「隣で、って。」


 エリザベスが面白そうに私に視線を投げた。

 嫌な予感しかしない。

 幸いそこで前菜が運ばれてきて、話題が流れた。

 ⋯助かった⋯!


 蒸し鶏のネギ生姜ソースは艶やかで、 香りだけで食欲が出る。


「これおいしい……。」


 しっとりした鶏肉に、ねぎと生姜の香りがふわっと広がる。


「このクラゲ好き。」


  ウィリアムがこりこり音を立てる。


「食感が楽しいわよね。」


 マリナも嬉しそうだ。

 紅白なます風の中華マリネはほんのり甘酸っぱくて、春節らしく縁起物っぽい。


「赤白ってお祝いっぽくていいね。」


  私が言うと、モーガンが顔を上げた。


「日本もそうなの?」

「うん。紅白はおめでたい色。」

「ふーん。やっぱり地理が近いと、似るところがあるんだな。」


 モーガンがしみじみ言う。

 そこへフカヒレスープが運ばれてきた。金色に近い透き通ったスープは、これがフカヒレなんだろうなという半透明な具材とかき玉が浮かんでいる。とろみのあるスープをレンゲですくうとふわりと湯気が立つ。


「うわ、これ贅沢。」


 一口飲んで思わず目を閉じる。優しいのに深い。


 その後すぐに来たのは迷いに迷って頼んじゃった、メイン1品目の水餃子。中央にタレの小皿があって、その周りをむっちりもっちりとした水餃子が円状に並んでいる。

 かじりつけば酸味のあるタレが、もっちりした皮から溢れる肉汁とマッチして予想通り美味しい。


「これ何個でも食べられる。」


 マリナが真顔で言うのが面白くて、私は笑って頷いた。


 そしてメイン二品目には、私は豚角煮の八角煮込みを選んだ。

 艶やかな角煮が祝い麺の上に乗っている。ナイフで切るまでもなくで触れただけでほろりと崩れる。


「うわ……柔らか。」


 口に入れた瞬間、 八角の甘い香りが抜ける。


「これ好きだぁ……。」


 思わず漏らせば、セルヒオが笑った。


「サクラ幸せそう。」

「今かーなーり幸せ。」


 本音だったけど、それを聞いたセルヒオはまた笑った。

 隣ではディックが丸ごと蒸し魚を頼んでいて、「見てこれ、顔ある。」 とマリナが半笑いだ。


「春節は魚が縁起いいといわれているのよ。」


  エマが説明する。


「余る、って意味と音が似てて豊かさの象徴なんだとか。」

「さすが民俗学者。」


 私は感心してそういうと、モーガンが笑った。


「セルマーのだけどね。」

「あ、そうだったね。」


 誤魔化すように笑った。

 タイミングよくデザートが来た。

 お祝いのデザートらしい揚げ年糕(ニェンガオ)は、茶色い6Pチーズを揚げたような見た目だ。口に入れてみれば外さくっ。 中もっちりねっとり。ほんのり甘い。


「なにこれ好き。」

「なんだろう、新食感ね!」


 私が即座に言うと、マリナもうっとり噛み締めている。

 エリザベスは胡麻団子を頼んでいて、「一個食べる?」 とわけてくれる。

 割ると黒胡麻餡がとろりと出てきて何個でも食べられそうだ。


「危険。」

「太る味。」

「祝日はゼロカロリー。」

「それはない。」


 みんなで適当なことを言って笑う。

 最後に、選んだジャスミン茶が運ばれてきた。ふわりと花の香りが広がる。いつもの食後の紅茶じゃなく、 今日はこれが妙にしっくりくる。

「春節っぽい締めね。」 エマが湯気越しに微笑む。

 少し静かな時間。賑やかな笑いの後の、心地いい余韻。


 私はカップを両手で包みながら、 ふと今日の龍を思い出す。私の提灯とセルヒオの提灯が並んで揺れてる。

 春節の赤い灯りの下、お腹も心も満たされて、なんだか今日は縁起がいい日だなと思った。

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