愛しい人との逢瀬は続く
日は沈み夜に移り変わる。
天井から吊るされる古めかしく凝ったデザインの室内灯が学院図書館を明るくする。
窓辺に並べられた机たちの一画に白髪の少女グレイス・クイントスがいた。
グレイスは授業が終わると学院の敷地内にある図書館に向かい、五冊ほど棚から本を取ると机に広げ、読んで、紙に書いてを黙々と続けていた。
「……………っはぁ〜〜」
キリのいいところまでいき、丸まっていた背筋を伸ばす。
ふと、壁に掛けられる時計を見ると短針が十九時を示していた。
すぐに頭で、ここから屋敷に着くまでの時間を組み立てる。
「そろそろね」
グレイスは呟き、席を立つ。
広げていた紙を丁寧に束ね、読んでいた本を元の棚に戻す。
王国一番の教育機関である『ラフォール魔術学院』は図書館に所蔵されている本の量と質も王国一と言えた。
それがグレイスには好評だった。
また、内装も気に入っている。
グレイスにとって図書館は居心地が良くて、自分の研究に没頭できる良い環境だといえた。
「唯一の欠点は時間を忘れて集中出来るところかしら。
ダメね。
じゃないと彼を待たせることになっちゃう」
グレイスは薄く赤くさせた頬に手を当て恋する乙女のように呟くと図書館を後にした。
数分歩くと正門に着く。
「………」
無言で懐から学生証を取り出し、二人いる衛兵のうちの一人に見せる。
「お疲れ様です」「お疲れ様です」
グレイスは会釈で返して、学院を後にする。
王都の少し外れに位置するラフォール魔術学院。
学院に続く坂を下ると、景色は王都の街並みに変わる。
発展した科学技術によりコンクリートで出来た建物や街灯、路面電車。
数こそ少ないが確かな存在感を放つ、重厚な石造りと装飾の教会などが王都の歴史の深さを感じる。
「ーーー」
城下町の少し外れの小高い丘の上に存在するラフォール魔術学院の生徒は通常、寮で生活する事になっているが、在籍する殆どの生徒が貴族である学院の中でも、一部の更に高貴な身分の生徒は特別に自宅から通う事が許されている。
グレイスの家もその特別だった。
「この時は流石に自分の家に感謝したわね。
自分でラフォールへの進学を希望したとはいえ、私には寮生活なんて、絶対にできないもの」
何より研究の邪魔はされたくない、グレイスの思いは口に留める。
「それにしても、ラフォールといっても結局は大した事はなかったわね」
街灯や建物に遮られた星空を見上げて笑う。
グレイスの頭の中で今日と昨日の事が一通り思い起こされる。
教師や生徒のレベルは案外普通、教える内容もそんなに難しくなかった。
唯一、評価出来るのは環境ね。
王国一の教育機関に対して下に見る感想。
それは当然とも言えた。
グレイスの生家であるクイントス家は『剣聖』と第二都市を治める公爵都市長を代々継ぐ由緒ある家系であり、それ故に幼少から高度な教育を受けていた。
また、既に『剣聖』は親から継承されていた。
グレイスには自分と張り合える様な相手は、そうそういないのだ。
「………ただ、」
そんなグレイスにも印象に残る人物が何人かいた。
学長フレヤ・グラースやセルーナ・ロトアマリリス。
他にも何人もの強者や秀でた者たちがいる。
しかし、そういう分かりやすい奴らを差し置いて、妙に気になる奴がいた。
「一人、気になる。
確か、アイト・フローラルハート」
思ったよりもスムーズに口から出た。
初めて会ったのは入学式の日の壁上だった。
最初は何でここに、こんな時間に人がいんのよって、「邪魔」って思ったかしら。
でも、当たり障りのない会話をしてーー
「似てるって思ったんだ」
上手く言語化出来ないけど、アイトは彼に少し似ている気がする。
私が一生涯を傍にいる事を誓った大切な人に。
だから、組合を申し込んだのだ。
「………………」
余計な感情を捨て、組合を思い返して分析する。
「結果は何とも言えないわね」
動きのキレや身体能力は至って普通だが、剣筋や状況判断には見どころがあった。
通常、この二つは同じように伸びていく筈だが、アイトは『体』の部分が『技』に比べて大きく劣っているわ。
「チグハグよ」
とは言っても、ラフォールの学生と比べたらアイトは強い方なのでしょうけど。
グレイスの視界にクイントス邸があった。
夢中になってアイトについて考えている間に、貴族街に入り、屋敷付近まで来ていた。
ちなみに貴族街は第一都市の中心部に位置している。
アイトについて考えるのは、ここら辺にして、彼への対処は警戒程度に留めておきましょう。
「私も暇ではないわ。やる事がある」
それに別の男の事を考えて彼に会うなんて、彼に失礼だわ。
屋敷の目と鼻の先に来たからか、グレイスは小走りになって扉の前に行く。
「ドンドンドン」
扉を叩くと両開きの扉が開く。
屋敷の中に入ると玄関の脇にグレイスを出迎える老人がいた。
「おかえりなさいませ、グレイスお嬢様」
その男を老人と呼ぶほど老いた印象はないが、年齢的には老人だろう。
背筋はピシッと伸びており、佇まい、身だしなみ、振る舞いが上品であった。
白髪に、整えられた髭を持つ、この老人はジェームズ。
ジェームズはグレイスの父が子供の頃からクイントス家に仕えている古参執事だ。
「ただいま、ジェームズ。あなたも、お出迎えご苦労様」
「いえいえ、これが私の仕事ですので」
「変わらないわね」
「ほっほっほっ」
ジェームズは綺麗に整えられた髭を触りながら笑う。
笑い方は、どこにでもいる陽気な老人の様で、彼の内面を感じさせる。
アイリスは慣れた調子で、傍に控えるジェームズに制服の上着を渡す。
「居間で紅茶でも飲みますか?学院の話を聞きたいですし」
「いいえ、やめとくわ。
研究を少しでも進めたいの。
自分の部屋に居るから一時間は邪魔しないでちょうだい」
「グレイスお嬢様は相変わらず熱心でいらっしゃる。
分かりました。
夕食が出来上がるのは、もう少し先なので、夕食が出来上がりましたら、お呼び致します」
「ええ、それでお願い。
ラフォールについては、夕食時にでも話すわよ」
「楽しみに待っております」
グレイスは自室がある二階へ行く。
背を向けるグレイスにジェームズはお辞儀をして送る。
「……………」
グレイスが階段を登りきり、背が見えなくなると一人の若い使用人の女性がジェームズに声をかけた。
「お嬢様はどちらに?」
「自室へ。一時間は邪魔をするなと言われました。
他の皆にも伝えてください」
「分かりました。
それにしても、お嬢様は本当に魔術が好きですね。
お嬢様の魔術好きは子供の頃からなのですか?」
若い使用人の女性が微笑みながら尋ねる。
時間だけをみたら、下手しい現在の当主よりもクイントス家に関わっているジェームズに聞けば、答えが返ってくると思ったのだろう、実際に答えは返ってきた。
「いえ、そんな事はありませんでしたよ。どちらかと言うと魔術嫌いでしたね」
「ええっ!そうなんですか!」
ジェームズの返答は使用人の女性の予想とは異なる回答で思わず、驚きの声をあげる。
それをジェームズは口に指を当てて、優しく嗜める。
使用人の女性は慌てて口を塞ぎ、今度は小声で言う。
「魔術嫌いのお嬢様は、ちょっと想像できないですね。
違和感まで感じちゃうかも」
「ほっほっほっ。
グレイスお嬢様の子供の頃は何処にでもいる様なお転婆娘でした。
よく街に遊びに出掛けては、同い年くらいの子供たちと遊び、暗くなってくると服を泥だらけにして、帰ってくる。
グレイスお嬢様は、魔術の訓練や勉強より、遊びぶことの方が好きなご様子。
将来、家名に恥じない淑女になれるかと心配でした」
昔を懐かしむ老人の目をするジェームズ。
自然と口角が上がる。
「しかし、『あの事件』以来、グレイスお嬢様は貴族に相応しい振る舞いを覚え、なさる様になり、魔術にのめり込むようになりました。
私はどちらか、というと今のグレイスお嬢様の方が違和感を感じます。
………………それに少し怖いです」
積み重ねられて来た物、築き上げられた物の土台が、すげ変わっても変わらず立ち続けているのなら、有象無象が気付くことはないし、気付けない。
「怖い?私には気が強い立派な女の子に見えますけど。
それに将来クイントス家を継ぐために立派に成長なさっていると思いますよ」
「はい、私もそう思います。
ですが、やはりグレイスお嬢様は変わられた」
「う〜〜ん。やっぱり、気のせいだと思います」
「そうですね。私の考えすぎですね。
さっ、長話し過ぎました。仕事に戻って下さい」
ジェームズは急かすように言う。
使用人の女性は、は〜いと仕事に戻っていく。
一方、部屋に戻ったグレイスはベットの側まで行くと制服を脱ぎ、放り投げる。
下着姿のままに、クローゼットから部屋着を取り出して着ると、取り敢えずは完了。
ベットに倒れ込み、目を瞑る。
「ちょっと、休憩。意外と疲れた」
数分間、そうしていると、一気に眠気が襲ってくる。
このまま、こうしていれば数十秒で寝れる。
「……」
だが、やる事が残っている。
「………はっ」
ここで寝る訳にはいかないと、根性で起き上がるものの、まだ動く気にはなれない。
グレイスはベットの上で、ぼーっと部屋を見渡す。
部屋は広い割に物が殆ど置かれていない。
ベットやクローゼット、化粧台などの必要最低限な家具のみだ。
自室というのは、その人の趣味嗜好や性格、地位などパーソナルなデータが反映される。
家具も無骨なものばかりだった。
まあしかし、これはコレでグレイスを表せているのかもしれないが。
また、ちょっとした恐怖を感じられる。
「あはは」
自嘲と蔑みの笑顔をする。
自業自得とはいえ、本当に面白味のない部屋ね。
「ーーー」
幼少の頃、好きだった物や必要な物、全てを売り払い、そのお金でありったけの魔術書を買ったのだ。
もちろん、今の私なら自分の趣味に合った小物を普通の女の子のように、買おうと思えば買える。
しかし、そんな事をする気はないし、必要もない。
今更、普通の女の子には戻れない。
「………………休憩はここまでね」
ベットから立ち上がり、床に足をつける。
部屋の片隅にある化粧台の前に座る。
化粧品が一応、一通り揃っている特に変哲のない化粧台。
そもそも、グレイスは自分を化粧する必要のない、優れた容姿を持っていると評価していたりするが、それはともかくグレイスは化粧台の鏡に指で魔法陣を描く。
「ーーー」
チョークやペン、鉛筆で描いている訳でもなし、素手で描いているのだ。
だが、それをなぞるように鏡に魔法陣が浮かび上がり、表面がボコボコと泡となって消えていき、隠し階段が姿を現す。
グレイスは化粧台を台に、潜るようにして隠し階段へ進んでいく。
四方八方を岩に囲まれた細い階段を下って数分。
ちょっとした空間へと行き着く。
「ーーー」
この空間は来た道に反して、綺麗に手入れされていた。
四隅に置かれた魔鉱石の光で空間全体を照らし、所々に存在する植物や花が空間を彩っていた。
また五、六台の机の上には、紙の束や本の束がどっしりと並べられていて、スペースはない。
壁に並べられた本棚には本が、ぱんぱんに敷き詰められている。床にも紙が散乱していた。
この空間の方が、グレイスの部屋よりも生活感を感じられた。
それもその筈でここは、グレイス個人の魔術研究室だった。
クイントス邸の地下にある部屋で偶然見つけたグレイスが、研究室へと改造したのだ。
なんだか、埃っぽいわ。
床にも紙が散らばっていて歩くスペースがない。
「最後に掃除したのはいつかしら?いつかやらなきゃね」
若干機嫌が悪くなったがーー
「いけない、いけない」
と、すぐに気分を上向きにする。
彼と会うのよ。わざわざ、気分を下げる必要ないわ。
グレイスは笑顔になると、机でもなく、本棚でもなく、植物や花に水をやるわけでもなく、研究室の奥にある扉の前に立った。
「『”開け、我が鍵は唯一の恋__“』」
鍵言葉を唱えると、扉の鍵穴が強く光り出して、ガチャリと音がする。
ドアノブを捻り扉を開けると、そこは五畳ほどの部屋に繋がっていた。
今までとは違い、この『部屋』は明らかに普通ではなかった。
『部屋』は十畳ほどの広さで中は薄暗い。
扉を開けた瞬間から流れくる肌寒い空気には薬品の臭いも残っており、嫌悪感を抱く。
が、グレイスのように慣れれば、どうって事はない。
先ほどの部屋を研究室というのならば、ここは実験室だった。
事実、いろんな種類の実験器具が並んでいた。
実験室だなんて無粋な呼び方は嫌いだけど。
見るからに実験室ね。
「………」
グレイスは迷う事なく一直線に、『部屋』の中央に圧倒的な存在感を放つ大きな試験管に向かう。
その試験管には並々と薬液が満たされており、人の頭部が浮かんでいた。
「ああ、ごめんなさい。遅くなったわね」
グレイスは試験管のガラスに頬擦りをして、愛をいっぱいに込めて囁く。
返答はない。何故なら、物言わぬ死体だからだ。
「待ちくたびれた?ユゼル?」
止まらない。
愛しい人との逢瀬は続く。




