第三部 1
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車は、あんぞう君が住んでいるという古いアパートの前に停まりました。
かつては会社の寮だったのでしょうか。コンクリートの壁は雨に濡れてさらに黒ずみ、都会の洗練されたマンションとは比べるべくもない、無骨で寂寥感の漂う建物です。彼はシートベルトを外しましたが、すぐには降りようとしませんでした。
「……てぐさん」
彼は、ダッシュボードで静かに光るスマートフォンと、私の不自由な右手を交互に見つめました。
「俺、さっき電話で『ここは監獄だ』って言いました。でも、監獄を作っていたのは、俺自身だったのかもしれません。都会の尺度を持ち込んで、それが通用しないからって、自分で自分の周りに壁を立てていた……」
「気づけたのなら、それはもう、脱獄への第一歩ですよ」
私は、左手で彼の肩を軽く叩きました。
「あんぞう君、この場所には娯楽はありません。でも、ここには『本当の自分』と向き合わざるを得ない、残酷なまでの静寂があります。それを恐怖と感じるか、自由と感じるか。そこが分かれ道です」
私はスマホを操作し、歌を打ち込みました。
『雨の夜に 火花散らして 繋ぎしは 戻れぬ道の 先の灯火』
私が口頭でそれを読み上げると、あんぞう君の目から、堰を切ったように涙が溢れ出しました。それは、都会で擦り減らしてきた彼のプライドと、この地で独り耐えてきた孤独が、一気に溶け出したような涙でした。
「……ありがとうございます。俺、もう少しだけ、ここで足掻いてみます。いつか、てぐさんみたいに、この暗闇を『書斎』だって言えるようになるまで」
「ええ。一歩ずつ、誠実に。もしまた心が折れそうになったら、いつでもこのコンビニに夜食を買いに来なさい。私はたいてい、深夜二時にコーヒーを啜っていますから」
彼は深く頭を下げ、雨上がりの冷たい空気の中へと降りていきました。アパートの階段を上る彼の背中は、車に乗り込んできた時よりも、ほんの少しだけ真っ直ぐに伸びているように見えました。
私は一人、再び静まり返った車内で、エンジンの振動を感じていました。




