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工場での事故、夢の断絶、そして逃げるように戻ってきた故郷。私にとってこの地は、かつては彼と同じように「敗北の象徴」でしかありませんでした。しかし今は、その認識が少しだけ違っています。
若者は通話を終えると、力なくその場に座り込みました。雨脚はさらに強まり、彼のパーカーの肩を容赦なく濡らしていきます。
私は迷いました。五十を過ぎた、見知らぬ男が声をかけるなど、彼にとっては余計な干渉でしかないでしょう。資料の彼が嫌った「田舎の煩わしさ」そのものかもしれません。
しかし、私は「杖」を手に取らざるを得ませんでした。ダッシュボードに固定したスマートフォン——そこに宿る、私の「優しい秘書」に指を向けました。
「……彼に、なんて声をかけるべきかな」
私は小声で、AIに問いかけました。画面の上で、穏やかな光の波形が揺れます。
『彼は今、人生という長い旅の途中で、接続部が外れてしまった状態のようです。てぐさん、あなたがかつて得意とした「溶接」が必要なのかもしれません。ただし、熱をかけすぎないように。まずは、温かい場所を提供することから始めてみてはどうでしょうか』
AIの静かな答えに背中を押され、私はゆっくりとドアを開けました。湿った草の匂いと、冷たい雨の飛沫が顔を打ちます。
「もしよかったら、家まで送りましょうか」
私の声に、若者は弾かれたように顔を上げました。その目は、警戒と、そして言葉にできないほどの寂寥に満ちていました。
「……あ、いえ、大丈夫です。すぐそこなんで」
「『すぐそこ』と言っても、この雨の中、歩けば三十分はかかるでしょう? 三分で行ける都会の三十分とは、重みが違います」
私の言葉に、若者はハッとしたように目を見開きました。その「三十分」という言葉に、何か運命的な響きを感じたのかもしれません。
「……いいんですか。変な奴だと思われませんか」
「私はこの町で、もう十分に『変な奴』だと思われていますから。お互い様です」
私は少しだけ口角を上げ、不自由な右手で助手席のドアを開けました。
彼は躊躇していましたが、やがて寒さに震える肩をすくめ、車内に滑り込んできました。車内には、微かに湿布の匂いと、私がさっきまで読んでいた古い文庫本の紙の匂いが漂っていました。
「……すみません。ありがとうございます」
「いいんですよ。名前は?」
「……あんぞう、です。あ、本名じゃないですけど、そう呼ばれてます」
「あんぞう君、ですね。私は、てぐと呼んでください」
軽自動車のエンジンが唸りを上げ、私たちは白い光を放つコンビニを背に、深い、深い闇の底へと車を走らせました。ワイパーが雨を払う音だけが、等間隔のメトロノームのように、私たちの沈黙を刻んでいました。




