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とっさに横に飛び、包丁はよけられた。
しかし足元に散乱している洋服を踏み、滑って転んでしまう。
「あいたた」
どんくさいところが出てしまった。
床に打ち付けた腰をかばいながら、起き上がる。
「消えて!私の前から、みんな消えちゃえ!」
母親が叫び、包丁を振り回す。
ミーナを母親からかばうように前に立つ。
夢で受けた物理的な傷は現実には影響しない。
ただ覚えていれば、夢の中での出来事は心の傷になる可能性はある。
ここがミーナではなく母親の夢ならば、万が一にもミーナが傷付いたところで、現実を生きているミーナはそのようなこと知りもしないので心の傷になる心配もない。
しかしだからといって放置するのは気が引けた。
ミーナのことは気にかけず、問答無用で呪文を唱え直してもいいが、まだミーナの夢ではないと決まったわけではない。
母親の振り回した包丁が自分に当たったなどという記憶を作る事態は絶対に避けなければ。
それにもしこの夢が母親の夢ならば。
私の説得次第で、少しは現実によい変化を生むかもしれない。
せめてミーナに暴力をふらないように、呼びかけてみよう。
「落ち着いてください。私はあなたに危害を加えません」
杖を床に置き、両手を上に挙げる。
マリムゥがそんな私を非難するように、激しく周りを飛び回る。
けれども杖を持ったままだと、とても話を聞いてくれないような気がした。
自分から攻撃する意思はないことを伝える。
母親はゆらゆらと視線をさまよわせている。
まずい、こちらの声が届いていないかも。
「みんな、なんなの。私が何をしたっていうの。どうしてこんなに私は不幸なの!」
母親が叫んだ途端、周りの景色が変わった。
家ではなく、真っ黒の闇に覆われていく。
「なにこれ…」
「きゅ、きゅきゅきゅう!」
きょろきょろとあたりを見渡していると、マリムゥが激しく鳴く。
真っ黒の空間に私とマリムゥ、ミーナと母親だけが存在している。
「あれ、入り口はどこに」
この夢に入ってきた時にあった入り口がなくなっている。
「まさか、悪夢に閉じ込められた…?」
自分のつぶやきに思わず身震いする。
まさかここから出られないなんてことはないよね?
「うっ…」
むせかえるような嫌な気が母親を中心に放ち始める。
吐き気で立っていられなくなり、しゃがみ込む。
マリムゥが必死で私に張り付いて回復させようとしてくれるが追いつかない。
視界が歪んでいく。
母親が包丁を握り締めたまま、ゆらゆらとミーナの方に近づいていく姿がぼんやりと見える。
「だめ」
渾身の力を振り絞り、二人の間に体を伸ばす。
「あああ、消えちゃえ消えちゃえ!」
包丁はミーナに届かなかった。
母親がうずうまり、絶叫した途端、ミーナの姿が消えたのである。
とりあえずミーナに包丁が当たらなかったことに安心して、息を吐き出す。
体からがくりと力が抜ける。
霧のようにあたりに黒い気が充満し、意識が遠ざかる。
「きゅう!」
マリムゥの声が遠くに聞こえる。
---闇が私を包み込んだ。




