【19】
帝国の国章は、両方の翼を剣で貫かれながら勇猛に舞う大鷲である。
謁見の間、玉座の後ろには赤を基調としたその国章が堂々と飾られており、ロマンはこの場に足を踏み入れる度、とりあえずそれを見上げるのが癖になっていた。
仰々しいのは、好きではない。
だが、この場ではそうも云っていられない。
歴史ある帝国。ただし、帝国の歴史は戦争の歴史でもある。わずか数年前にも、皇位継承に絡んだ内乱が起きた。ロマンの見上げる先で、玉座に座っている若き皇帝は無表情を貫いている。彼は、腹違いの弟を処刑する事でその地位を得た。
皇帝は本来、絶対的な権力者である。
ただし、内乱の爪痕は帝国の地盤に深く刻み込まれていた。帝国は未だに一枚岩になり切っていない。皇帝は何よりも己の地位を盤石なものとする事で、迅速な国力の回復に繋げようとしていた。そして、ロマンはそれを知っている。
謁見の間には、左右に近衛騎士が居並ぶ。
色合いの異なる羽織りの執政官が、これまた奥の方にずらずらと構えていた。
皇帝の近くには、わざわざ着飾った妹姫まで控えており、堅牢かつ絢爛な帝国の威信、ここに極まれりという在り様だ。ロマンは心の内で苦笑する。何はともあれ、形から――。中身は後から付いて来ればいいというわけだ。近衛騎士の鎧はピカピカに光り輝き、まぶしいぐらいだけど、その中に入っているのが実戦経験のない新兵ばかりであることも、ロマンはちゃんと承知していた。
別に、面子を潰してやる程にイジワルではない。この場のルールは心得ている。ロマンは普段以上に堂々とした歩みで赤い絨毯の上を進み、貴族がやるように恭しく片膝を着いた。
「ロマン、【剣】の勇者よ。よくぞ参った。さあ、面を上げよ」
第一声を発したのは筆頭執政官である。巨大な一枚岩を荒削りしたような顔付きで、融通の利かない性格もそのままの堅物である。正直、ロマンが苦手な部類だった。
「……いや、構わない。挨拶は無しでいい」
本来であれば、謁見に訪れた者からの皇帝を讃える美辞麗句が述べられる場面である。下手すれば、本題よりも挨拶の方が長くなる。儀礼的な謁見とはそういうものだ。しかし、ロマンは帝国を拠点として活動しているものの、生まれは別の土地であるし、帝国の民になったという意識もない。この場を訪れている理由は、シンプルに実務的な用事があるからなのだ。
だから、本題には早く到達する方がいい。
「人払いを――。二人だけにしてくれ」
皇帝は端的に、そう命令を下した。
普通はあり得ない対応である。慣例を重んじる執政官の一部が表情を険しくしたものの、皇帝に異を唱えることは許されない。「護衛はいかがされますか?」という問いかけは、皇帝の言動を暗に咎めるものだ。しかし、皇帝は「二人だけだ」と切り捨てる。
重々しく頭を下げて、執政官も近衛騎士も謁見の間から退出して行く。
最後まで名残惜しそうにちらちらと振り返っていたのは、皇帝の妹姫である。
誰にも気づかれないように、ロマンは彼女に向けて手を振った。妹姫は笑顔になると、『またあとで』と声に出さずに口を動かす。それを読み取れないロマンではない。うなずきながら視線を皇帝に戻す頃には、謁見の間は二人だけの空間になっていた。
「相変わらず、妹好きな男だな」
「待て。なんだその誤解を招きそうな表現は?」
玉座から立ち上がった皇帝は、ロマンの位置まで段差を降りて来る。
先程までの無表情から一変した年相応の笑顔で、皇帝は軽く拳を突き出す。ロマンが己の拳をそこに打ち付けると、それから二人は軽く抱き合った。街中の若者がやるのと大差ない、気の置けない友人同士の再会の挨拶である。
「毎回付き合わせて悪いな」
「いい加減、慣れたさ。お前の方こそ大変だな」
「正直、肩こりが酷いんだ。来客が多い日は何時間も身動きが取れない」
皇帝は愚痴をこぼしながら、老人のようなうめき声と共に背伸びした。
「たまには、宮殿を抜け出したらどうだ?」
「我慢するつもりだったが、確かに我慢の限界かも知れないな」
「いつでも良いぞ。日時を決めてくれれば、お前の寝室に外から大穴を開けてやろう。ド派手にやった方が案外、パニックが起きて簡単に抜け出せるものだ。万が一、邪魔する者が出て来たとしても、私に勝てる者なんて誰もいない。少なくとも、この帝国にはいないだろう――」
「我が国を貶めるような云い方だな。どこの国にも、お前を止められる者なんていないはずだ」
皇帝の言葉は決して冗談ではない。
ロマンはS級冒険者であり、【剣】の勇者である。
彼に匹敵するだけの戦闘能力の持ち主は、そうそういる者ではない。
歴史上、存在が確認されているレジェンド級のアイテムはわずかに十二個――。すなわち、ロマンの他には十一人の勇者がいる。ただし、彼らの実力にはバラつきがあった。潜在能力を認められ、現時点の実力よりも将来性で勇者に選ばれている者もいるからだ。
やはり、ロマンこそが最強というイメージは世間一般の共通認識である。
「帝国の至宝たる【剣】を託す勇者なのだから、誰かに負けてもらっては困る」
皇帝は笑いながら、ロマンの胸を小突いた。
当然、笑い声が返って来るものと思っていたはずだ。
「……どうした?」
皇帝は声を落とした。
ロマンはまったく笑っていなかった。
最強の存在。誰にも負けない、負けてはいけない。
ロマンには自信があったし、自負もあった。ただし、今は違う。
>> システム・ダウン
ロマンが思い出しているのは、創造主を冒涜するかのような一文。
真っ赤に染まったシステムウィンドウと共に、あんなものは初めて目にした。
そう、初めて――。
絶望的な力の差というものを知った。
「本題に入ろうか」
「あ、ああ……そうだな、そうしようか」
ロマンが強引に話題を変えたことに、皇帝は動揺を隠さない。
それでも気を取り直すように、もう一度笑顔を作って続けた。
「その件については、先に礼を云っておく。わざわざ自由都市群まで出向いてもらって悪かったな。正直、助かった。帝国の兵を動かすわけにもいかないし、他の冒険者に任せられるような話でもない。お前が暇をしているタイミングで本当に良かった」
「せっかくの休暇を潰されたのだから、報酬は上乗せしてもらうぞ」
軽口を叩いたロマンに、皇帝はホッとしたように調子を取り戻す。
「それで、どうだった?」
皇帝は単刀直入に、ロマンに結果を求める。
帝国は内乱による傷を抱えているものの、それでもこの世界の一大勢力である。
国宝として、【剣】を始めとした三つのレジェンド級を管理している。その数において、帝国を上回る国家は存在しない。レジェンド級のアイテムの保有数で唯一勝る組織は教会だけだ。ただし、教会は原則として中立的な立場を守る。軍事力という点で帝国は世界最大だった。レジェンド級のアイテムとは、それだけ恐るべき武器――いや、兵器と呼んでも過言ではない。
「慎重だな、皇帝陛下」
「当然だ。国家間の力関係に直結するんだぞ?」
根も葉もない噂話としては昔からよくあるもの。
一攫千金を夢見る冒険者の間では、特に話題になりやすい。
しかし、そうした風の噂が真実であった試しはない。少なくとも、これまでは――。政治のゲームを繰り広げる皇帝のような為政者たちは知っているのだ。十年以上も前から、教会が秘密裏に動いている事実を。そして、彼らの動きは最近さらに慌ただしくなっていた。
帝国は内乱の騒動で出遅れている。教会以外にも、他の国々や組織は既に動き出していた。ロマンに動いてもらったのは、皇帝の直感によるものだ。帝国の動きを悟られてはいけない。だから、冒険者ギルドを通じた公式の依頼にもできなかった。
このまま争奪戦となる可能性は高い。
最悪、戦争の火種となるだろう。
「幻の十三番目――」
まるで問いただすように、皇帝はロマンに尋ねた。
「レジェンド級の【腕輪】は本当に存在しているのか?」




