【20】
――あなたは今、裸になれるだろうか?
裸は、生まれたままの姿とも云い換えられる。
例えば、赤子がこの世に生まれ落ちた時は、等しく、平等に、裸である。では、そんな赤子の誕生の瞬間に立ち会う人々は裸であろうか。もちろん、そんな馬鹿なことはない。新たな命の誕生により、感動と安堵のさざ波がゆっくり広がり行く空間に、どれだけの人間が集まっているかはその時次第であるけれど、赤子以外に、私も、私も、とばかりに裸になって祝福しているような者がいれば異常事態である。
普通の人々は服を着ているものだ。
人間ならば当然の営みである。
一方、獣は服を着ない。
彼らの普通は、人間のそれと異なる。
人と獣の差異について、その理由を世界のシステムに求める事もできるかも知れない。システムの恩恵を受けられるのは人間だけだ。衣服――広げて云えば、防具と分類されるアイテム。各々の装備適正に基づき、人間は防具を身に付けることでステータスが大幅にアップする。
獣には、創造主は微笑まない。
ステータスのためという理由で、人間以外が衣服を身に付ける必要性は皆無だ。
ただし、それだけが人と獣が違っている原因なのだろうか。システムが存在するから、人間は衣服を身に付けるようになったのだろうか。少し考えてみれば、この答えが間違っていることはすぐにわかる。
太古の時代――すなわち、創造主が世界に降り立つ以前の時代にも、既に人々が衣服を身に付ける習慣があったことは歴史家の研究で判明していた。
つまり、ステータスのためではない。
どうやら、より根源的なものが存在する。
繰り返しになるが、赤子は裸で生まれて来る。
何も、持たない。
赤子の本質は全て、剥き出しの身体に詰まっている。
外側には何もない。内側にギュッと詰まった可能性だけが赤子の全てである。
もちろん、赤子だろうと裸であるのは生まれたその瞬間だけである。産湯で清められた後は清潔な布にくるまれ、すぐに人間らしい格好に整えられていく。物心つく頃には、そもそも服を着ているのが当たり前になっているはずだ。
ある意味、生まれた瞬間の赤子は獣なのかも知れない。
いつの間にか、獣は人に変わる。当たり前という常識は自然と身に付く。
――あなたは今、裸になれるだろうか?
衣食住は、人間が生きていく上で必要不可欠な要素である。
そしてまた、人間を人間らしくするための要素でもある。
この場合の、衣――。防具とも呼べないようなコモン級のアイテムでも、体温調節という点では生命にも直結する。たった一枚の薄手のシャツが、毒虫や毒草を防ぐこともあるだろう。原始的な生活だろうと欠くことはできないが、一方で、文明が発達し、社会性が豊かになればなる程に機能性以外が求められて来る。時には身なりが社会的立場をそのまま示し、中身よりも、外側を飾っているものの方がその人の本質として認められかねない。
――あなたは今、裸になれるだろうか?
自室に一人でいる者が裸になるのは簡単かも知れない。しかし、裸になった後で部屋の外に出て行けるだろうか。親兄弟がいる居間に踏み込み、平時と変わらない顔で接することができるだろうか。
あるいは、往来の真ん中にいる者が服を脱げるだろうか。
有象無象の大衆が一斉に振り返るに違いない。悲鳴が上がるかも知れない。驚嘆のまなざし、侮蔑のまなざし。津波のような怒涛の感情を向けられて、それでも平気な顔をしていられるだろうか。
衣服は、常識。
生まれた時には無かったはずの、人間らしさ。
たった一枚の布切れが途方もなく重い。下着の一枚を脱ぎ捨てるだけの行為で、人として、どれだけのものを捨て去ることになるのか。赤子の頃から少しずつ身に着けて来たもの、何年、何十年という年月を無に帰す蛮行である。人間であることを自ら放棄する者はやはり少ない。
――あなたは今、裸になれるだろうか?
恥ずかしい。
シンプルなその感情も、人間らしさの一部である。
赤子も、獣も、裸であることに羞恥を感じることはない。
いつの間にか、皆、恥ずかしいなんて人並みの感情を抱くようになる。
――あなたは今、裸に……。
「無理です! 何度云われても、無理です!」
まあ、普通はそうである。
大声で叫んでいるのは、当然ながらリオンである。
「やっぱり無理ですよ、アズクリッドさん!」
自室でもなければ、往来の真ん中でもなく――リオンが震えながら立っているのは、切り立つ岩場。自由都市ロウシャンの近くにある小高い山である。【教会】から霊山に指定されている土地で、それと併せて観光地としての側面も持つ。ロウシャンに暮らす人々からすれば、身近でもあり、なじみ深い山である。
とはいえ、本日はのんきに観光というわけではない。
リオンがここに居る理由は、冒険者ギルドでクエストを受注したからだ。
「すげえ数だな。どれだけいるんだ?」
「こいつは俺の獲物だ。後から来た者は他に行け!」
「弓を持ってくれば良かったな……。剣が届かない」
「おーい。一人やられているぞ。知り合いがいたら、助けてやれ」
周囲には、リオン以外の冒険者たちが何人もいる。
クエストの内容は、ポピュラーなモンスター退治だった。
モンスター【ハーピー】が異常発生したため、至急全滅させて欲しいというものだ。
前述の通り、この山には観光で訪れる者も多い。そうした大衆を相手に商売している者が山の麓に集落を作っている。彼らの生活を思えば、迅速な解決が必要なのは明らかだった。
冒険者ギルドでは様々なクエストが発生する。
クエストの内容を吟味し、適切な冒険者に、適正に割り振ることは、ギルド受付嬢の腕の見せ所である。今回のクエストで云えば、大量のモンスターを迅速に討伐しなければいけない。たった一人の冒険者に任せるのでは時間がかかり過ぎる。普段からパーティーを組んで活動している者たちに任せる手もあるが、報酬の良いクエストには多数の申し出があるもので、そこからの選定に余計な手間と時間がかかってしまう場合も多い。
結果として、今回は早い者勝ち。
誰でも受注可能なクエストとして、それぞれのハーピーの討伐数に応じた報酬が支払われる。この方式であれば、本日暇をしていた冒険者ならば気軽に参加できるし、腕に自信があるならば、それだけたくさんの報酬を得られる。
リオンの目の前でも、若い冒険者がハーピーと斬り結んでいた。上空から鋭い爪を振り下ろして来るハーピーに、防戦一方でなかなか苦戦しているようだ。時々、遠くから歓声が聞こえて来たりもする。おそらく、パーティーを組んでやって来た者たちがハーピーを仕留めたのだ。
リオンはぶるぶる震えながら見上げていた。
渡り鳥の群れのように、ハーピーはまだたくさん空を舞っている。
強烈な風が吹き抜けて、リオンは思わずマントの裾を押さえた。
「む、無理……」
真紅のマントはロマンから譲り受けたものである。闘技場に呼び出されてのドタバタ騒ぎのお詫びという事で、遠慮しても無理やり押し付けられてしまった。体格の立派なロマンの持ち物であったため、リオンにはサイズがかなり大きく、全身がすっぽりと覆われていた。
正直、ぶかぶかである。
ただし、その方が今は良かった。
「風が、強すぎて……」
リオンは必死に耐えることしかできない。
マントの裾は押さえたままだ。
手は離せない。
絶対に。
なぜならば、リオンはマントの下に何も着ていないからだ。




