【18】
二年前、アズクリッドは冒険者という生き方に決別した。
そもそもの始まりは、ロマンに誘われたことによる。
アズクリッドは自分で云うのもおこがましいと思うけれど、皆が認める魔法の天才だった。師に早々と才能を見出されたため、幼少の頃から家族の元を離れ、歴史ある魔法大学校で学んだ。課題を次々とクリアするのは楽しかった。結果として飛び級を重ねることになり、史上最年少での卒業まであと一歩の所に迫った。
ある夜、寮の自室でいつものように本を読んでいた。
四階なのに窓をノックする者がいて、カーテンを開けると兄がいた。
外壁を覆う蔦をよじ登って来たらしい。無茶をするものだと思った。
そもそも、年に一度か二度は帰省している。わざわざ学校に忍び込んでまで会いに来るなんて、何の用かと思った。何はともあれ、ひとまず部屋の中に招き入れようとしたアズクリッドに対し、ロマンは逆に、窓の外を指さして見せる。彼は夢見る若者の笑みを浮かべていた。
「アズクリッド、このまま旅に出よう」
手を差し伸べられた。
「自由に生きよう。二人で冒険者になるんだ」
あの時、どうしてその手を取ったのか――。
アズクリッドは、今になってもよくわからない。
とにかく、その瞬間からひとつの物語が始まった。冒険譚であり、もしくは、恋愛譚であり――。まあ、どちらでも大差ない。アズクリッドの中では終わった話である。バッドエンドを迎えたのが二年前で、アズクリッドは第二の人生として普通で在ることを選択した。
物語の終わりは、ロマンとの別れも意味していた。
別々の人生を選択したのだから、もはや、冒険者の仲間ではない。
アズクリッドにまたあの頃に戻るような気持ちは微塵も残っていなかったけれど、ただし、それでも、血の繋がりまで消え去るわけではなかった。何がどう転んだ所で、ロマンと兄妹である事実は変わらない。
「……兄妹?」
さて、リオンは首を傾げていた。
それを見て、アズクリッドもまた首を傾げる。
「リオンくん?」
「待ってね。よくわからない」
リオンは盛大に混乱していた。
「アズクリッドさんと、ロマンさんが、兄妹……」
リオンはぶつぶつとつぶやき続ける。
「リオンくん。もしかして、気づいていなかった?」
アズクリッドからすれば、ロマンが兄であることは自明の理である。冒険者時代は兄妹のパーティーとして有名であったため、いつでもロマンの妹として扱われて来た。そのため、二人横に並べば、当然、兄妹として見られるものと勝手に思っていた所がある。
リオンに対しては、これまで共に暮らす間、家族に関することを話題にしたことはなかった。意識的に隠していた訳ではないけれど、積極的に話したくないという気持ちはあったかも知れない。ロマンについて触れることは、アズクリッド自身の思い出したくない過去を語ることにも繋がるからだ。
「待て。アズクリッド、私達のことを話していなかったのか?」
首を傾げ合うリオンとアズクリッドに対し、ロマンが慌てたように突っ込む。
「私は、リオン君が知っているものとばかり――」
三者三様に勘違いしていた。
リオンは知らなかったし、気づかなかったし――。
アズクリッドは説明しなかったし、気づくだろうと思っていたし――。
ロマンは誇るべき兄の存在が口にされないなんて事はないと思っていたし――。
何はともあれ、三人はじわじわと壮大な誤解の元に話が始まっていたことに気づき始めた。
「アズクリッド、念のために訊いておくが……」
ロマンが恐る恐るといった様子で尋ねる。
「お前、リオン君とはどういう関係だ?」
アズクリッドは質問の意図が掴めないという様子で眉をひそめる。
簡潔に答えた。
「同居人」
「……それだけか?」
頭を抑えるロマン。
「あー、その、なんだ。付き合っているとか、そういうのは――」
もごもごとつぶやくロマンに対し、アズクリッドは静かに首を横に振る。
「別に」
「……あー、そうか」
ロマンは歯切れ悪さも極まった様子で、独り言のようにつぶやく。
「いや、将来の約束をしたわけでもない男女が、ひとつ屋根の下で暮らすというのは、いかがなものかと、だな。それも、お前ぐらいの歳で……。世間の目もあるわけで……。それに、母上が知ったらどのように思われるか……」
「ロマン、考え方が古い」
アズクリッドは一言で切り捨てた。
「そ、そうか?」
ロマンは遂に頭を抱え込んで、苦しそうにうなり出した。
「わ、私が間違っているのか……」
一方で、沈黙したままのリオン。
必死に昨夜の出来事を思い返しながら考えていた。
最初に出会った時と違い、ロマンは独善的とも思える言動でリオンを攻め立てたけれど、リオンはその様変わり具合に心密かに驚いていたものだ。田舎の村からロウシャンに旅立った道中で危機を救われ、相談にも乗ってくれたロマンは、リオンがこれまでの人生では出会ったことのないヒーローだった。それに比べて、昨夜のロマンは己の感情だけに突き動かされる、エゴの塊のような人に思えた。
それは、元恋人に対する妄執によるものかと勝手に想像していたけれど――。違った。全然、違った。ロマンの動機が、大切な家族である妹を心配してのものだったならば、昨夜の一件は全然違った見え方をして来る。
ひさしぶりに妹に会いに云ったら、素性の知れない男と暮らしている。
さらに、その男は働いていない。
どう考えても、ヒモだ。
兄として、これは別れさせなければいけない。
身内だからと云って、男女のプライベートな仲を引き裂いていいものか、そこに関しては賛否両論あるだろうけれど、すべてが妹を想っての行動であったならば筋は通って来る。ロマンは元恋人へのエゴで感情を昂ぶらせていたわけではないのだ。彼なりの正義を遂行しようとした、それだけの話である。
「だとすると、ボクは――」
妹を心配する兄を最終的に力で打ち倒した。
笑顔で云い放った台詞は、『もう手を出さないでくださいね』。
客観的に見れば、ヒモ男が『兄貴だからって出しゃばんな。俺の金づるに手を出すんじゃねえ』と云い捨てたようなもの。もはや、ヒモではない。クズである。リオンは無能者でありながら、それでも一人きり、他人に迷惑をかけないように生きてきた自負があった。それが今、崩れた。
リオンは、ヒモのクズである。
生きている価値がないとすら思えた。
「う、嘘だと云って……」
頭を抱えて、ロマンと横に並んでうんうんと唸る。
現実逃避、これが事実と認めたくない。
「嘘ではないわ」
アズクリッドはいつも通り、淡々としていた。
ロマンの横腹をつつきながら、「ウィンドウを開けなさい」と命令する。
【SYSTEM >> OPTION >> PROFILE】
>> 名前:ロマン・レインボウ・フォンラー
>> 年齢:22
>> 性別:男
【SYSTEM >> OPTION >> PROFILE】
>> 名前:アズクリッド・レインボウ・フォンラー
>> 年齢:15
>> 性別:女
「ほら、家族名が同じ。実の兄妹です」
アズクリッドの云う通り、ミドルネームも含めて同じだった。
「……え?」
しかし、リオンは意表を突かれる。
二人が兄妹であることは確かに証明された。
それは良い。
リオンがクズであることも確定した気がするけれど――。
それもまあ、ひとまず良いとして――。
「……ええ?」
戸惑いの声を、もう一度。
リオンは顔を引き攣らせながら、後ろに一歩退く。
「どうしたの?」
アズクリッドが首を傾げる。
リオンは口をパクパクしながら、しばらく何も云えなかった。
「アズクリッドさん、二年前に、ギルドの受付嬢になったって……」
「ええ。そうよ、それがどうしたの?」
「そ、その前は、冒険者だったんだよね? いつ、冒険者になったの?」
「五年前だったかしら?」
アズクリッドは確認するように指を折る。
「六歳の時に学校に入り、十歳でロマンに誘われて冒険者になった」
「こ、子供なのに、冒険者……」
リオンは愕然とする。
アズクリッドは平然と、「早熟だったから」とつぶやく。
「アズクリッドは天才だった」
ロマンが補足する。
「私は、現在でこそ序列四位のS級冒険者で、【剣】の勇者の称号も獲得したが、冒険者として駆け出しの頃はアズクリッドの魔法の才に助けられてばかりだった。常識離れのスピードでレベルアップとランクアップを果たせたのは、アズクリッドがパートナーであったおかげだ」
「褒めるのは良いけれど、冒険者に戻るつもりはないから」
「頑固だな! 頼むから、もう一度だけ……」
「嫌よ。絶対に、もう嫌です」
両手を合わせるロマンに対し、アズクリッドはそっぽを向く。
少しばかり年の離れた、兄と妹。
あらゆる言動に遠慮がないけれど、その分だけ血の繋がりを感じさせる。
改めて、並んで立っている所を見ていれば、黒髪とブルーの瞳は同じ血筋のものだろうということがわかった。しかし、リオンには、そんな些細な所を冷静に分析していられる余裕もなかった。
「ロ、ロマンさん……」
感情が抑えきれない。
リオンは遂に、泣き出した。
「う、うわ! リオン君、どうした。お腹でも痛いのか?」
「ロマンさん、すみません。ボクは謝ります。ボクは、どうして――」
リオンの突然の感情の爆発に、それを向けられたロマンは慌てふためく。
ロマンから差し出された両手にすがり付きながら、リオンはさらに声を立ててわんわんと泣いた。
既に述べられた通り、アズクリッドは十歳で魔法大学校を卒業前に飛び出し、ロマンと共に冒険者になった。最初は二人だけのパーティーで苦労を重ねながら、徐々に信頼の置ける仲間を増やし、やがて大きな偉業を為し得るようになった。
グランドマスターに認められ、S級冒険者となり――。
残念ながら、ある事件を経て、冒険者からギルドの受付嬢に生き方を変えて――。
「だって、そんなのもう、普通の一生分ですよ!」
リオンは思わず吠えていた。
十代の始めにそれだけの人生を経験するなんて、リオンには想像もできない。田舎の村はずれ、ボロ小屋で一人きりの生活を営んでいたリオンと比べれば、天と地よりも遥かな差がある。いや、この場合はまだリオンの方が世間一般の常識に近いはずだ。アズクリッドの人生という奴は、英雄を描いた物語のようなもの。それだけのことを数年で為し得たなんて、リオンだけでなく、普通は誰にも想像できないだろう。
リオンは何も知らなかった。
そもそも、昨夜のバトルを見るまで、アズクリッドが冒険者であった事も知らなければ、S級という傑物の域に達していたという事も知らなかった。冒険者になるまでの生き方も知らなかった。だから、ロマンと兄妹であるという事も知らなかった。
「だから、誤解していました!」
泣きながら、リオンは懺悔する。
「ボク、知らなかったんです。何も、アズクリッドさんのことを――」
リオンは顔を上げている事すら恥ずかしく、ロマンの足元にうずくまるように倒れ込んだ。
ギルドホールの床に額をこすり付けながら、これ以上は言葉にならず、泣き声だけを上げていた。
そう、知らなかった。
リオンは大切なことを知らなかった。
何よりも、アズクリッドの年齢を知らなかった。
【SYSTEM >> OPTION >> PROFILE】
>> 名前:アズクリッド・レインボウ・フォンラー
>> 年齢:15
>> 性別:女
まさかの、年下。
それも、ふたつ下。
事実として、アズクリッドの容姿は年相応である。身長も、リオンの方がはっきりと高い。休日に私服で出かけると、アズクリッドが商店の店員から子ども扱いされる事もあった。彼女はそうした扱いに特別の反応を示さなかったけれど、リオンはいつも通りの彼女の態度と気にも留めなかった。無表情、無反応がデフォルトのアズクリッドである。だが、違うのだ。子ども扱いされて、それが普通だった。リオンがむしろ、盛大に誤解していたわけだ。
アズクリッドと最初の出会いは、ギルドホール。
ギルドの受付嬢として、しっかり働いている彼女は大人だった。
少なくとも、田舎から大都会に出て来たばかりのリオンにはそう見えた。
リオンよりも小柄な体躯と云っても、成人女性でそれぐらいの人は普通にいる。確かに、顔立ちは幼かったけれど、それぐらい童顔なのだと思い込んでいた。おそらく、いっしょに暮らす中で違和感を覚えるべきタイミングはいくらでもあったに違いないけれど、リオンは持ち前のなあなあとした気質でスルーして来た。
何よりも、彼女の内面は成熟している。
リオンが時に敬意すら覚えるぐらい、彼女はしっかりした意思の持ち主だ。
リオンは気づく。
十七歳になったとは云え、リオンは自身のことをまだ子供と思っている。これまで、何も成し遂げたことがない。努力らしい努力をして来なかった。日々をゆるりと生き、変化のない安寧を望んで来た。一人で生きて来たとは云っても、それはそうした状況に追い込まれたというだけだ。自らの意思で前に進んだ事がどれだけあっただろうか。
リオンは大人ではない。大人になれていない。
その想いだけは、はっきりとしている。
「ボクは、冒険者です」
ようやく顔を上げたリオンは、涙目でロマンを見つめる。
「冒険者に、なりました。がんばります。ロマンさんにそれを誓います」
リオンはヒモのクズである。
そんな風に自覚した直後に、さらなる事実を突き付けられた。
ヒモのクズは、ふたつ年下の女の子に依存する、最低のド畜生でもあった。
アズクリッドを勝手に年上の大人の女性だと思い込んでいた。それがどうしてか、年下である。わずかに十五歳の女の子である。十五歳の、家族の元を離れて一人で暮らす女の子。捨て猫を三匹も拾って、それで寂しさを埋めていた女の子。休みの日はちょっと朝寝坊したり、料理を失敗した時は機嫌を悪くしてさらに口数を減らしたり、思えば、年相応、ただの十五歳の女の子――。
十五歳の女の子が働いている。
その稼いだ金で、リオンは暮らしていた。
「う、うわあぁぁあぁ!」
慟哭。
リオンは今一度、泣いた。
ロマンに誓い、己の心にも誓う。己は、ヒモでクズの最低最悪のド畜生である。それを認め、それを悔いる。この瞬間から、リオンは前に踏み出さんとする。冒険者であろうと、S級であろうと、あるいは、それ以外のどんな手段であろうと――。リオンは金を稼ぐことを誓う。仕事することを誓う。アズクリッドと横に並んだ時、ちゃんと胸を張れるような男になることを誓う。
リオンは今、この瞬間、S級の冒険者として人生をスタートさせた。




