【17】
ギルドが静寂に包まれた後、最初に反応したのはアズクリッドの両隣の受付嬢たちである。
彼女らはカウンター越しにそれぞれ冒険者の対応中だったものの、アズクリッドの宣言を耳にして、さらにはS級のランクアップにふさわしい演出を目にした後は各自の業務を放り出してしまった。
仕事仲間ではあるけれど、受付嬢の中では異端児のアズクリッド。ただの受付嬢にはできないような、奇想天外な対応を行うのはいつものこととも云える。
だが、これはさすがにありえない。
「えええええぇぇーー!」
両隣の受付嬢たちはそろって驚嘆の悲鳴を上げた。
椅子から飛び上がった彼女らは、肩書きとしてはただの同僚であるはずのアズクリッドを穴が空くほどに見つめる。しかし、アズクリッドは冷静沈着ないつもの態度を崩さない。
「せっかくの新しいS級冒険者の誕生……。万雷の拍手で迎えられるべきですが、まあ、仕方ありませんね。想像していたよりも、皆さんを動揺させているようです」
アズクリッドは感想を呟くのみ。
パニックを起こした同僚たちの方を振り返ることもない。
「アズクリッドちゃん、なにをしたの? ど、どど、どうやって?」
「S級の登録なんて……。そんなの、絶対に不可能なのに――!」
普通の受付嬢には、自分の裁量だけで冒険者をS級にランクアップさせるなんてことはできない。
S級は冒険者の頂点である。
肩書きとしては、貴族の爵位にも比肩するぐらい重大なもの。
そもそも、受付嬢によるランクアップの判断が可能なのはC級までである。B級になるとギルド長の審査が必要になり、さらにA級になると専用の高難度クエストのクリアが求められる。
ランクアップの条件は段階的に厳しくなるが、S級に至ると難易度は一気に跳ね上がる。
世界各地に点在し、その総力は小国以上の規模を誇る冒険者ギルド。各支部はギルド長の独自裁量で運営されている所が大きいものの、だからと云って、各支部が主義や思想でバラバラになったりすることはない。
国家における王にも等しい存在がいるからだ。
グランドマスターと呼ばれる一人のカリスマの下に、ギルドは強い団結を保っていた。
S級になるためには、そんなグランドマスターに認められる必要があった。単純でありながら、これこそが最難関である。どれだけ恐ろしいモンスターを討伐した所で、グランドマスターがそれで満足するかはわからない。どれだけ努力し、実績を積み上げようとも、認められない者は何十年も認められないままなのだ。
それだけ、S級という称号は特別なものであるが――。
なぜか、今、グランドマスター以外の人間がS級のランクアップを行ってしまった。
地方支部の、ただの受付嬢である。王たるグランドマスターに対しては、例えるならば、彼女は平民の一人に過ぎない。奇跡に等しいランクアップを行いながら、いつも通り顔色を変えずに受付に座ったままのアズクリッド。ギルド中の注目を浴びながら、それでも、彼女はリオンだけを見つめて語り掛ける。
「グランドマスターはなぜか、私を気に入っていました」
アズクリッドはため息を吐いた。
「二年前、冒険者を辞める時、グランドマスターに最後の挨拶に行ったら餞別として押し付けられたこの権限――これからただの受付嬢としてやって行こうと思っている人間には過ぎたものです。むしろ、呪いのようにも感じました。グランドマスターと同等のランクアップ権限なんて、まったく普通ではないのですから。そんなものを使ってしまえば、私がただの受付嬢を名乗ることはできなくなります。普通の生き方をしようと思っていたのに、それを自ら手放すなんてことは絶対に起こり得ないだろうと――」
徐々に熱を帯びるような語り口で、アズクリッドは続けた。
「強者と強者が出会うのは運命――と、これはグランドマスターの口癖でした。あの人の哲学に基づくと、かつてS級冒険者であった私が、これからS級冒険者になれるだけの才能を秘めた者と出会うのは必然ともなります。運命なんてものを信じるのは馬鹿らしい。でも、今、悪い気分ではありません。リオンくんにはそれだけ期待しています」
そこまで云って、満足したように一息つくアズクリッド。
一方で、リオンは満足どころか納得もできていなかった。
「アズクリッドさん。ボクに何が起こったの? ボクはどうなったの?」
リオンは場違いなぐらい、のんびりとした声で尋ねていた。
まるで寝起きのような、ふわふわとした口調である。
突発的な状況をありあまる器量で受け入れた――というようなことでは、もちろんない。リオンは顔面蒼白である。手足が痙攣している。混乱の極みにあるためか、笑顔のまま表情が動かない。
「リオンくんをS級の冒険者にしました」
アズクリッドのシンプルな説明は、シンプル過ぎてなんの説明にもなっていない。
リオンは先程、冒険者になったことを素直に喜んだ。
ただし、それはあくまでもF級の冒険者を想像してのものである。街中のゴミ拾いをしたり、迷子のペットを探したり――そうした仕事をやっている自分の姿のなんとイメージしやすいことか。
リオンは、最低ランクの冒険者としてボチボチやって行くつもりだった。
それがどうして、最高ランクの冒険者になってしまったのか――。
S級の冒険者に与えられるクエストは、世界情勢にも関わるレベルのものだ。国家間の争いを仲裁したり、世界規模の盗賊団を討伐したり、災害のようなモンスターの群れと対峙したり――まさしく、物語の主人公のような活躍を求められる。
リオンには絶望的に似合わない。
似合わないというか、たぶん死んでしまう。
「無理です。絶対に、無理!」
リオンは我に返ると精一杯に叫んだ。
「アズクリッドさん、ボクを殺すつもりですか?」
「面白い冗談ね。リオンくんを殺せるものなんてあるの?」
アズクリッドはそう云うけれど、リオンは今まさに死にそうだ。
もう一度、ウィンドウの表示を涙目で見つめた。
プロフィール画面には、やはり、虹色に光り輝く【S級】の文字が躍っている。たゆまぬ努力の果てに獲得した称号ならば、あるいは誇らしく思えたのかも知れない。残念ながら、ここで胸を張るなんて無理だった。リオンは努力の欠片もしていないのだから。
十七歳になるまで、ずっと一人ぼっちだった。
のんびりと気ままに生きる代わり、何も成し遂げることはなかった。
人並み以下の経験しか積んでいない人間に、いきなり大舞台に上がれと云うようなものだ。
無茶である。無謀である。リオンには自信がなく、【S級】という称号は最悪の重荷にしかならない。
リオンは青ざめたまま言葉を失っているが、やりとりを見守っていた面々もそれは同じだ。
受付嬢や冒険者を始めとして、偶然、この瞬間、ギルドに居合わせた者たち。
昼下がりの、ちょっとだらりとした時間帯に、なんの前触れもなく起こった珍事件である。あまりの出来事にギルド全体が静まり返ったままだが、もちろん、それは嵐の前の静けさである。
徐々に、ざわめく。
やがて津波のように皆の声が押し寄せた。
「おい、嘘だろ?」「ありえないぞ」
「あんな嬢ちゃんが、S級?」「馬鹿げている!」
「それも、冒険者の登録と同時だぞ。なんだよそれ!」
「おい。誰か、ギルド長を呼んで来いよ。説明させろ!」
最初に聞こえたのは、素朴な疑問の声。
燃え広がるように増えていくのは、罵声や怒声。
冒険者には気性が荒い者が少なくない。ギルドの受付嬢はそうした者の扱い方にも慣れている。普段ならば、優しい言葉でなだめる等して、パニックをうまい具合に落ち着けただろう。ただし、現在は受付嬢の大半も混乱していた。
いたずらに場は過熱していく。
リオンも混乱の中心人物という自覚から慌てふためいた。
「ど、どど、どうするのこれ?」
そもそもの元凶であるアズクリッドは、しかし、落ち着いている。
彼女は至極冷静に、システムウィンドウの片隅にある時計を確認していた。
「いい加減、そろそろ来る頃かしら?」
まるで、その言葉が呼び水となったようだ。
「待たせたな」
いつでも、ヒーローは遅れて登場する。
ロマンである。
ギルドホールの入口にて、後光を浴びながら威風堂々と仁王立ち。ギルドがただならぬ混乱状態にあることは、一歩足を踏み入れた瞬間に気づくはずだ。しかし、我関せず。ロマンはただ颯爽として歩み来る。己が、皆に関心を寄せるのではなく――。皆が、己に関心を寄せるべきと云わんばかりに。
実際、ざわめきがぴたりと止まる。
誰も彼も、息を呑み、彼に釘付けとなっていた。
「どうして、彼がロウシャンに……?」
「帝国がホームのはずだ。何のクエストで――」
「本物か! はじめて見た、すげえ!」
「勇者さま……はあ、噂通り格好いい……」
ギルドの関係者で彼を知らぬ者はいない。憧憬や羨望を一身に集めている男には、状況に関わらず、いつでも熱い視線が向けられるものだ。S級の冒険者、序列は四位。次代のグランドマスターとも目されている。
世界の平和をになう【勇者】の一人。【剣】の装備適正で並ぶものはなし。
間違いなく、人類最強の一人である。
「やあ。遅れてすまない」
ロマンはまっすぐリオンとアズクリッドのそばにやって来た。
「リオン君。なかなか、マントが似合っているな」
「ありがとうございます。これ、借りたままですみません」
闘技場で借り受けたロマンの真紅のマントを、リオンは羽織ったままである。
「気にするな。……それで、アズクリッド。約束通り、わざわざ出向いてやったぞ」
ロマンの登場で興奮して湧き上がっていた歓声。しかし、彼がリオンとアズクリッドの二人に話しかけたタイミングで、再び、ギルドは静まり返ってしまう。押し殺したような静寂、張りつめた空気が痛々しい。
皆、想いは同じだ。
もはや、わけがわからない。
ロマンである。あの、ロマンである。世界的有名人。S級冒険者であり、【剣】の勇者。ヒーローと云われて、誰もが最初に思い浮かべる人物。そもそも帝国領を主な活動地域としている彼が、こんな風にふらりと自由都市のギルドに現れたというだけでも珍しい。普段は、他の誰にも解決できないような超高難度のクエストで多忙を極めている。
それなりのベテラン冒険者だろうと、声をかける事すら恐れ多い。格が違うからだ。
そのような人が騒動の中心たる二人に話しかけている。
それも、非常に親しい人を相手にするような笑顔で、である。
やはり、わけがわからない。
果たして、この後どうなるのか、誰もが固唾を飲んで見守っているが――。
「遅いのよ、このバカ」
アズクリッドの口から飛び出したのは、まさかの暴言だった。
他の受付嬢たちは、息を呑むように小さな悲鳴。冒険者たちも青ざめる。
ロマンである。あの、ロマンである。
ギルドの最重要人物、人類の至宝、最高のヒーロー。
そんな人を相手に、いきなり『バカ』と来た。
「……手厳しいな」
ロマンは苦笑する。
そんな反応を見て、恐怖に顔面を引き攣らせていたギルド関係者たちは胸を撫でおろす。
仮に、ロマンが激昂するような事態になれば、ロウシャンのギルドからどれだけの首が飛ぶことになるだろうか。少なくとも、責任者たるギルド長のおじいちゃんは辞職するしかない。それだけで済めばマシな方で、ロウシャンのギルドそのものが解体されるという最悪の可能性だってあり得る。
皆、事態の推移をハラハラしながら見守っていた。
アズクリッドだけが表情を変えない。
彼女は不意に立ち上がった。
「ねえ、ロマン」
受付の窓口に、土足のまま上がる。
軽く、ジャンプ。
そのまま、アズクリッドはロマンの側頭部に飛び蹴りを喰らわせた。
「――っ!」
もはや声にもならない悲鳴が、ギルド中から漏れた。
不意打ちを受けて、ロマンはガクリと膝を着く。
「とりあえず、昨晩のお返し。一発で許してあげる」
「いや、確かに、私もお前に蹴りを入れたが……。あれは本気の戦闘中の出来事で、後腐れなしだろう。わざわざやり返すなんて大人気ないぞ。そもそも、もう子供ではないのに飛び蹴りというのはいかがな――」
「うるさい」
アズクリッドはロマンの髪を掴んで、力任せに引っ張り始める。
ぎゃあ、とロマンは悲鳴を上げるが、それ以上の悲鳴が周囲の者たちからも上がっていた。
「痛い! やめろ、このバカ!」
「バカ? バカなのは、あなたの方よ」
「わけがわから……だから、痛い! やめろ、髪が抜ける!」
「いいじゃない。髪が抜ければ、お父さんにもっと似るわ」
「誰が、あんな男に似るものか! 髪はやめろ!」
「遺伝的に、遅かれ早かれ……。潔くあきらめなさい、ロマン」
「ちょっと待て! 私が禿げると云いたいのか。聞き捨てならないぞ!」
ドタバタである。
何はともあれ、二人が云い争っている間に、受付嬢たちの半分ぐらいは貧血を起こして倒れた。気丈にも意識を保っている者の大半は、ギルドの仕事を失った後はどうしようと将来の心配を始めている。ロマンに暴言を吐くだけでなく、暴力もこれでもかと喰らわせているのだ。常識外の光景であり、悪夢のような現実である。あまりの状況に、アズクリッドを止めようとする者は一人も出て来なかった。
ロマンが叫ぶ。
「アズクリッド! どうしてそんなに機嫌が悪いんだ!」
「機嫌が悪い? 当たり前です。私が怒っていないと思いましたか?」
「悪かった! すまない、アズクリッド。謝るから、昨夜のことは許せ!」
女性としても小柄なアズクリッドに対し、ロマンは堂々たる体躯の持ち主である。本気で抵抗すれば、振り払うことはできたはずだ。しかし、ロマンはやられるままになっていた。
二人はとにかく騒がしいけれど、ギルドホールは葬式会場のように静まり返っている。
誰一人として手出しできないまま、呆然自失となっている。
リオンも、彼らと似たようなもの。
しばらくの間、ぽかんと間抜けに二人のやりとりを見守るしかなかった。
しかし、絶望感たっぷりの他の面々と違い、リオンは単純に驚いているだけだ。
昨夜、闘技場でロマンとアズクリッドが戦闘する光景を目の当たりにした。S級冒険者同士の本気のバトル――あれに比べると、現状は子供の喧嘩ぐらいのものでしかない。罵詈雑言を浴びせ合っているものの、むしろ、遠慮のないやり取りが仲良さそうにも見えるのだ。
「とりあえず、二人とも、それぐらいにしておいた方が……」
結局、リオンが止めに入る。
苦笑しながら、アズクリッドの方をなだめようとした。
「リオンくん」
右手には数本、髪の毛をむしり取った痕が――。
左手ではロマンの髪を引っ掴んだままのアズクリッドが、リオンの方に向き直る。
「ごめんなさい。ロマンがなかなか悔い改めないせいで……」
「さっきから十分に謝っているだろう! いい加減、放してくれ!」
リオンはさらに苦笑するしかない。
「まあまあ、落ち着いて」
しかし、アズクリッドはロマンから手を放さない。
冷たい口調のまま、彼女はこんな風に云った。
「謝る相手が違うのよ。ロマン、そんなこともわからないの?」
アズクリッドはロマンを引っ張り、リオンの方に向き直った。
ようやく髪から手を離したかと思えば、アズクリッドは叩きつけるようにロマンの頭を抑え込んだ。まるで母親が、いたずらした子供にごめんなさいをさせるかのように――。アズクリッド自身も、リオンに対して深々と頭を下げた。
「改めて、謝罪します。リオンくんに大変迷惑をかけてしまいました」
「そんな、別に……。確かに、ちょっと大変だったけれど……」
波風立たせない、一人ぼっちの暮らしを送って来たリオンには、昨夜の出来事は刺激的なものだった。人生の内で、一、二を争うような大事件であり、秘められた力に気づいたという点ではターニングポイントとも云えるかも知れない。
それでも、リオンはアズクリッドを慮って笑顔を努める。
「アズクリッドさんが謝る必要はないよ」
実際、彼女にはなんら非がない。
冷静に振り返ってみれば、彼女を巡り、リオンとロマンという二人の男が意地を張り合ったというだけの、まったくしょうもない話である。片方が、S級冒険者で【剣】の勇者という大人物であったため、無駄にスケールの大きい話になってしまったけれど――。
最終的に、色々とうやむやである。
闘技場で朝焼けの空を見上げながら、三人で何となく弛緩した空気に包まれた。リオンは勝手に、今回の一件は丸く収まったと感じていた。
ただし、何も解決していないと云えば解決していない。
闘技場で剣を抜き放ち、ロマンはアズクリッドに対する熱い想いをリオンにぶつけて来た。力で、リオンはそれを抑え込んだ。一応、和解したような格好にはなったけれど、ロマンの心の内にある想いが変わらないのであれば、アズクリッドに関する問題はそのままである。
しかし、実際はそうではない。
リオンは、気づいていない。
良くも、悪くも――。
問題はもう解決している。
「いいえ、ロマンが謝るのは当然として、私にも責任はあります」
アズクリッドはこんな風に告げた。
「身内の不始末――兄が迷惑をかけたこと、妹として謝らなければいけません」




