【16】
思えば、徹夜である。
眠気を感じないのは、それだけ色々とあったからだ。
マントで裸体を隠しながら、リオンは涙目で朝日を見つめていた。
「さて、仕事に行かないと――」
アズクリッドは当然のようにそう告げる。リオンの心はまだ非日常の空にふわふわ浮かんでいるのに、アズクリッドは一足先に日常という地面に足を付けていた。
「……その恰好で?」
身なりについては、他人にどうこう云える現状ではないリオン。
それでも、日常生活を送るには攻め気味な衣装のアズクリッドを見つめる。
「肩に乗っている……その、ぬいぐるみ? それ、なに?」
黄色いタコのような、名状しがたきモノ。
「かわいい」
アズクリッドの返答は一言だった。
「……えっ! あ、はい」
リオンは虚を突かれる。
「職場で着替えるから、特に問題はない。リオンくんは朝ごはんをよろしく」
この場合の朝ごはんとは、自分たちの分ではなく、猫たちの分を示している。
「それと、ロマン」
「ああ、私は満足したから帰るぞ」
「なにを勝手に逃げようとしているの。後で、ギルドに来なさい」
リオンもまた、アズクリッドから昼過ぎにギルドに顔を見せるように云われた。
闘技場の出入り口で三人バラバラに別れ、リオンは一人で家に帰る。
普段ならば、ちょうど起き出すぐらいの時間帯――。
玄関を開けると、三匹の猫に迎えられる。
にゃー。
にゃー。
にゃー。
お帰りと云うよりは、真夜中に出て行っていたことを責められているようだ。
もしかすると、心配されているのかも知れない。同じ立場の四号として、リオンは素直な気持ちで彼らに謝罪する。朝ごはんをいつもより豪華にしておいた。
ロマンに借りたままのマントをコート掛けに吊るし、ひとまずシャワーを浴びる。
濡れた髪をタオルでふきながらリビングに戻って来ると、テーブルの上に置かれたままの蒼の腕輪に気づいた。リオンは苦笑しながら、それを手に取る。
真夜中、アズクリッドは、リオンが家を抜け出したことに気づいた。
それなのに、テーブルの上に残された蒼の腕輪に気づかないなんて事はないはずだ。
リオンなりのメッセージを込めたこの腕輪――。これが別れの挨拶であると、彼女は気づいただろうか。それとも、単純に、リオンが忘れて行っただけと思っただろうか。
可能性は、どちらも十分ある。
ただし、彼女は聡い人である。
リオンよりも、大人である。
「受け取ってもらえなかったのかな?」
リオンは苦笑を浮かべたまま、蒼の腕輪を両手の掌で転がした。
「わかった上で、ここに置いたままなのかな。それはちょっと、恥ずかしいね」
別れの挨拶と共に込められていた気持ちは、弱っちい決意、情けない未練。
何もかもお見通しで、それなのに放って置かれたというのは――。
『自分勝手なのよ、馬鹿』
そんな風に怒られているようにも感じる。
捨て置かれているというシンプルな事実に、リオンはアズクリッドの意図と、冷ややかな感情をはっきりと読み取ってしまう。だから「ごめんなさい」と小さく唱える。それはもちろん、ギルドホールで仕事をしているだろう彼女には聞こえないけれど。
リオンは左手に、蒼の腕輪を装備する。
シンプルな服装ばかりのリオンが身に付けるには、はっきりと浮くデザインのアクセサリー。誰であろうと、一目見てそれに気づくはずだ。もちろん、アズクリッドだって気づく。リオンは彼女の視線を誘うように、左手をわざと振ってやろうとも考える。
そうして、いつもの笑顔を取り戻した。
いつも通り、日常に戻っていく。
さあ、毎朝の家事である。
リオンは洗濯を手早く済ませると、屋上に干しに行った。奥様方のゴシップトークに巻き込まれ、切れの悪い返事で濁しながらの退散――。猫たちを遊ばせながら、掃除して部屋を片付ける。そんな風に日常のルーチンを終える頃には、リオンは眠気と疲労でふらふらになっていた。
ベッドで伸びている二号に誘われ、そのまま思わず横になる。
眠りに落ちるのは、一瞬で――。
次の瞬間には、カーテンの隙間から午後の日差しを浴びていた。
「わっ……!」
ハッと気がついて飛び起きる。
ウィンドウを開けば、約束の時間はもうすぐだ。
「ああ、しまった」
まったく寝ないで仕事に行ったアズクリッドに対し、そもそも眠ってしまったことが申し訳ない。
バタバタと身支度を整えて部屋を飛び出そうとした寸前、リオンはロマンのマントを忘れていたことに気づく。コート掛けから慌てて手に取ったものの、そこで少しだけ迷う。返却するにはクリーニングしてからの方がいいだろうか。そもそも、レアリティの高い装備品を洗っていいのだろうか。
ささいなことに首を傾げたのも、やはり一瞬のことである。
とにかく、時間がない。
考えるのをやめて、リオンはマントを羽織っていた。
手に持つよりは楽である。駆け足するにも、こちらの方がいい。
「行って来ます。留守番よろしくね」
にゃー。
にゃー。
にゃー。
三匹の猫に送り出され、リオンはロウシャンの雑踏に飛び出した。
真紅のマントを風になびかせ、駆け足。一か月前にはビクビクしていた人混みを、ゆるやかにかき分けていく。初夏である。午後を過ぎて、気温が少しずつ上がり始めている。もう一月も経てば、こうして走るだけで汗だくになるような炎天下になるだろう。
ギルドホールにたどり着く。
実は、ここに来るのはまだ二度目である。
最初は、ロウシャンにやって来たばかりの初日の出来事――アズクリッドから手ひどく門前払いを喰らった。リオンは思い出し、ギルドホールの入り口でちょっと身構えてしまう。あれから一度も、ギルドホールを訪れることはなかった。単純に用事が無かったとも云えるし、一応は夢破れた場所である。思うところがないわけではなかった。
「……まあ、行くしかないよね」
別に、今日は冒険者になるためではない。
アズクリッドに呼ばれたから、やって来ただけである。
時間はぴったりだった。
午後の昼休憩が終わったばかりのタイミングで、ロウシャンのギルドが一番空いている時間帯である。ただし、空いていると云っても、もともとが賑やかな場所である。受付窓口のほとんどは埋まっているし、ホールのあちこちで雑談や情報交換している冒険者もたくさんいる。
「ようこそ、いらっしゃいませ」
相変わらず、アズクリッドの窓口には誰も並んでいない。
リオンは警戒した猫のようにその窓口に向かった。
「それでは、お座りください」
「……あの、アズクリッドさん?」
「本日は冒険者の登録でよろしいでしょうか?」
「……おかしい、聞こえてないのかな。アズクリッドさん?」
「かしこまりました。それでは、ウィンドウを展開してください」
これはダメだ、何を云ってもダメなパターンに入ったようだ。
リオンは大人しく、カウンター越しの椅子に腰かける。
最初の時と同じように、ウィンドウを展開してプロフィール画面を表示した。
「それでは、失礼」
アズクリッドが指を伸ばして来る。
リオンのプロフィール画面をスクロールすると、片隅に記されていた『最低限のステータスに満たないため、冒険者としての登録不可』という一文と、彼女自身の署名を指でなぞり、削除した。
「これでよし」
アズクリッドは満足そうにうなずいた。
「それでは、リオンくん」
「はい?」
何がなにやらのリオン。
アズクリッドは淡々と続けた。
「おめでとうございます、あなたは本日から冒険者になりました」
「……ほわっ?」
思わず、変な声が出た。
あたふたと両手を動かせば、タコ踊りのようになってしまう。アズクリッドの視線が、左手の蒼の腕輪に一瞬向いたけれど、そちらを気にしている場合ではなかった。
「ど、どうして?」
いきなりの展開に、リオンの理解は追いつかない。
「本来であれば、冒険者の道は誰にでも開かれている」
アズクリッドは冷静に、とても静かな声で説明してくれる。
「それなのに、リオンくんが冒険者になることを拒んだのは、ステータスが常識外れに低かったから――。逆に云えば、問題があったのはその部分だけです。そして、誤解があったことをこの場で謝罪します。ごめんなさい。あなたの本当のステータスはこの目でしっかり見せてもらいました。ギルドの受付嬢として、あなたのような素晴らしい人材を歓迎しないのは、絶対にあってはならないことでした」
最後に至る口調には、力強いものが込められていた。
アズクリッドは宣言するように、さらにこう述べた。
「あなたを冒険者としてギルドに迎え入れる。それに関しては、誰であろうと当然の帰結。私以外の受付嬢でも、昨夜の出来事を目にすればこうするのは間違いない。でも、ここから先は私にしかできないこと――」
淡々と、それでいて力強い口調で続ける。
「元S級の冒険者だからと云って、私は特別扱いされることを望まなかった。受付嬢として、普通の待遇を与えられればそれで良かった。でも、お節介な人ってどこにでもいるの。ギルド長よりもある意味で上の権限なんて、邪魔なだけと思わない? こちらの気持ちを無視したプレゼントを贈られるようなもの。面倒に思って、使うことなんて考えなかったけれど……でも、こうなったからには感謝する。そして、覚悟もできている」
アズクリッドはこんな風に締めくくる。
「私は今から、最大の権限を行使する」
ギルドでの登録が完了すれば、晴れて冒険者の仲間入りである。
幸運の星が突然降って来たようなもので、リオンはそもそも現実感を失っていた。
胸の内に生じた衝撃はとても大きい。なにせ、これで職を得られた。無職脱出、こんなにうれしいことはない。ようやくまっとうな社会人の一歩目を踏み出せた。
もちろん、新米の冒険者なんて社会的な地位はたかが知れている。
冒険者の最低ランクは、F級。最初は全員、そこからスタートする。
F級というのは、実際の所、冒険者の見習いのようなものだ。受注できるクエストも、街中の日雇いアルバイト程度のものしかない。F級の冒険者になったからと云って、それで喜んだりするのはおかしい。冒険者として登録されるというのは、あくまでスタートであってゴールではない。
しかし、リオンは十分に満足していた。
最初は閉ざされた道が、今、目の前にちゃんと続いている。
リオンはアズクリッドに感謝の言葉を云わなければいけないと感じていた。認めてくれたのは、他でもない彼女である。そもそも誰かに認められるなんて、リオンには初めての経験である。
ありがとう、と――。
リオンはタイミングを見て口を開こうとしていた。
しかし、アズクリッドは『最大の権限』という爆弾を投下する。
「リオンくん、あなたは普通ではない。普通でない者に、普通の道は似合わない」
彼女の冷たい声には、とても熱が込められていた。
それゆえ、次の一言はギルドホール全体に凛と響き渡る。
「ここに冒険者の登録を完了します。あなたのランクは、本来のF級ではなく……冒険者の頂点に立つにふさわしき素質と実力を、アズクリッド・レインボウ・フォンラーの名のもとに認め、S級、その末席、第二十位を授けます」
リオンのウィンドウが突然、神々しい黄金色に輝いた。
ギルドホールの隅っこに溜まる影すら焼き尽くすような光が溢れたかと思えば、厳かな音楽まで聞こえてくる。唐突に、それらはぴたりと収まった。すぐ目の前で強烈な光を放たれたものだから、両手で顔をかばうようにしていたリオン。恐々と何が起こったのか、ウィンドウの中をのぞき込んだ。
プロフィール画面には【冒険者】という肩書きが加わっている。
そして、ランクは【S級】とまばゆい虹色で表示されていた。




