【15】
実際の所、何が起こったのか。
問いかけられたとして、リオンにも答えはない。
あえて何か言葉にしろと云うならば、これはたぶん、不思議なことではない――と、自分一人で勝手に納得したその感覚を告げるしかない。つまり、異常事態というわけではないのだ。少なくとも、リオンには、こうなったことはむしろ当然の出来事のように思われた。
>> システム・ダウン
暁の空を見上げれば、ウィンドウの赤い警告文も同時に目に入る。
リオンの制御を離れたまま、ウィンドウは強制的に展開されていた。
炎に包まれながら、最初、その文字を目にした時――。
リオンは、身体がスッと軽くなるように感じた。
まるで縛り付けるものから解き放たれるみたいに。誰かの優しい手に抱き上げられて、恐れも戸惑いもない場所にふわりと持ち上げられていく。懐かしい気持ちになったのはどうしてだろうか。リオンは赤子のような気分で、すべてを流れのままにゆだねていた。
モンスターを一撃で屠った時にも驚きはなかった。
ただ、あるべきものが、あるべきところに落ち着いたように思える。特別なことなんて何もない。もちろん、これまでの自分と比べればあまりにも違っている。世界最弱の自分が、モンスターを一撃で倒すなんて絶対にありえない。本当は戸惑うべきだろう。だが、リオンはまったく平気だった。
これがどうやら自分である。
知らなかった――。
あるいは、忘れていた――。
あるがままの自分という奴らしい。
結局は、そんな風にストンと受け入れていた。
「ごめんなさい」
気持ちが落ち着いてくると、リオンは途端に申し訳なさを覚えた。
謝罪の言葉と共に、腰を抜かしたままのロマンに手を差し伸べる。
「うっ……!」
ロマンは一瞬、怯んだ。
リオンは表情をさらに曇らせ、もう一度心から謝った。
「ロマンさんを驚かせる必要はありませんでした」
そもそもの勝負の内容はフレイムリザードにリオンが一撃を与えられるか――勝敗の条件も、リオンが押し通したものだ。
一撃を当てる所か、一撃で消滅させてしまったけれど。
まあ、何にしろ、リオンとロマンの勝負はその時点で終了していた。
だから、それ以上は蛇足であるし、無意味である。
ロマンに剣を向けられたという事実は、もちろんある。確かに、先に斬りかかられた。正当防衛と云えるかも知れない。だが、やはり、やり過ぎだろう。リオンは全能感に背中をグイグイと押されていた。
それは初めての体験である。
荒波のような感情の渦。力を持つ者として、力を使うことの快感。ロマンはあの時、はっきりと恐怖した顔を見せていた。リオンの知っているロマンという人は、威風堂々として、何百年も揺らぐことのない大きな城のような人だ。そんな人を思うままに壊せるという事実は、リオンを普段とは異なる精神状態に押しやった。
あの瞬間、静かに――。
だが、確かに――。
リオンは、喜びを覚えていた。
獣のように、力に酔いしれていた。
「ごめんなさい」
さらに繰り返した言葉は本物である。
本心から、リオンは申し訳ないと思っていた。
「いや、謝る必要はない」
ロマンは力強く、そんな風に返してきた。
リオンが差し伸べたままの手に、ロマンも手を伸ばす。だが、その手はぶるぶると震えていた。ロマンはそんな己の手をしばし見つめ、これ以上なく苦い顔になる。次の瞬間、急に、その手を地面に思いっきり叩きつけていた。
「これでいい」
震えの止まった手で、ロマンはリオンの手をつかんだ。
「私は全力で正々堂々と戦い、無残に完敗した。これは私の力が及ばなかったというだけの話で、君が謝ることは何一つない。そして、私も謝らないぞ。私は恥じるだけだ。剣を取り落とし、命乞いするような醜態をさらしたことは、私の人生で最大の汚点となるだろう。ああ、二度とこんなことはしないさ。まったく、駆け出しの冒険者だった頃を思い出してしまうよ。これは一から出直しだな」
立ち上がったロマンは、自分らしさを取り戻したように軽口を叩く。
リオンも、いつもの笑顔でそれにうなずいた。
「すみませんでした」
「だから、謝らなくていい。私の方がミジメになる」
ようやく、二人で笑い合った。
雨降って地固まる、ではないけれど、戦いを終えた者の和やかなムードに変わっていく。
男同士、全力で刃を交えることで理解し合えるなんて古臭い哲学を、ロマンは心ひそかに信仰していたりする。リオンにはそうした戦士としての特別な想いはないけれど、なかなか悪い気分ではない。
さて、状況に取り残された者がもう一人――。
「やれやれ」
アズクリッドはため息を吐いている。
あえて、二人の男の間には割って入らなかった。
蚊帳の外に置かれたのを良いことに、彼女は一人考え込んでいた。
リオンが示した、異常なるその実力――本人はふわふわと能天気な頭で受け入れているけれど、アズクリッドのように物事があいまいなままでは気が済まない性質の人間からすれば、無視するにはちょっと難しいレベルの出来事だ。
どのような理屈で、どのような力が働いたのか。
アズクリッドは原理を解明しようと頭を悩ませている。
>> システム・ダウン
未だに消えないその禍々しい表示を、アズクリッドはしばし見つめる。
そして、『システム・ダウン』という表示が最初に出現した瞬間を思い出そうとした。
フレイムリザードの火の息を浴びて、リオンのライフはぐんぐんと減ってしまった。アズクリッドとロマンが気づいた時には手遅れで、【炎】の状態異常によるスリップダメージでとどめまで差されてしまうかという窮地に陥っていた。
だが、次の瞬間には異変が起こり――。
突如として、『システム・ダウン』という表示が出現した。
「命が脅かされたから?」
アズクリッドは首を傾げる。
例えば、スキルの一種には、ライフが尽きるタイミングで発動するものがある。『戦闘中一度だけ、ライフが尽きた時に全快する』等のスキル効果である。そうしたスキルは決して珍しいものではなかった。
ただし、リオンの身に起こった出来事はライフが尽きた瞬間ではない。
非常に似たようなタイミングではあるものの、ライフが尽きた後にそれは起こった。
さすがのアズクリッドも、心臓が止まるタイミングで発動するスキルなんて聞いたこともない。そもそも、リオンのステータス画面は知っているのだ。彼が一切のスキルを所持していないのは確認済みである。
そしてまた、リオンはあの時、一切の装備を身に着けていなかった。
炎によるダメージで、身に着けていたものは全部失われてしまっていた。
だから、装備のスキル効果という可能性もないわけで――。
「装備?」
アズクリッドは不意に、己の思考に引っ掛かりを覚える。
「待って、冷静に……。装備? 装備を失ったタイミング?」
アズクリッドは再び、リオンのステータス画面を思い出してみる。
前代未聞の異常ばかりのスタータスの中でも、とりわけ最大級のありえなさ――。
――マイナスの装備適正。
「……ああ、そんな。もしかして!」
アズクリッドが閃いたその時である。
本格的に、朝の訪れ。
吹き抜けの天井から、黄色い朝日が、闘技場全体を鮮やかに照らし出す。これまでも、夜空は端の方から白く染まり始めていたが、闘技場の中にはまだまだ深い闇が溜まり込んでいた。
光の束が幾筋も、三人の居場所に差し込んだ。
「アズクリッドさん」
ちょうど、リオンがアズクリッドの方に向き直る。
絹糸のような繊細なブロンドの髪が、陽光を浴びて宝石のように輝く。瞳は、奥底まで吸い込まれそうなぐらい澄んでいる。生まれたばかりの赤子のように、肌は柔らかそうで傷ひとつない。フレイムリザードの火の息によるダメージすら、最初から無かったもののようになっている。
そんな風に、何もかもが照らし出されていた。
温かく、やわらかな光が、リオンの全身を、隅から隅まで包み込んでいる。
「リオンくん、その……」
「アズクリッドさん。ボクは――」
リオンは、彼女に何かを云わなければいけないと思っていた。
事情を隠して家を出て来たことを謝らなければいけない。危ない所を助けてもらい、お礼を云わなければいけない。S級の冒険者であったその過去を知らなかった。だから、もっと色々なことを尋ねてみたい。ロマンを圧倒するような自分の力について、何もわからないけれど、それでも安心してもらいたい。
そんな風に、色々と思うことはあったけれど。
しかし、まあ――。
当然、この場では何も伝えられるわけがない。
「リオンくん。だから、ね――」
アズクリッドは云いかけるが、さすがに途中で黙り込む。
リオンはしばらく、言葉を探して必死になっていたけれど――。こちらもさすがに、その内に気づく。リオンとアズクリッドのそれぞれの視線は、最初こそ互いを見つめ合うようなものだった。それがいつの間にか、すれ違っている。リオンはアズクリッドの瞳をまっすぐ見つめているのに、彼女の方は、どうしてか、やや下方に視線が向いており――。
アズクリッドは、いつも通りの無表情である。
それが状況を悪化させたことは否めない。
彼女が少しぐらいそれらしい反応をしていたら、リオンも早めに気づいただろう。もちろん、少しぐらい早めに気づいたからと云って、手遅れなのは変わらないけれど。一目見られるか、じっくり見られるかの違いである。それでも、まあ、精神的なダメージは変わったかも知れない。
リオンは全裸である。
「きゃーーっ!」
天高く、太陽すら貫くような悲鳴を上げたのは、もちろん、リオンの方である。
アズクリッドは目を閉ざし、老賢人のように腕組みしながら重たい息を吐く。
そしてまた、ロマンはしみじみと感想を漏らしていた。
「ああ、これは……。やはり、こうして見ると――」
フルオープンな全身を隠そうとして、あたふたしたものの隠し切れないリオンは、結果として本能的に丸くなっていた。屈み込んで、ギュッと己の全身を抱くように膝を抱える。それでまあ、要所は隠れた。ただし、微妙な所だけ隠れているから、逆に、きわどくなるのも事実であり――。
ロマンが神妙にうなり声を上げる。
「やはり、これでは女の子にしか見えん。金が取れるぞ」
アズクリッドが無言で、その頭に錫杖を振り下ろした。
脳天にクリティカルヒット、ロマンのライフがガクッと減る。
「痛いぞ!」
「リオンくんをそんな風に見るのはやめて」
「そんな風ってなんだ! 私はただ、純粋に……」
「ああ、汚らわしい。早く、そのマントでも貸しなさい」
ぶつぶつと文句を云うロマンに対し、容赦のないアズクリッドは問答無用でマントを奪おうとする。ロマンの装備はいずれもレアリティの高い一級品であるから、本当は力づくで奪うようなことはできない。しかし、ロマンは抵抗しなかった。マントを大人しく脱ぐと、そのままアズクリッドに手渡していた。
真紅の立派なマントは、細身のリオンをすっぽりと覆うぐらいの大きさ。
シクシクと泣きながら丸まっているリオンを、アズクリッドは優しくマントで包み込んだ。
>> システム・ダウン
すると、その真っ赤な警告がいきなり消え去った。
これまでの異変が嘘だったかのように、平穏が戻って来る。
「やっぱり」
アズクリッドは納得したようにうなずく。
リオンのありえないステータスの中でも、一番のありえなさ。
マイナスという、おそらく世界に一人だけの装備適正。
身に付けるものの大半が装備としてカウントされるこの世界。立派な鎧でなくとも、普段着のシャツ一枚だろうと防御力は備わっている。そうした日用品のレアリティはコモンである。防御力を始めとしたステータスが備わっていると云っても、その数値は大したものにはならない。
ただし、リオンの場合はそんな大したことのない値でも大したことになってしまう。
マイナスの装備適正、それがあまりにも大き過ぎるためだ。
というか、その数字は天文学的な値に達している。
装備品のパラメーター。
装備適正。
そもそもの生身の基礎ステータス。
さらに、タレントとスキルの効果。
そうした数々の要素を踏まえて、各人のウィンドウには最終的なステータスが表示される。
なお、途中の計算式は非常に複雑なものである。専門的な研究者でも全てを理解しているわけではない。そのため、一般人のステータスに関する認識は曖昧なものだ。大半が己の経験に基づくものとなっている。
ギルド受付嬢のアズクリッドは、多少はその仕組みに詳しい。
少なくとも、極端な数値が入り込んだ時には、最終的なステータスが予想もつかない方向に動くことを知っている。仮に、装備適正が『1』の者と、『100』の者がいたとして――同じ武器を装備した時、純粋に百倍の差が出るかと云えばそうではない。時には、最終的な数値は千倍、万倍の結果ともなり得るのだ。
繰り返しになるが、リオンのマイナスの装備適正は天文学的な数値である。
シャツの一枚がステータスに及ぼす効果なんて、普通は微々たるもの。冒険者ならば考慮すらしないようなものだ。しかし、それがマイナス方向に天文学的な勢いで吹っ飛ばされたら、さすがのアズクリッドも経験と知識からの予測は不可能である。
結果で語るしかない。
リオンという少年は、装備品とも云えないような装備品ですら――。
具体的には、普段着であるシャツやズボン、帽子、ベルト――。
あるいは、残念ながら下着の一枚ですら――。
身に付けると、マイナスの凄まじい装備適正の働きで、ステータスのあらゆる数字を最低値まで叩き落してしまう。アズクリッドがギルドの受付で目にしたステータス表示が、まさにその状態である。常識として衣服を身に付けているだけで、リオンは気づかないまま、世界最大の束縛を己に行っていたわけだ。
アズクリッドの思い付いた、この仮定――。
この時点では仮定であるものの、実際、正しかった。
アズクリッドが裸に剥いたリオンに対し、着せ替え人形のごとく、あらゆるアイテムを身に付けさせることでそれは実証されるのだけど――数日後に行われるその特殊なイベントについては、別の機会、別の場所で語られるべきだろう。
何はともあれ、リオンはこの世界のシステムに呪われている。
アズクリッドは最初、そんな風に考えた。
だが、少しして考え直す。
マイナス方向にありえない大きさの装備適正。そんなものを与えられているため、リオンは人として普通の恰好をしているだけでも世界最弱のステータスになってしまう。他人にはないハンディである。リオンはそのために見下されてきた。システムに頼って生きるこの世界で、最悪の宿命を背負わされたと云っても過言ではない。
だが、違うのだ。
視点を変えれば、まったく違うものが見えてくる。
装備品を身に付けることで、システムに縛られ、世界最弱となるならば――。
装備品を身に付けないことで、システムに縛られない、ありのままの姿になるわけで――。
フレイムリザードを一撃で消し飛ばし、S級冒険者にして剣の勇者であるロマンをはるかに圧倒した時の姿こそ、すなわち、リオンの本来の姿である。神が匙を投げるレベルの暴力的な基礎ステータス。世界最強の人類の一人であるロマンが手も足も出なかった。ありのままの姿で、真に、最強――。システムが恩恵ではなく、束縛にしかなっていない。人類として、こんな規格外は他に存在するはずもなかった。
システムから解き放たれたリオンに敵うようなモノはいないだろう。
生まれたままの姿で、天下無敵。
全裸最強。
ああ、滅茶苦茶である。言葉でいくら説明しても、誰も理解してくれるはずがない。わけがわからないのだから。常識や道理を置き去りにして、不条理な領域に突っ込んでしまっている。この答えにたどり着いたアズクリッドですら、思わず、くすりと笑ってしまうぐらいだ。
「リオンくん――」
アズクリッドは一言、今宵の感想をつぶやく。
「本当のあなたは、とても立派だった」
リオンは間違いなく、この世界の神に呪われている。
ただし、神とは違う何かから、最強の力をプレゼントされている。
だから、アズクリッドはこんな風にも思った。
最悪の宿命を背負いながら、その一方で――。
リオンは、これ以上ない祝福と共に生まれてきたのかも知れない。




