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きみのすべてを解き放て  作者: シロタカ
◇ 第1話 最強と最弱
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【14】

 ロマンはS級冒険者であり、剣の勇者である。


 まぎれもなく、世界最強の一人である。


 ただし、人間として。


 人間はそもそも、基礎的なステータスは決して高くない。


 世界に数多存在する人間以外の生命体――代表的なものは、やはりモンスターである。モンスターで上位種として知られるものの多くは、ステータスでは人間を遥かに圧倒していた。生物種としての絶望的な差を埋めてくれるのが、この世界の根幹であるシステムというものだ。システムの恩恵を受けずに真正面から殴り合ったならば、人間はモンスターにあっさり蹂躙されるだろう。


 ロマンでもそれはそうだ。


 武器を捨て、防具を脱ぎ、スキルを封印し、仲間からの補助魔法も受け付けない――そんな裸一貫の状態では、絶対に大した戦果はあげられない。システムの恩恵を失えば、人間はかなり脆弱な生き物であることが露呈する。


 だから、ありえない。


 目の前で起こったことは、この世の常識を超えている。


 武器を持っていない、防具を着ていない。


 スキルは発動していない。仲間からのアシストもない。


 裸である。


 一人である。


 それなのに、一撃。


 一撃で、モンスターを粉々に打ち砕いた。


「馬鹿な……」


 絞り出すようにして、それだけ云うのがやっとだ。


 動き回ったわけでもないのに、ロマンは息が切れていた。あまりの光景に息を呑み、そのまま呼吸を忘れていたらしい。あえぐように空気を吸った。ありえない、ありえない、ありえない。吐き出す息と共に、パニックも吐き捨ててしまおうとするが、ロマンはなかなか平静になれなかった。


 一方で、凪いでいる。


 ただ、静か。


 真夜中の闘技場を照らすのは、今や、夜空の月だけである。フレイムリザードの吐いた火の息も、その大きな体と共に消し飛ばされていた。声を立てる者はなく、時折、バチバチと雷鳴の走るような雑音だけが生じている。そして、大きく展開されたままの深紅のウィンドウ。忌まわしき警告文と共に、少年は静かに立っている。


「システムが……。何が、起こっている?」


 ロマンはうわずった声でつぶやくが、返事をする者は当然ない。


 裸の少年。


 リオンの繰り出した攻撃は――。


 いや、攻撃と呼べるのかも怪しいその一撃は――。


 動作としては、殴る。


 ただし、非常にゆっくりだった。


 ふわりと、ただ、右手を前に突き出したようなもの。


 それだけなのに効果は劇的だった。


 フレイムリザードは文字通り消滅した。


 骨の欠片も血の跡も残さず、何もかも塵と化した。


「なんなのだ、あれは?」


 ロマンは遂に叫ぶ。


 ロマンが自慢の武器を使い、必殺のスキルを駆使すれば、フレイムリザードぐらい一撃で倒すことは可能である。ただし、あれ程までに完全なる破壊は不可能だ。もはや人間の所業ではない。それこそ、おとぎ話に登場する最強のモンスター、竜が使用するというブレスぐらいの威力がなければ――。


 そこまで考えて、ロマンの思考は途切れる。


 思考を中断せざるを得なかった。


 リオンが振り返ったからだ。


 目が合い――。


 そして。


 彼は一歩、こちらに進んだ。


「……リオンくん?」


 ロマンと同じく、こちらも呆然としていたアズクリッド。我に返ったような顔で立ち上がると、一歩、二歩と、ふらふらした足取りでリオンの方へ歩み寄ろうとした。


 すぐ近くにいたロマンは反射的に動く。


 アズクリッドの肩をつかみ、強引に引きずり倒した。


 代わりに、前へ出る。


 ロマンは剣を構え、リオンに向けた。


「止まれ」


 ロマンは己の行動を正義と信じている。


 目の前にいるのは、もはや、得体の知れない何かである。そしてどうやら、この世界の神《システム》を乱している。システムと共にある人間の一人として、あれは種としての敵対者のようにしか見えなかった。


 半歩、横に動く。


 尻もちをついているアズクリッドをかばうように位置取る。


「止まれと云った!」


 リオンは止まらない。


 何も云わず、向かって来る。


「止まらないならば……」


 言葉の通じないモンスターを相手にする時の選択肢は、最初からひとつしかない。


 結局、それと同じである。ロマンは覚悟を決めて、大きく一歩、二歩と踏み込んでいく。


「覚悟を!」


 間合いに入り、一閃。


 躊躇はなかった。


 代わりに、確かな恐怖を覚えていた。


 振り下ろした刃。手ごたえはなく、空振り――。避ける動きがまったく見えなかった。中途半端に宙で引き留めたロマンの手が小刻みに震えている。己が恐怖に震えているという事実に、ロマンは改めてぞっとする程の恐怖を覚えてしまった。


 S級冒険者に上り詰めて、もうかなりの年月が経っている。世界のトップに居座るようになってからは、どのような悪党やモンスターと対峙する時も恐れることはなくなった。


 ロマンは絶対の自信を持っている。


 世界最強たるプライドが、今、あっさりと崩壊した。


「う、ぐ……」


 嗚咽を噛み殺し、ロマンは剣を構え直す。


 リオンは、ほんの少し横に動いただけのようだ。


 振り下ろされるロマンの剣に対し、何の脅威も感じていないかのように、するり、と、半身を傾けたらしい。紙一重の攻防と云えば、そうとも云える。だが、ロマンにはリオンの動きが、圧倒的な強者のそれであることがわかっていた。紙一重は、反応がぎりぎりだったからではない。ただただ余裕であったから、寸前で避けてみたというだけなのだ。


 恐怖に背中を押され、ロマンは剣を突き出す。


 心臓に一直線の、鋭い突きである。


 リオンは避けなかった。


 剣先が、直撃《クリティカルヒット》。


「……は?」


 表示されたダメージは、『0』。


 心臓を貫くことはもちろん、皮膚を破ることもできない。


 いや、ロマンの剣はリオンの皮膚に食い込んですらいなかった。


「……」


 何も、言葉は出てこない。


 恐怖を通り越し、驚嘆を通り越し、ロマンの心は無になる。


 リオンが動く。


 ロマンの目の前から、瞬間、かき消えて――。


 次の瞬間、真後ろに立っていた。


「こちらです」


 親切にも、教えられた。


 ロマンは振り返ろうとするが――。


「残念」


 さらに次の瞬間には、正面に戻っている。


「では、いきますよ」


 そして、ロマンの目の前に拳が迫り来る。


 ゆっくり、と。スローモーションのような攻撃であるものの――。


 それは、フレイムリザードの存在自体を抹消したかのような、あの一撃と同じ――。


「う、うわぁあああぁぁぁー!」


 ロマンは人生で初めて、本物の死というものを実感する。


 絶叫と共に、我も忘れて叫び狂った。


「参った! わかった、私の負けだ。やめてくれ!」


 腰を抜かし、剣も放り出し、両手で身を守るようにして命乞いした。


「ああ、よかった」


 ロマンと対照的に過ぎる、のんびりとした声色。


 拳は途中であっさりと止まっており、いつもの笑顔が浮かんだ。


「あ。もう、朝ですね」


 夜に、一筋の光が差し込んだ。


 暁の光。


 いつの間にか、夜明けが近い。


 闘技場の中であるから、地平線は見えない。見えるのは、白んでいく夜空である。自然の情景の移り変わりは、ほんの少し前まで、リオンの目を楽しませてくれる唯一のものだった。ボロ小屋で一人暮らしていた頃は、朝焼けの美しさに誰にも云う必要のない『おはよう』を代わりに告げていた。


 おはようの代わり、リオンはロマンに告げる。


「ボクの勝ちですね。アズクリッドにはもう手を出さないでください」

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