3_2. 提案
——俺と結婚しない?
ケッコン。結婚以外には血痕しか思いつかない。物騒なのでほかの漢字候補を脳内検索していると、凌くんから「ロマンチックじゃなくてごめんね」と謝られた。ロマンチックということは結婚で合っているということでいいということか。
でも私への恋愛感情がないことは明らかだから、いまのプロポーズは提案と訳すほうのプロポーズなのだろう。となると考えられるのは仕事関連、なにか既婚者が有利になるような条件でもあるのだろうか。
「仕事でお困りごとが……?」
「いやまったく」
「まさかお家問題……!?」
「全然」
どれも違った。違ってよかったけど、ほかに理由が思い浮かばない。
「いまからみいを家に送り届ける予定だけど、娘を脅すような色ボケがいるところに帰らせるってやっぱり無理だわ。まだなんにも解決してないんだよ? 解決するまでうちにいていいのに、みい遠慮するし。だったら結婚しちゃえば帰らせなくて済むかなって、待ってるあいだもずっと考えてて」
昨夜も凌くんは遠慮せずうちにいていいと言ってくれた。心底ありがたいと思う反面、短期間で解決できるとも思えず、よくよく考えていったん家へ帰ることにした。その旨を伝えたところ、凌くんは渋い顔をしながらも了承し、お守り代わりにと小学生のころ住んでいたほうの家の鍵を持たせてくれた。また夜に飛び出すことがあれば公園じゃなくてこっちに避難しなね、と心配されたところで昨日は終わり。だけど今日は「だったら」が続いた。
だったら結婚しちゃえば。だったら結婚しちゃえば。
……結婚が出てくる文脈だっただろうか。でも一般的にみて、血縁関係でもない男女が一緒に住むとなると最初に想定される関係は夫婦だろう。そうすると結婚で合ってるのか。
でも結婚で合ってるの? 八桁の借金を抱えた家と縁づいてなんの得が? ゴキの養分にされている父親なんて義理でも嫌でしょ? なにをどう考えても凌くんが損する姿しか想像できない……、これはもう本人に聞こう。凌くんにとって結婚とは?
「みいと一緒にいるための手段」
言い切られたその回答に一拍おいてぎゅんとなった。もっと打算的な理由を予想していたのに、滅せられそうなくらいのぎゅんをくらってしまい声が出ない。かろうじて「そっか」と返したが、もしかしたら声になってなかったかもしれない。泡もくらってアイスの袋をいじることしかできないでいると、凌くんがゆっくり「この十年」と続けた。
「みいがいなくてつまんなかったよ」
……私もつまらなかった。凌くんに会えなくて寂しかった。
例えば、子供のころからあったお菓子が生産終了になったとき。例えば、学生時代に好きだった洋服ブランドが閉店したとき。例えば、昔好きだったマンガのコラボ商品が発売されたとき。
そんな周囲には聞き流されてしまう程度のニュースも凌くんとなら思い出話で盛り上がれるのに、できなくなってつまらなかった。
なによりも凌くんの誕生日。毎年恒例でぐるぐるクッキーを焼いていたのに、渡せなくなって寂しかった。今年のぐるぐる具合は過去一白蛇さんっぽくできたのに。
「え、今年もつくってくれたの? もらってないんだけど……」
「私が食べましたが」
ええ、年の数の二十九枚全部その日に食べましたが。
ちなみに胸焼けを起こして明け方までうなされるはめになった。自分で食べるしかないとわかっていてつくったけど、凌くんには会えないし内臓の衰えまで自覚させられるしで悲しくて泣けたものだ。
凌くんが「俺のクッキー……」と突っ伏した際にクラクションが盛大に鳴ってしまったので、いったん切り上げて駐車場を出る。そのまま少し走って赤信号で止まると、来年もまたつくってくれるかと問われたので即承諾した。下手の横好きに過ぎないお菓子をいまも食べたいと思ってくれて嬉しい。
「ぐるぐるじゃないやつなら、また近いうちにつくってくれる?」
「ふふっ、うん、いつでもつくるよ」
「いつでも?」
「いつでも!」
「じゃあ、いつでもうちにいない?」
……これは再度のプロポーズなのだろうか。いや、同居の提案か。
どちらにせよ凌くんと一緒にいられるなら私にとっては願ったり叶ったりで、凌くんも私がいないとつまらないと言ってくれて、だったら私から断る理由なんてなくて。
面映ゆくて尻すぼみになりながら「いたいです」と答えれば、凌くんは「やった~」と喜んでくれた。
でも、でもね、凌くん、私その……、無職でして、借金を返したら貯金もゼロになるから、お荷物にしかならないかと……
「また肩代わりしてあげる気なの?」
「……お母さんの住むところがなくなるのはかわいそうだから」
実家に愛着はないから借金のかたに取られようとどうでもいい。
でも家がなくなったら母が生きていけなくなる。母は他人の水音が気になるタイプだから集合住宅はフルストレスだし、父が無断で母の兄弟にまで借金を頼みにいってしまったから身の置きどころがない状態だ。だから住居だけは私がどうにかしないといけない。
「肩代わりするならなおさら、みいは無職でいたほうがいいだろうね」
車を走らせる凌くんに驚くことを言われた。そこは生きていくために働けと叱咤するところではないだろうか。
「おじさんはさぁ、また何年後かにやらかすよ。それでまた最後は娘頼み。そうなったとき、みいにお金がなかったら断れるじゃん。今回のみいの貯金っていうのは、たぶん財産分与されたお金だろ? おじさんもみいにある程度まとまったお金があるって確信してるから、しつこく強請ってくるんだろうし。だから二の舞を防ぐためにも、みいはあんまりお金を持たないほうがいいよ」
ズバリ言われて肩が落ちる。たかられる星のもとに生まれてきてしまったんじゃないか、とも言われて首まで落ちそうだ。だけどその自覚は正直あって、二の舞どころか三の舞、四の舞となる未来も想像できてしまう。
どうしてだろう。どうして善意で出したお金が、たかりなんて悪意の呼び水になるんだろう。ただ助けたい一心だったのに、助けたひとの成れの果てがくれくれモンスターだなんてどういう理屈なの。情けは人の為ならずって本来は良い意味だって聞いた覚えがあるけど、誤用のほうが本質を突いているんじゃないだろうか。親切にしたらモンスターに変わって食い殺そうとしてくるなんてホラー映画だとしても意味がわからない。
意味不明すぎる設定だけど、この世界はそういう仕組みになっているとしか思えない目に遭った。誰が相手でも親切心でお金を出してはいけないんだ。その相手が家族だったら難しいけど、でも私がはじめから断っていたら家族が豹変するさまを見ることもなかったのかな。私の価値が下がることもなかったのかな。
凌くんが言うとおり父はまたやらかすだろう。すでにたかり先として登録された私が逃れる術は、これも凌くんの言うとおり自分のお金を持たないことなのだろうか。でもそうなると凌くんだけに金銭的負担をかけることになってしまう、それはよくない。
「いいよ。俺は十分もらったから、今度はみいがもらってよ。みいのおかげで無意味な診療や祈祷がなくなって、学校にも普通に通えて、本当に感謝してる」
かつて助けたい一心を向けた男の子はいまも人間のまま。どうして凌くんはモンスターにならなかったんだろう。
お金のやり取りではなかったからだろうか。お金でひとは変わる、昔から言われているけど本当なんだね。でもお金でなかったとしても、親切心につけ込んであれやってこれやってと奉仕を求めてくるひともいる。まるで困っている自分を助けるのは義務だとでも言わんばかりの態度で、ああいうのはモンスターに該当するだろう。
凌くんからはそういうやってもらって当然といった傲慢さを感じたことはない。いまみたいにお礼を言われて……、ああ、そうか。凌くんは善意に感謝できるひとなんだ。その感謝をいまも忘れずにいてくれて、こうして返そうともしてくれている。だから凌くんはモンスターにならないんだね。
凌くんと一緒にいると居心地がいいのは、きっと感謝から幸せが生まれて、その幸せが私たちのあいだに満ちているから。でも昨日今日で私がだいぶ消費してしまったから新しく生まないと。私にできることといえば家事だけど、凌くんにとっては対価にならなさそうだし……
「クッキー焼いてくれたらそれで」
「見合わないが過ぎる。焼くけど」
「あ、マフラーも編んでくれたら」
「これから夏やないかい。編むけど」
凌くんが小学校時代をなぞるものばかりあげるのでツッコミを入れざるを得ない。夏からお祭りが派生し、花火大会にも行く約束をして、どんどん趣旨から遠ざかっていく。
でもどれも楽しみだという凌くんがかわいいので、とりあえず全部に全力投球しようと思います。特に花火大会は蒸し暑さと人混みがセットだから、凌くんが体調を崩さずに楽しめるプランを練らないと。
夏に向けて気合を入れていると、気付けば車は見慣れた道を走っていた。アプリを起動して両親のスマホの位置情報を確認すると、どちらも外出中だったのでこのまま実家に直行してもらう。
置き忘れが増えた両親を危惧して設定しておいた機能なのに、こんな形で活用することになろうとは。やるせなさをまとった息が漏れそうになるが、隣に凌くんがいるのでぎゅっと唇に力を入れる。
それよりも、と頭を切り替えて今日持ち出すものを考える。メイク道具、化粧水、当面着る服、あと……
「みい、まず印鑑を持ってきてほしい」
実家に着き、シートベルトを外す凌くんにそうリクエストされた。そうか、まずは貴重品か。身支度しか考えていなかった自分を恥じていると、婚姻届に必要だからと付け加えられた。ア、ハイ、ソウデスネ。
婚姻届というワードに頭がなんというかこう……、ぴよぴよとヒヨコが鳴いているみたいになってあまり働かない。足取りもぴよぴよになりながら自室に向かい、印鑑と通帳を確保して、あとはキャリーケースに入る分だけでいいかと雑な結論を出す。でもアルバムが……、トリさんも……、またすぐ来られるかな。
絶対に捨てられない思い出を前におたおたしていると、凌くんが車に積めるだけ積もうと言ってくれた。マンションに持っていくかどうかの仕分けは凌くんが昔住んでいた家ですることになったので、目についたものを片っ端からトートバッグやエコバックに詰めていく。去年の引っ越しの際に私物をだいぶ整理していたこともあり、荷造りは一時間ほどで終わった。
すみやかに凌くんの家へ移動し、主に衣類を車から降ろしていると凌くんのスマホが短く鳴った。内容を確認した凌くんが画面を開いたままスマホを手渡してきたので、受け取って見ると凌くんパパからだった。
メロンなどの写真と「ひさびさにクレープでも焼こうかな~」というメッセージに、脳内でジュウゥゥと生地を流し入れるシーンが再生される。
「昨日みいと鍋するって言ったから、父さんもおやつづくりが懐かしくなったのかな。食べにいく?」
想像させる系の飯テロに遭い、考えるまでもなく頭が上下に動く。
でもメイクはさせてほしい。仕分け作業はまた別日に改め、バニティポーチを引っ掴んで洗面所にダッシュする。急げ急げとベースを整え、アイシャドウの色味に一瞬迷うもブラウン系でまとめ、つけまで部分的に盛る。クレープが待っているのでティントリップを選び、髪はさっとアイロンを通してから簡単にまとめた。
ペールグリーンに白を合わせたメロンっぽいコーデに着替えて戻ると、凌くんは時間つぶしにと渡したアルバムを見ながら待っていてくれた。
「お待たせしました」
「あ、かわいい~」
褒めてもらえた。もうすぐ年齢の二桁目が変わることを意識しすぎているせいか、好きな服と似合う服のギャップが気になってきたので褒めてもらえてありがたい。お出かけできる身なりになったので、どこかで軽くお昼を食べようというお誘いにも迷いなくうなずける。
車の中をもう少し整理して、リビングに仮置きした荷物には目隠し代わりに大判のストールやスカーフをかけておく。凌くんが貸してくれたアウターは捨てていいと言われたけど、ひとまずたたんで一番上に置いておく。殺虫スプレーは持って帰ろう。
帰り際、リビングの窓を施錠するときにガラスもサッシもあまり汚れていないことに気付いた。思えば家自体も埃っぽくないし、最近も誰か来ていたのだろうか。気付かなかったな、と思いながらカーテンを閉めて部屋を出た。
「それじゃ~、まずは役所にレッツゴー!」
一、婚姻届。二、お昼ごはん。三、クレープ。本日追加されたお題は以上三点。
まずは優先度一位の婚姻届をゲットするため役所へ。道中手が空いている私は、以前から気になっていたお店を中心に営業時間や駐車場を調べることにした。店休日だったり中休みがあったりで思った以上に苦戦しつつも良さげな候補を二件発見。念のためお店のSNSも見ておこうとしたところで車が停まった。
何度か来たことのある戸籍課で届を二枚いただくと、隣の窓口にいた年下の女性に「おめでとうございます」と小声で祝われた。通りかかったおばさまにも「あらぁ、おめでとうね」と祝われ、それがまあまあな声量だったからか近くに座っていた数人が小さく拍手をしてくれた。
うれしはずかしで会釈していると、凌くんに手を繋がれて思考回路がショート寸前。頭の中で勝手に流れ始めたイントロの続きを歌っているうちに外へ出た。
「役所で拍手って、みい好かれすぎ」
さすがに見知らぬひとたちに祝ってもらうのははじめてだ。レストランでもテーマパークでもないのに、見知らぬ誰かを祝えるってみんな良いひとすぎる。私だったら行動に移せないと思うけど、もし今後そういう場面に居合わせることがあったら今日のお返しもかねて祝福しよう。
頭の中では引き続きロマンスな曲が流れているので、可愛らしいほうのカフェを次の行き先に希望した。表通りから外れたわかりづらい立地だったが、凌くんは地図を数分眺めただけで目的地に連れていってくれた。空間認識力というものだったか、かっこいい。あと一方通行に行き当っても動じないというのはどういう能力なのか、超かっこいい。
お花屋さんが経営するそのカフェは写真のとおりオシャレな空間だった。グリーンを中心にあしらった内装は爽やかで、そこにポイントで置かれた生花が甘すぎないかわいさをプラスしている。そんな心満たされるお店で、旬のアスパラを使ったパスタを注文してお腹も満たされる。凌くんも一緒で、とても幸せな昼下がりだ。
帰りに隣のお花屋さんも覗いてみると、これまたこだわりを感じるお店だった。ひんやりとした室内の中心部には厳選されたであろう切り花が、壁沿いにはリースや花瓶が数点ディスプレイされていた。鉢植えはなさそうなので花束専門のお店なのだろうか。
種類に反して色数が多く意外と見応えのある店内をゆっくり一周すると、「これがみいに一番似合う」と言って凌くんが指差したのはピンクのラナンキュラス。まんまるい八重咲きのそれはこの中で断トツに可愛い花だ。色もあいまってかわいさ増し増しで照れるが、私もラナンキュラスはピンクが一番好きなので「ありがとう」と返した。
すると凌くんが店員さんを呼んで花束をオーダーした。え、え、え、と凌くんと店員さんとお花を順繰りに見て、とまどいが抜けないまま包装紙とリボンの色を聞かれたので凌くんが選んだ色にうなずいた。
ディスプレイにぽっかり空いたスペースを見つめながら待っていると、そのスペースを埋めていたお花が綺麗にラッピングされて凌くんの腕に収まった。店員さんにお礼を言い、ぎこちなくドアを開けてお店を出る。
「はい。指輪はすぐに用意できないから今日のところは花で」
待っているあいだに受け取る心積もりをしたつもりだったが、こうしていざ直面すると緊張してうまく喜べない。もっとはしゃいで喜びを表現したほうが絶対いいよね、でも「ありがとう」「きれい」「うれしい」といった無難な単語しか出てこない。
というか指輪って……、つまりこれは婚約指輪ならぬ婚約花束なんだろうか。そう思ったらますます頭がわいて、おかしな敬語が混ざり始める。本当に恐悦至極でありますれば深き感謝の念を……
「……ねぇ、みい。俺のみいに対する感情は確実に愛ではあるんだけど、親愛や敬愛の類いだと思う。恋愛ではないから結婚は違うかって思ったりもするんだけど、でも俺の人生にみいがいないのも違くて。ずっと、いろいろ考えて、でも結局どんな名前の愛情だろうと真っ先に思い浮かぶ相手はみいなんだよ。だからつまり、俺が世界で一番愛してるのはみいってことになるから、俺と結婚してくれると嬉しい」
恋愛ではないと明言された。だけど着地点は世界で一番。
「私も、凌くんが世界で一番……」
口からすべり出るままに同じ言葉を返すと凌くんの目尻が下がった。次いで口が開きかけたのを見て、「ちょっと待ってて!」と出てきたばかりのドアに突進する。
舞い戻ったお花屋さんでチューリップを一輪取り、こちらを不思議そうに見てくる店員さんにお会計をお願いする。シンプルに包んでもらい、それと自分のを崩さないように持ちながら凌くんのもとへ戻る。
たしか赤いチューリップの花言葉は愛、一輪にはあなただけといった意味があったはず。私が好きなのは凌くんだけ、その想いを込めて返事とともに差し出す。
「宇宙で一番好きだよ、凌くん。凌くんと夫婦になれたら嬉しいです」
凌くんはときおり天使だったり神様だったり一番星だったりするので、規模を宇宙に広げて言い直す。
恋愛も、ないと言われたら言われたで寂しいけど、でも私が多めに持っているんだから凌くんの分も補える。むしろそのほうがバランスも取れていいかもしれない。私が恋愛や純愛のマスを埋めて、凌くんが親愛や敬愛のマスを埋めて、二人で全種類コンプリートを目指すのはどうだろう。
「お花もらっちゃったぁ」としなをつくる凌くんに、「あげちゃったぁ」とあざとポーズで返しながら車に乗り込む。車内でもキャッキャと話し続けたので、花瓶もバケツもないことに気付いたのはマンションに着いてから。本日のお題に四、花瓶が追加されたが、その前にクレープを求めて凌くんの実家に向かった。




