2_1. 命名
まぶた越しに自然な光を感じる。もう朝になったんだ。寝たといえば寝たような、でも寝ていないような、どことなくすっきりしない寝覚めだ。
ぼんやりしたままとりあえず目だけ開けると、隣にひとがいた。凌くんだ。うん、知ってる。昨日一緒に床で寝転んだ。うん、覚えてる。……で、どうして私はベッドに?
いや、覚えてる。思い出せる。そう、まずソファで寝ていて、床に落ちて、でもすぐに凌くんが来てくれて。そして一人罵倒大会を決行。さんざん罵って、疲れて寝落ちして、いや寝落ちする直前に凌くんが「フローリングって思ったより痛いんだな」って、それでベッドへ行くことになった。そう、だからベッドなう。
状況が整理できて満足し、……死にたくなった。昨日というか数時間前の自分、なに言った……? どうしよう、凌くんの前でブスとかババアとか散々……
ああもう、あの女。全部全部あの女のせいだ。凌くんとの関係も壊そうっていうの? そんなこと許さない。
――絶対に殺してやる。
死にたいわ泣きたいわ悔しいわ、果ては殺意に行きつくわで、もう気持ち悪くて仕方ない。
布団を揺すらないようにゆっくりお腹をさすっていると、近くでバイブが鳴った。その振動に凌くんが反応したので、私もそれで起きたかのように振る舞う。
「「おはよ~」」
鳴ったのは凌くんのスマホだった。画面を見て八時半過ぎだと教えてくれる。思ったより寝ていた。ここ最近は睡眠欲があまり機能していないので寝られてよかった。
「あー、朝ごはん買わなかったな。お菓子しかないや」
「お菓子は食べたいけど、いまじゃないねぇ」
「ねぇ。カフェでも行く? コンビニよりはちょっと歩くけど」
旅先でもないのに朝からカフェとはおしゃれな。反射で「行きたい」と答えかけたが、自分の装備を思い出して寸前で留まった。部屋着とスッピンで凌くんとカフェ。無理。
涙をのんで「お菓子で」と返すと、私の気持ちを汲んでくれたのか凌くんが買ってきてくれることになった。
凌くんが洗面台を使っている間にリビングで昨日の洗濯物をより分ける。
初めての乾燥機能付き洗濯機、けっこうしわしわになるんだ。干す手間は省けるけど……、いや洗濯機の中に一晩放置すればシワもできるか。終わったらすぐ取り出せばいいのかな。う~ん、素材にもよるかなぁ。
シワのよったタオルを手で伸ばしていると、洗面所から凌くんが出てきた。昨日のキチッとセットされた髪型もかっこよかったけど、今日の軽めな感じも素敵です。
「服、大丈夫だった?」
「うん、ちゃんと乾いてた」
「アイロンいる? どこ置いたかな~」
私が着ていたのはストレッチのきく素材の服なのでシワの心配はない。大丈夫だと答えたが、凌くんはアイロンを探しに洗面所へ戻っていってしまった。……アイロンって洗面所にしまうもの? 少し不思議に思って、たたんだタオルを持ってあとを追った。
「あった~」
あっさり見つけた凌くんが持っていたのは、箱。蓋を開けると中身がビニールに包まれていて未使用感満載だ。そして本体も私の知っているアイロンの形をしていなかった。なにこれ。
あ、ハンガーにかけたまま使えるんだ。便利そう、なのに使ってないのはどうして?
「そもそもシワができにくい服選んでるから、まったく出番ないんだよね」
「天才か」
シワができた場合に備えつつ、そもそもシワができないように事前の対処。それはもう肌では?
服に対してその発想はなかった。「家事の手間を省きたかっただけ」と凌くんは言うけど、私はデザインが好きかどうかでしか見てないから、それ以外の要素も考えて選んでいることがすごい。
「デザインを気に入っちゃうと捨てるときつらいからな~」
「凌くん、気に入ったものほど買わないよねぇ」
「捨てちゃうからねぇ」
凌くんの買い物は捨てることが前提だ。身につけるものは特に。だから愛着がわきそうなものは買わないらしく、もし買ってしまったら大事にしまっておくらしい。
でも凌くんに買われたら嬉しいと思うけどな。一、二年で捨てられるとしても、それまでは大事に扱ってもらえるし。しまいっぱなしにされたとしても、この綺麗な家でずっと大事にしてもらえるんだし。
うん、どちらに転んでも綺麗なまま。ヨレヨレにくたびれて、それでもこき使われ続ける環境よりずっといい。ぞんざいに扱われるのも、都合のいいときだけ頼られるのもごめんだ。そう、家族だからって……
――あれ? いま服の話してたよね? どうして家族を思い出してイラッとしたの、私。凌くんと話してるのに急に別の思考が混ざって怒り出すとか、え、こわ。私こっわ!
仕切り直すためにも、いまいま必要のないアイロンを借りることにした。興味があるのは本当だからね。なるほど、スチーマーで水が必要だから洗面所に置いてたんだね。なるほど、なるほど。片手で持つにはちょっと重いかな~、いやアイロンは重いものか、となると使い方にコツがいるのかな~。
「じゃあ、ちょっと行ってくるね」
「いってらっしゃいませ」
一人で買いに行かせてしまう手前、深々とお辞儀して凌くんを見送る。朝ごはん、よろしくお願いします。
玄関のドアが閉まって鍵がかかる。ガチャリという音のあとの静けさに一人を実感するが、見回す空間に凌くんを感じて気持ちを立て直す。
顔を洗って、昨夜より丁寧に化粧水をつける。手のひらで頬や額に成分を押し込むと同時に、心も丸くなるようにイメージして押し固めていく。まぁるく、まぁるく。凌くんにだけは攻撃しないように。
洗った部屋着に着替えて、髪を整える。顔周りの毛流れだけキープしたくて凌くんの整髪剤を拝借する。メンズ物は使ったことがないので、ごく少量を指に取って丁寧につけていく。シトラスかな、いい匂い。
コンビニで買った服をたたみ終えると手持ち無沙汰になった。ベッドは起きたときに整えたし、お風呂はすでに綺麗だった。スマホは凌くんのコードで充電中だから完了するまで触れない。うん、なにもすることがない。
することがないと頭がいろんなことを考え出す。……よくないな。これはよくない。せめて表面だけでも綺麗な丸を装ったのに、内側でうねっているものが殻を突き破ってきて、また心がガタガタになっていく。
誰かにムカつくこともイラつくことも、この三十年いくらでもあった。死んでほしいと思うひともいた。
でも、殺したいと思ったのは初めてだ。毎日毎日、頭の中で包丁を振り下ろしている。でも所詮は妄想に過ぎなくて、あの女は今日も父にお金をせびっている。あの細い目が弧を描くところを思い浮かべると、その顔を金属バットでボコボコにしてやりたくなる。でも実行できない、そんな自分が情けなくて悔しい。
どんな理由があっても人殺しは許されない、そんなことわかってる。死んでいい人間なんて一人もいない、わかってるよそんなこと!! それでも殺したくて殺したくて仕方がないこの感情はどうすればいいの。この殺意の消し方も教えてよ。教科書どおりの倫理観や道徳心で締めくくる前に、この膨れ上がるドス黒い感情を制御する方法を教えてよ。いや制御なんて本当はしたくない。衝動のまま拳を振り下ろしたい。できるひとが羨ましい。たしか最近もあった。女性にお金を貸して、返ってこなくて、訴訟もしたのに状況は変わらなくて、最後は相手を刺したっていう事件。最初は法に則って対処したんだから、この事件の犯人もそれまでは常識の中で生きてきたひとなんだろう。このひとだって事を起こす前にきっと目にしたはずだ、「そんな人間のために人生を棒に振るな」とか「相手より幸せになることがなりよりの復讐だ」といった救済めいた言葉を。でもこの生き地獄の中じゃ響かないよね、そんな言葉。ここからしたら地上すら高みなんだから、その高みから言われてもおざなりな台詞にしか聞こえない。聖母気取りの人間にかわいそがられてる感じすらしてくる。……だけど、それが正しい道だってこともわかるから無下にもできない。ここから上に這い上がることも、前に突き進むこともできなくて、私は動けないまま。でも私が動けずにいるあいだ、ネットに溢れる正しい言葉たちが救っているのは結局あの女のほうだ。いま、この瞬間、幸せなのは私ではなくあの女のほうだ。未来では不幸になるかもしれない、だけどあの女に未来があること自体許せない。こんなに許せないのに、どうして私は動けないの。
「あ~あ……」
人殺しを羨むような人間になるなんて。こんなに殺意を募らせて、あの女が一秒でも長く苦しむ死に方を考えて、死後もずっと苦しみ続ける方法を探している。こんな人間に成り下がるなんて。
きっと、私も死んだほうがいい人間だ。父にお金を貸したひとたちから見れば、私はあの女の息子と同じ立場。私もきっとそのひとたちから恨まれていて、きっと死んでほしいと願われている。そうだよね、他人様のお金を使い込むひとでなしの血を引く人間に生きている価値はないよね。私もそう思うよ、母親を止められない無能な息子に。むしろグルだと思ってる。それに私もこのまま生きたところで借金まみれの七十歳になるかもしれない。あれが親なんだから可能性は十分ある。思考回路だって、もうずっとまともじゃない。殺害願望がぐるぐるぐるぐる。頭の中で、胸の奥で、腹の底で、ずっとぐるぐるぐるぐる渦巻いている。
目尻に水がたまっていくが、まともじゃない人間がこれを涙と呼ぶにはおこがましい。そもそも泣く資格もないのに。ティッシュを取ろうと手を伸ばしたところで、ガチャッと鍵の開く音がした。
「ただいま~」
ひったくるようにティッシュを取り、素早く目元を拭って洟をかむ。
だからここ凌くんの家じゃん、なんですぐ忘れるかな! もう、一枚じゃ足りない!
二枚目を取りながら立ち上がり、リビングのドアに向かうまでにもう一度顔を拭く。
「ぉかえりなさい、凌くん」
「おまたせ……」
顔を合わせた凌くんの言葉が止まる。うん、泣いていたの丸わかりだよね。だけどこんな毒々しい感情を説明するわけにいかないから平然を押し通すしかない。あ~、お腹空いた。お腹空いたな~!
凌くんが買ってきてくれた朝ごはんはバゲット生地のホットサンド。おいしそうで食欲が一気に刺激される。朝ごはんをテーブル上に並べて、私たちもテーブル横に並んで、いただきます。
「ん、おいしい!」
「ね、俺もこのサンドすき」
焼き色のついた表面は薄くパリッと噛み切れて食べやすい。中の白い生地はやわらかいけど、もちっとしていて噛み応えがある。挟んであるのはハムとチーズ、私の好きな組み合わせだ。ボンレスハムのあっさりした塩味にチェダーチーズのコクが合わさって最高においしい。
食べ終えてしまうのが惜しくなるおいしさに、半分になったあたりからペースを落としてゆっくり味わった。
「ねぇ、みい。写真とかある? いただきババアの」
危なく噴き出すところだったが、ちまちま食べていたことで事なきを得た。
いただきババア。なんてぴったりなネーミング。表記はカタカナかな、それとも漢字で「いただき婆」かな。スラングで「いただきBBA」もあり? これはもう古いかな。
そこそこ真剣に表記候補を考えながら、スマホを取って充電コードを外す。コード貸してくれてありがとう。
ホーム画面を開いて、写真アプリをタップ。表示されたサムネイルの一覧にこの一ヵ月を思い出して体が強張るが、ぐっと堪えてあの女の写真を探す。あの女が父に送り付けていた写真は私に転送済みだ。メッセージのやり取りもそのとき残っていた分はカメラで撮った。スクショだと捏造を疑われるらしいので、スマホ本体も写るようにして。ひとまずあの女だけが写っている画像を選んで、凌くんに見えるようにテーブルに置いた。
「ええ? 想像以上に不細工なんだけど。おじさん、こんなのに貢いでんの?」
顔を拡大しながら「写真うつりの問題?」と首を傾げる凌くん。ほかの写真も好きに見ていいよ。
スワイプするたびに凌くんの首の角度が深くなっていく。ね、女に貢いだって聞いたら、まずクラブの美人ママみたいな女性を想像するよね。キャバ嬢とかアイドルとかだったら、まだ笑い話にできたかもしれない。
……いや、笑い話は無理かな。家族より女を優先する父親なんて無理、気持ち悪い。娘からしたらそんな父親は無理で気持ち悪くて死んでほしいけど、相手が逆立ちしても敵わないような美人だったらまだ悔しさも紛れる気がしなくもない。
「顔じゃないなら性格だけど、死ぬ死ぬって毎回ヒスるんだろ? おじさん、うるさいの嫌いじゃん。あ、だからか? 静かにさせるためにお金を渡しはじめた?」
「……そう、かも」
そうだ、私の父親は不協和音が大嫌いだ。それこそ赤ちゃんの泣き声も園児のはしゃぎ声も許容できないタイプで、私の中の叱られた記憶はどれも「静かにしろ」ばかり。弟とケンカになったときは特に。それ以外のことで、例えばテストの点数が良くなかったり遅くまで遊びほうけたりしても怒られたことなんてなかった。
そんな父があんなヒステリックな女に付き合えるはずがない。お金で宥めてまであの癇癪持ちと一緒にいたかったの? ブスでヒスでシワだらけの業突張りと? そんな女が娘の私より大事なの!?
「この名刺もいただきババアの? 営業か~。口車に乗せて契約取ってきたタイプなら罪悪感ゼロなんだろうな。三千万も不動産業者なら見慣れた金額だろうし」
「契約……。この会社も、怪しい? 口コミが見当たらなくて、ホームページの情報しかなかったんだけど、創業五十年ってあったから信頼できるのかなって……」
「生き残るためにはずる賢さも必要だからねぇ。昭和から続いている会社なら経験も人脈も多いんだろうけど、裏では詐欺まがいの手口に素人を嵌めて荒稼ぎしてるかもね。可能性を言い出したらキリがないけど、専門知識が必要な分野こそプロに任せておけば安心~って油断する素人は多いだろうし」
凌くんの言葉にギクリとする。プロに任せっぱなしの素人、父のことだ。
自分で勉強する気がない分野には手を出さない。勉強しても理解できない分野なら手を引く。大金が関わるならそれが基本だと思うけど、父は一回の説明でわかったふりをして、そのあと掘り下げることもしない。
自分は頭が良いから騙されないとでも思っているのだろうか。それともこの世には騙す人間など存在しないと信じているのだろうか。他人を騙す人間がいるから詐欺っていう言葉が生まれたと思うんだけど。
……でもちょっと多すぎるよね、他人様の金品を奪うひとでなしが。人で無し。人に非ず。……人間じゃないなら殺してもよくないかな。専門知識を身につけたその頭の良さの活かしどころを、人の道を外れた先に見出したクズならとっとと死んでよ。魂が存在するなら粉々に砕け散れ。二度とこの世に生まれてくるな。
「名前もまた高橋って、世間に紛れるにはちょうどいい名字だな。下の名前は美人女優っぽくて全然似合ってないけど」
「たぶん自分で付けた通り名だと思う。本名は李なんとかっていう韓国人で、免許証の写真もたしかあるはず……」
一覧画面に戻って目的の写真を探してタップする。免許証特有の気の抜けた顔写真は輪をかけて不細工だ。
……免許証がここまで使えないなんて思ってもみなかった。本名も住所もわかっているという安心感が、父に財布の紐を緩めさせたのだろう。私も最初は自分から免許証を提示するくらいだから信用できるんだろうと思った。でもこの公的な身分証明書で信用は測れないし、実際なんの役にも立たない。詐欺を立証するためには相手に騙す意図があったことを明示しないといけないらしいが、下手に免許証の写しを持っているせいで「騙すつもりはなかった」と逃げられてしまう可能性がある。ああ、本当に、あんな女にしてやられたなんて許せない。
詐欺として罪に問えないのならネットに晒したい。免許証も名刺もメッセージも孫との写真もなにもかも。あの女の名前を検索したら必ず該当するように、ありとあらゆるところに投稿して日本で暮らせなくしてやりたい。……でも、それをやったら私が犯罪者になる。プライバシーの侵害、名誉棄損、侮辱罪、脅迫罪。どうして? 事実を公で指摘したら罪になるとかおかしいでしょ、お金を騙し取ったのは向こうなのに。公にしなかったら第二、第三の被害者が出てくるのに。訴えられないレベルを学習したあの女は味を占めて、絶対にまた誰かを毒牙にかける。可能性の話だろうと、その可能性をゼロにするために行動してなにがいけないの。再犯防止の範疇でしょ。理性では時間がかかっても法で裁くべきだってわかってる。でも勝訴したところで相手がお金を返さなかったらそれまでだ。前科をつけられたとしても免許証がレッドカードのような見た目になるわけでもないから、世間はあの女が犯罪者だということを知らないまま。結局、法はそこまで。だから許せないなら自分で動くしかない。動いて、自分も犯罪者になるしか……
「李しか読めん。でも変な名前だな。国が違うにしても、女に "烈" なんて字つけるものなの? 実は男なんじゃないの、こいつ」
「たしかに男顔! 韓国人っていうのも嘘かも。欠片も美しくないし」
韓国についてはメディアを通してしか知らないが、美にこだわりを持っているイメージだ。コスメもファッションもスイーツすら全部かわいくて、見ているだけで楽しい気持ちにさせてくれる。
そして美容整形でも有名な国だ。もちろん全員が整形しているわけはないし、ビジュに興味が薄いひともいるだろう。それでも美容情報が溢れる国で、外も中もこんなに醜い女が生まれるだろうか。
「案外整形に失敗してたりしてな。それかメンテできなくて崩れたか」
「たしかに目の形おかしい、不気味なレベル」
「それに韓国って恋人にお金を使うのは当たり前とも聞くし、こいつも男に貢がれるのは当然と思ってるのかもね」
「……ドブスのくせに」
「整形してもブスって救いないねぇ」
凌くんと二人、意地悪く笑いあう。こうして悪口を言ってるあいだは頭の中が静かになる。際限なくわいてくるからキリがないけど、ほんの少し楽になる。
他人の悪口を言ってはいけない。そう習ったけど、それをはじめに説いたひとはいったい誰なんだろう。どういう人生を送ってその結論に至ったのか、ぜひ聞かせてほしい。
だってそういう感情が生まれたら、せめて言葉にして吐き出さないと排出できずに溜まっていく一方だ。言わずに飲み込んで、それが溜まりに溜まって、溢れた上澄みは目や鼻から出てくるけど、底に沈んで腐ってヘドロ状になったものは手で掻き出すこともできなくなる。私はいま、それで苦しい。
しかもこのヘドロを土壌にして、いつの間にかうねうねしたツル性植物のようなものが育ってしまった。これが殻を突き破って四方八方に伸びていったら、あの女以外の、ちょっとムカつく程度のひとまで容赦なく攻撃してしまいそうで怖い。それどころか無差別に鞭を振るう人間になるかもしれない。
関係ないひとを巻き込むなんてもってのほか。いまはそう思えている。だけど、あの女の歪んだ口元が脳裏をよぎるたびに、うねうねに棘が生えていく。もう本当に、苦しい。
「それじゃあ、どうやり返そっか」
自分の思考に疲弊しきった午前まえ、まるでいたずらに誘う少年のように凌くんが二ッと笑った。




