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空間転移の勇者は逃げられない

「まず、何が一番嫌ですか」


 大橋さんは少し考えた。


「呼ばれたら仕事、がずっと続くことです。終わる時間がないんですよ」


「終わる時間が決まってないんですね」


「そうです。朝の便が終わっても、誰かに呼ばれたらまた仕事です。今日も朝五時半からです」


 大橋さんが店の時計を見た。午後十一時四十分。


「で、今は侯爵を待たせてます」


「侯爵?」


「宴会の送迎です。もう一軒行くから待てって」


「それを待たせて来たんですか」


「どうせ飲んでるんで」


「戻ったら怒られません?」


「怒られたら、『宴会帰りは緊急輸送じゃない』って言います」


「まだ退職前ですよ」


「今から練習です」


 大橋さんは悪びれずに言った。


「今日はそれまでに二十九回、門を開けてます。北部軍に食料、西領へ役人、商会の緊急荷物、怪我人を王都へ二人。侯爵は三回」


「侯爵だけで三回」


「屋敷から宴会、宴会から別の宴会。今が帰り待ちです」


 さっき店へ入ってきた時も、大橋さんは王城の廊下とこの店を扉一枚で繋いだ。


「この店に来たのは初めてですよね」


「はい。昼に前を通ったことはあります」


「それで開けるんですね」


「自分で見た場所なら。地図とか絵だけじゃ駄目です」


 大橋さんは椅子へ深く座り直した。


「食料も怪我人も宴会帰りも、俺に来る時は全部『今すぐ』なんですよ。それが一番嫌です」


「召喚前は何を?」


「配送会社で配車やってました」


「なるほど」


「前の会社でこんな配車したら怒られますよ。一人に二十四時間、全部振ってるんで」


 その一言で、今の仕事の何が嫌なのかはだいぶ分かった。


「契約書、持ってます?」


「あります」


 大橋さんが鞄から契約書を出した。


 王国輸送局所属。退職する場合は一か月前までに申告。違約金はない。月給は金貨五枚。


「辞められますね」


「分かってます。退職届も書きました」


「出してない?」


「三回持っていきました。三回とも、『お前が辞めたら北部軍への補給が止まる』って言われて」


「止まると思ってるんですね」


「思ってます」


 即答だった。


「昨日だけでも北部へ食料を四回運びました。負傷兵も、俺なら前線から王都の治療院まで一分です。急にいなくなったら、たぶん誰か死にます」


 大橋さんは契約書を指で押さえた。


「自分のことだけなら、とっくに出してますよ」


 退職届を出しても、一か月は在籍する契約だ。


「一か月あるなら、その間に今の仕事を整理しましょう。《転移門》そのものは引き継げなくても、全部が能力必須とは限らない」


 大橋さんが少し黙った。


「……記録、ありますよ。輸送記録。全部一件ずつ残ってます」


「じゃあ、それを一度見せてください」



 翌日、大橋さんは分厚い輸送記録を抱えてきた。


 一週間で二百十九件。


 前線への食料、矢、薬。負傷者搬送。役人や貴族の移動。商会の緊急荷物。


 大橋さんが記録をめくっていた手を止めた。


「あ」


「どうしました?」


「これ、伯爵夫人の帽子です」


「帽子?」


「王都の屋敷に忘れたから、西領まで持ってこいって」


「緊急だったんですか」


「全然」


「少なくとも、それで人は死なないですね」


「ですね」


 大橋さんがその行に線を引いた。


「こういうの、ほかにもありそうです」


 二人で記録を分けた。


 命に関わるもの。時間をずらせないもの。今日でなくてもいいもの。


 北部軍向けだけで週二十六件あった。


 大橋さんは食料便の欄で手を止めた。


「……毎日ある」


 そこから何件か続けて量を確認する。


「しかも、ほとんど一日分だ」


 紙をめくる手が速くなった。


「前線倉庫、俺が来た頃は二週間分くらい置いてたんですよ。今は二日か三日しかない」


 別の記録を開く。


「馬車便も減ってる。足りなくなりそうになったら、俺を呼べばいいから」


 大橋さんがしばらく記録を見たまま黙った。


「……俺が辞めたら補給できないんじゃないな」


 大橋さんは自分で言ってから、もう一度記録を見た。


「俺がいる前提の補給方法に変わってるだけです」


 大橋さんは新しい紙を一枚出した。


「これ、戻せる」


 紙に「前線倉庫」と書く。


「まず在庫を戻す。北部なら十日は欲しいです。冬はもっと。そこを切る前に定期便を出す」


 次に「定期馬車」と書き、線で繋いだ。


「全部を馬車に戻す必要はない。《転移門》は本当に急ぐ便だけ残せばいい。これなら通常の補給は、俺がいなくても回せます」


 大橋さんはそこでペンを止めた。


「ただ、怪我人は別です。どこまで現地で治せるか、俺には決められない」


「そこは治癒担当に入ってもらいましょう。受け入れる治療院も」


「お願いします」


 大橋さんは紙の上へ大きく「引き継ぎ」と書いた。


「これ、俺がまとめます。輸送局に出せる形にする」


「助かります」


 最後の線を引いたところで、大橋さんが少し笑った。


「……配車表作るの、久しぶりだな」


「好きなんですね」


「好きでしたよ」


「じゃあ次も、配車ができる仕事を探します」


「転移も使っていいですけどね」


「両方で」


「それがいいです」


 俺は契約書の退職条項を開いた。


「一か月前申告です」


 大橋さんは鞄から、折り目のついた紙を出した。退職届だった。


「三回持っていって、三回とも出せなかったんですよ」


 紙を机の上へ置く。


「明日、出します」


 俺は卓上暦で、明日から一か月後の日に丸をつけた。

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