勇者が辞めても、補給は止まらない
大橋さんが退職届を出した翌日、王国輸送局で引き継ぎの打ち合わせが始まった。
机の上には、大橋さんが作った一か月分の引き継ぎ表と、北部・東部・西部へ向かう輸送路の地図が広げられていた。
「後任の《転移門》は?」
輸送局の担当官が聞いた。
「いません」
大橋さんが答えた。
「では、誰に引き継ぐ」
「俺一人に集まってる仕事を、元に戻します」
「元に?」
大橋さんは北部の前線倉庫を指した。
「まず食料と矢と薬を十日分まで戻します。最初だけ俺がまとめて運ぶ。その後は定期馬車で減った分を補充します」
「転移を使わないのか?」
「緊急便には使います。毎日の食料まで俺が運ぶのをやめるんです」
担当官が俺を見る。
「ケイスケ殿の案か?」
「そこは大橋さんの仕事です」
「前は配車担当だったので」
大橋さんは地図に引いた線を指で辿った。
「東部と西部も、同じように通常便へ戻します。何台必要かは、今週の消費量と所要時間を見ながら決めます」
◇
最初の一週間は、大橋さんの《転移門》を使って前線倉庫の在庫を戻した。
北部には食料、矢、薬、予備装備を順に送った。
十日分まで積み終わった日の夕方、大橋さんが在庫表を眺めた。
「俺、これを毎日ちょっとずつ運んでたんですよね」
「まとめると結構な量ですね」
「配車やってたのに、自分だけ配車表の外でした」
「車両欄に『大橋』って書くべきでしたね」
「嫌だな、その配車表」
翌週から、通常の補給には《転移門》を使わなくなった。
二日目の昼、北部から連絡が来た。
「矢が足りなくなる。すぐ送ってほしいそうです」
担当官が大橋さんを見る。
「矢の残りは?」
「三日分です」
「次の北部便は?」
「明日の昼」
「その便の矢は?」
「もう積んであります」
大橋さんは在庫表を確認した。
「じゃあ緊急便じゃないですね。明日の定期便で」
「今までなら今日中に届いたぞ」
「今までを引き継いだら、俺が辞められないでしょう」
「……分かった。明日の便で送る」
翌日の昼、矢は定期便で届いた。在庫が切れる前に、次の荷が倉庫へ入った。
大橋さんは到着報告の横に丸をつけた。
「一個目」
「何がです?」
「俺じゃなくても届いたやつ」
◇
負傷者搬送の打ち合わせには、軍の治癒担当と、前線に近い町の治療院からも一人ずつ来てもらった。
「この治療院で対応できる怪我は、ここで診ます」
治療院の責任者が言った。
「王都の治療が必要でも、馬車で移せる状態なら通常搬送でいい。移動時間が生死に関わる時だけ、《転移門》をお願いします」
「誰が決めます?」
大橋さんが聞いた。
「その場で診た治癒担当です」
「じゃあ俺に来る連絡は、『王都へ送ってくれ』じゃなくて『緊急転移が必要』まで判断した後でお願いします」
「分かりました」
運用を変えてからの一週間で、大橋さんが緊急搬送に呼ばれたのは三回だった。
「三回か」
勤務記録を見ながら、大橋さんが言った。
「前は一日に三十回くらい門を開けてたんですけど」
「帽子も侯爵も来なくなりましたね」
「侯爵、自分で馬車で帰ってるらしいですよ」
「帰れるんじゃん」
「最初から帰れたんですよ」
大橋さんは勤務記録の三件を指でなぞった。
「でも、この三回は転移で良かったと思います」
「なら、次の仕事でもそこは残せますね」
「こういう使い方なら残したいです」
◇
引き継ぎ表の最後には、
《大橋拓海が一日いなくても回るか確認》
と書いてあった。
「これ、本当にやるんですか」
最終週の朝、大橋さんが聞いた。
「大橋さんが書いたんでしょう」
「書きましたけど」
輸送局は、その日一日、大橋さんを通常業務から外すことに同意した。呼ぶのは、軍の治癒担当が緊急転移が必要だと判断した時だけ。それ以外は、この三週間で組み直した便と在庫で回す。
「本当に帰っていい?」
「通常便では呼びません」
「怪我人が出たら?」
「治癒担当が緊急転移が必要だと判断した時だけです。退職後もそこは同じでしょう」
「……そうですね」
大橋さんは入口で二度振り返ってから帰った。
その背中を見て、前の世界で初めて有給を取った日のことを思い出した。
二社目へ転職したばかりの頃、俺も休みの日に仕事の連絡を確認しようとして、先輩に止められた。
月曜に出社したら、担当していた案件は普通に進んでいた。
午前九時、北部の定期便が到着。
十一時、東部から在庫報告。予定通り。
午後二時、西部から負傷者六人の連絡が入った。
輸送局の担当官が、軍の治癒担当へ確認する。
「転移は必要か?」
「五人はこちらで処置済みです。一人は王都の治療院へ送りますが、容体は安定しています。通常搬送で問題ありません」
「次の王都便は?」
「一時間後です」
「それに乗せる」
大橋さんの名前は出なかった。
夕方五時。
北部、東部、西部の定期便はすべて予定通り到着。緊急転移の要請はゼロ。
西部の負傷者も、六人全員の処置が終わっていた。
約束の時間に、大橋さんが輸送局へ戻ってきた。
「どうでした?」
担当官が一日の記録を渡した。
大橋さんは上から下まで読み、もう一度読み直した。
「俺、今日一回も呼ばれてない?」
「呼んでない」
「補給は?」
「全部届いた」
「怪我人は?」
「転移なしで対応できた」
大橋さんは記録の「緊急転移 0件」の欄を指でなぞった。
「……辞められる」
◇
次の面談には、大橋さんが自分で作った引き継ぎ表を持っていった。
王都運送組合の組合長は、最初の二枚を読んだところで顔を上げた。
「これ、あんたが作ったのか?」
「はい」
「転移ができるとは聞いてたが、配車もできるのか」
「むしろ、そっちが前の仕事です」
「うちで何がしたい?」
大橋さんはすぐ答えた。
「配車係です。通常便を回したい。《転移門》は、予約便と本当に急ぐ仕事だけにしたいです」
「夜は?」
「救命とか軍の緊急なら出ます。でも、夜に出たら次の日は休みたいです」
「毎晩呼ばれるのは?」
「辞めたいです」
組合長が笑った。
「分かりやすいな」
「通常便の配車は昼間。転移案件は一件ごとに記録して、別手当を付ける」
組合長が契約案を読み上げた。
「夜間は、契約で決めた緊急案件だけ。夜に出たら翌日は休み。これでどうだ」
「いいです」
「軍から直接呼ばれたら?」
「組合を通してください」
「そこは俺もその方がいい。誰が何件使ったか分からなくなる」
「職種は、配車係兼緊急転移便担当でいいな」
「長いですね」
「転移担当だけにしたら、また何でもお前に来そうだ」
「じゃあ長い方で」
王国軍との緊急輸送契約も、依頼先は大橋さん個人ではなく王都運送組合にした。
大橋さんが契約案の転移手当の欄を指した。
「これなら、自分が何件運んだかも分かりますね」
「今までは分からなかったんですか」
「給料はずっと五枚でしたから」
「今度は一件ずつ残ります」
「それがいいです」
本人と運送組合が署名し、俺が《契約保証》を掛けた。
◇
退職日。
大橋さんは王国輸送局へ鍵と記章を返した。
「北部で何かあったら、どうする」
担当官が聞いた。
「緊急転移の契約に当てはまるなら、運送組合へ依頼してください」
「お前に直接頼むのは?」
「なしです」
「厳しいな」
「一か月かけて、そのために引き継いだんで」
大橋さんは記章から手を離した。
◇
店へ戻り、王都運送組合の外部案件台帳を棚へ入れた。アーデル商会、王都共同診療所、その隣に王都運送組合の三冊が並んだ。
その日の夕方、扉が勢いよく開いた。
「ケイスケ殿は!」
「俺です」
軍の伝令だった。
「北境に魔王軍三千! 軍務局長が至急来るようにと!」
「何の話です?」
「勇者レンを王国へ戻せ、とのことです」




