第4話:Re: ブルー・サイレンス
まっすぐで、誠実で、積み重ねられた純粋な想いが溢れ出すような叫びは、二人の間の空間を振動させるかのようだった。
その時、鈍い痺れのような音が僕の頭蓋骨を貫いた。
その瞬間、世界中の空気があっけなく凍りついた。
周囲の景色から一瞬で色が失われ、深くて冷たい群青色に染まっていく。
耳の奥で高い金属音がキーンと鳴り響き、足元から重力が完全に消え去った。まるで、立っていた床が千々に砕け散ったかのように。
朱莉の声が歪んでいく。となりにいたナツキの姿が、水に溶けるインクのように消えていった。
冷たい空気が僕の肺を圧迫する。現実そのものが暗い深淵へと引きずり込まれていく中、僕の脈拍は目眩がするほどの速さで側頭部に響き渡っていた。
カチッ。
――パチリと、目を生み直した。
顔を叩く冷たい水の感触に、僕は思わず跳ね起きた。
夕暮れの温もりは消え去っていた。朱莉の告白も、手紙も、学校も……すべてが一瞬にして霧のように消えてしまった。
湿った土の匂いが僕の肺を満たす。
僕は嵐の真っ只中に立っていた。雨は土砂降りで、制服のズボンをびしょ濡れにしている。
一体全体……夢でも見ているのか? いや……僕は学校の門のところにいたはずだ!
胸の中で心臓が暴れ狂うように脈打っている。寒さはあまりにもリアルだった。肌に触れる水の感触も、あまりにもリアルだった。
砂利道の曲がり角を曲がった瞬間、僕の足は完全に止まった。数メートル先、葉の落ちた木の役立たずな影の下に――
木製のベンチがあった。そしてそこに、微動だにせず座っている一人の少女の姿があった。傘は持っていない。頭を覆おうとすらしていない。
僕と同じ高校の制服を着ていたが、雨のせいでぴったりと肌にへばりついている。
黒髪の先から滴る水滴が地面に落ちていくが、彼女は身じろぎひとつしない。ただ虚ろな視線を何もない空間に向け、嵐の衝撃をそのまま受け止めていた。
誰もいない公園の中央で……その少女は、まるで世界に見捨てられたかのように見えた。
そんなはずはない……
天気とはまったく関係のない戦慄が、僕の背骨を駆け抜けた。
これは前に体験した。この光景は……もう起こったんだ。
嵐の中だというのに喉が完全にカラカラになるのを感じながら、生唾を飲み込んだ。
常識が「逃げろ」と警鐘を鳴らしていた。ここに立ち止まっていれば、遅刻した上に肺炎になるのがオチだ。
しかし、僕の足は勝手に動き出していた。
なんでここに戻ってきたんだ? 一体全体これは何なんだ?
いや……あり得ない。
静かに距離を詰め、ベンチの前に立つ。
傘を前に傾け、彼女の体を覆うようにして、頭上に降り注ぐ雨を遮った。
生地を叩く激しい雨音が、僕たちの頭上ですぐ近くに響く。
少女はゆっくりと顔を上げた。
光のない澄んだ瞳が、僕の視線とぶつかった。寒さで唇をかすかに震わせていたが、その顔に驚きの色はない。ただ、深い虚無だけがあった。
「雨の日に、こんなところに居ちゃダメだろ」
努めて声を落ち着かせながら、僕は言った。
まったく同じ言葉だ。
自分自身の声のエコーが、暗記した台本を読んでいるかのように耳の中で人工的に響いた。
彼女は数秒間、無言で僕を見つめていた。やがて、風にかき消されそうな細い声で呟いた。
「……気にしないで」
同じ台本通りだ。点の一打まで、点の一画まで。
周囲を囲む雨とはまったく違う冷や汗が、僕の首筋に吹き出した。
「風邪引くぞ。これを使え」
僕は傘の柄を彼女の方へと差し出した。
少女は手を伸ばす仕草すら見せず、静かに首を振った。
「いらない。それをもらったら、あなたが濡れる」
「もう濡れてるよ」
反論の隙を与えずに答える。
僕は彼女の手を優しく掴み、その冷たい指に強制的にプラスチックの柄を握らせた。
彼女の肌は一回目と同じくらい冷たかった。同じ質感、指先に残る同じ無意識の震え。
彼女が反応したり、返そうとしたりする前に、僕は背を向けた。
しかし、僕の足は前に進まなかった。
ベンチから二、三歩のところでピタリと立ち止まり、嵐の雨が正面から顔を叩き、数秒で服を濡らしていった。
一体全体ここで何が起きているんだ?
脚の脇で拳を強く握りしめた。胸の中で心臓が力強く肋骨を叩いている。
去るために第一歩を踏み出そうとしたその時、背中に温かい衝撃を感じた。細い腕が必死の思いで僕の腰を抱きしめ、濡れた体を僕の体に密着させてきた。
「一人になりたくないの……」
僕の制服の生地に向かって、彼女が囁いた。
僕は完全に金縛りにあったように固まった。
(な……何なんだこれは?)
思考が崩壊した。これは僕の記憶にある展開じゃない。最初の世界線では、彼女はベンチから僕が黙って去っていくのを見つめていただけだった。
物事が早すぎるスピードで変化している。僕の行動を変えれば、未来も変わるのか?
「お互いのこと知らないのは分かってる……でも、こんな状態で学校に行きたくないの。私の家に……一緒についてきてくれる?」
声を詰まらせながら、彼女は僕の背中に顔をうずめた。生唾を飲み込み、なんとか冷静さを保とうとした.
「あまり良い考えじゃないと思う。男がこんな時間に女子の家に行くべきじゃない……ましてや知らない同士だし」
「じゃあ……嫌?」
彼女が呟いた。
抱きしめていた腕の力が緩み、完全に僕を離した。
長いため息をつき、僕はゆっくりと彼女の方へ振り返った。振り向いた瞬間、その光景に胸が締め付けられた。
彼女はしゃがみ込み、腕を途中で止めたまま、瞳には雨粒と容赦なく混ざり合う涙があふれていた。あまりにも儚く、壊れてしまいそうに見えて、無視することなんて不可能だった。
どうすればいいんだ? これが正しいことなのか、それとも僕が狂っていっているだけなのか? 会ったばかりの女子に、なんでこんなに深入りしなきゃいけないんだ?
その瞬間、彼女の告白の言葉が稲妻のような強さで脳裏に響き渡った。
『す……好きです!』
頭を振ってその思考を即座に追い払った。理論上はまだ起こっていない世界線の記憶に流されるわけにはいかなかった。
少女を見た。傘を見た。言葉を発することなく、僕は一歩前に踏み出し、彼女の手の脇にあるプラスチックの柄を再び握った。
僕たちの頭上に布地を掲げ、二人を嵐から遮った。
「……分かった。ついて行くよ」
彼女はハッとして顔を上げた。
雨に濡れた頬越しに、彼女の唇に誠実な笑みが浮かび上がり、肌には淡く温かいピンク色の紅潮が広がっていった。
傘の下で無言のまま歩き、公園から数ブロック離れたマンションへと到着した。
エレベーターで上がり、彼女が家のドアを開けた。
「入って……」
玄関で踵を返し、靴を脱いだ。
一歩足を踏み入れた瞬間、異様な居心地の悪さが胸を締め付けた。
よく知らない女子の部屋にいる……これは良くない気がする。
空間にはカビ臭さもこもり気味な匂いもなく、代わりに柔らかく甘い、心を落ち着かせる香りがマンションの隅々に満ちていた。
そんな馬鹿げた思考を追い払うため、すぐに頭を振った。
「リビングで待っていて。着替えてくるから」
彼女が低い voice(声)で言った。
「了解」
周囲を見渡しながらゆっくりと歩いた。部屋は完璧に整理整頓され、シンプルに飾られていた。リビングのソファに深く腰を下ろす。背中を預けると、冷え切ったシャツの生地が肌に貼り付いているのを感じた。
脱いで絞ろうか……
すぐに首を横に振った。
滅相もない。女子のマンションで服を脱ぐなんて、一線を越えすぎている。
数分後、彼女の部屋のドアが開く音がして我に返った。
彼女がリビングに再び姿を現した。もう濡れた制服ではなく、乾いた服を着ていた。手には白くてふんわりとしたタオルを持っていた。
僕に近づき、それを差し出してきた。
「はい……拭いて。お風呂場使ってもいいよ」
「いいの?」
タオルを見つめながら尋ねる。
彼女は言葉なく、小さく首を縦に振って頷いた。
客用のお風呂場に入り、ドアを閉めてタオルで髪をゴシゴシと拭いた.
鏡の前で顔の余分な水滴を拭いながら、この状況について考えずにはいられなかった。
彼女はすごくニュートラルで落ち着いた立ち振る舞いをしている……実質、ほとんど喋らない。
こういう性格なのか、それともまだお互い知らない同士だからなのか?
できる限り拭き終えると、湿った制服を整えてリビングへと戻った。
彼女はローテーブルの脇に立ち、僕を待っていた。
「少しはマシになった?」
僕が戻ってきたのを見て、彼女が尋ねた。
「だいぶね。この weing(時期)の濡れた服は笑えるくらい冷たいよ」
少し苦笑いを浮かべながら答える。
「ふふっ……」
彼女の唇から小さな笑い声が漏れた。
髪の毛を耳の後ろに払い、僕に向かって一歩踏み出してきた。
「私、白川朱莉です」
僕の目をまっすぐ見つめながら、改まって自己紹介をした。
「……湊 政司。高校二年です」




