第19話:破られた壁
放課後、最後のチャイムが鳴り響いた後の校舎は、昼間とはまったく異なる雰囲気を纏っていた。
廊下の喧騒は少しずつ消え去り、グラウンドで練習する運動部の遠い歓声と、開け放たれた教室の窓から忍び込む静かな風の音に取って代わられていた。
文化祭の準備が正式に始まり、それからの三日間、そのルーティンは欠かさず繰り返された。
他の生徒たちが帰路につく中、僕と朱莉は二人きりで誰もいない教室に残り、机の上に広げられた画用紙や絵の具、筆、そしてスケッチに囲まれて過ごしていた。
最初の頃は、こんな狭い空間に朱莉と二人きりでいるだけで、僕の神経は崩壊寸前だった。
彼女の指先が偶然触れるたび、下書きを確認しようと僕の肩へ身を乗り出してくるたび、あるいはあの思わせぶりな笑みを向けられるたび、耳まで血が上っていくのを感じていた。
「政司くん……このピンクの絵の具、全然乾いてくれないんだけど」
朱莉は僕のデスクの前の椅子にどさりと身体を預け、愚痴をこぼした。
その声にはもう、いつものような思わせぶりで洗練されたニュアンスはなく、ただ単に疲れていて、子供っぽく、心底参っている様子だった。
彼女は制服のブレザーを脱いで椅子の背もたれに掛け、不器用な手つきでネクタイを緩めると、華奢な鎖骨とシャツの開け放たれた一番上のボタンを覗かせていた。
「一度に塗る量が多く we すぎるからだろ」僕は定規で看板のサイズを測りながら、視線を上げずに答えた。「薄く二回に分けて塗った方が良いって言っただろ」
「ほんと知ったかぶりなんだから……」彼女は愚痴りながら、テーブルの上に両腕を広げて顔を埋めた。
僕は作業を一度止め、横目で彼女を盗み見た。
左の頬に小さな金色の絵の具がついていて、作業中に何度も手で触ったせいか、髪が少し乱れていた。その姿は完璧に人間らしく、無防備で、愛おしいほど身近に感じられた。
そこにいたのは、クラスの男子全員が遠くから崇める偶像化された彼女ではなく、本当の白川朱莉だった。
定規をデスクに置き、僕は静かに立ち上がった。
「ちょっと戻ってくる」低い声で言った。
「どこ行くの? この教室の幽霊と私を二人きりにしないでよ……」彼女は呟いた。
「自販機に行くだけだ。すぐ戻る」
僕は薄暗い廊下へと出た。中庭の冷たい空気が、熱を持った頭を冷ましてくれた。
一階の自動販売機へ向かい、ポケットから小銭を何枚か取り出すと、二つの缶を買った。彼女用の冷たいピーチティーと、自分用のブラックコーヒーだ。
教室に戻ると、ドアがわずかに開いていた。
慎重に覗き込むと、朱莉が開いた窓の傍に立ち、鮮やかなオレンジとカーマインに染まる地平線を見つめていた。彼女はその手にあの小さな猫のぬいぐるみ――『政司ジュニア』――を抱え、静かにその耳を撫でていた。
その横顔には、これまで一度も見せたことのないような切なさが漂っていた。
僕はそっとドアを押して中に入った。
「ほら」近づきながら、キンキンに冷えたピーチティーの缶を差し出した。
朱莉はパチパチと瞬きをして思索から抜け出し、驚いたように僕を見つめた。飲み目を目にすると、彼女の瞳が輝き、その唇に小さく真摯な笑みが浮かび上がった。
「ピーチティー……私の大好物。なんでこれ好きだって知ってたの?」缶を受け取りながら彼女は言った。
「先週、購買で買ってるのを見たからな」自分のコーヒー缶を開け、一口啜りながら自然体で答えた。「それしか人工的すぎない味がしないって言ってたろ」
朱莉は一瞬固まった。缶を胸に抱きしめ、まるで複雑な暗号でも解読しようとしているかのように、僕をじっと見つめ返してきた。
「政司くんって、ホント細かいところまで見てるよね。時々、その目ざとさが怖いくらいだよ」
「ただの偶然だ」首筋に微かな熱を感じながら嘘をつき、彼女の隣で窓枠に背中をもたれかけた。
太陽が完全に沈み、教室が紫色の陰影と長い影に包まれていく中、僕たちは静かに飲み物を飲みながら、しばらく無言で過ごした。学校の庭からはスズムシの鳴き声が聞こえ始めていた。
「あのね……最初、あなたのこと少し腹立たしく思ってたんだ」
静寂を破り、朱莉が突然告白した。
首を向け、僕は戸惑った。
「腹立たしい? なんでだ?」
「だって、出会った日のあなたは、こんな人だなんて思いもしなかったから。あの日は私、怯えてた。でも、そのあとあなたを知っていったでしょ」彼女は缶から立ち上る微かな蒸気を見つめながら説明した。「学校のみんなは目立とうとしたり、作り笑いを浮かべたり、誰かに気に入られようとするじゃない? 私だって一日中笑って、優しくして、誰も失望させないように言葉を選ぶのに必死だった。なのに……」
唾を飲み込んだ。
「気取った嫌な奴だと思ってた」朱莉は少しこちらに体を向け、僕の目を真っ直ぐに見つめて続けた。「でも、あなたに近づいて……あの門のところで素直に謝ってくれた時、妹さんの面倒をちゃんと見てるのを知った時、バカみたいなぬいぐるみを私に取ってくれようと三十分も粘ってくれた時……あなたが冷たい人間なんかじゃないって気づいたの」
彼女は僕の方へもう一歩踏み出した。二人の間の距離は、手幅一つも残っていないほど縮まった。
彼女の吐息から漂う甘いピーチの香りと、髪の柔らかい香水が鼻をくすぐった。夕暮れの光が彼女の瞳を照らし、そこには何の駆け引きも仮面もない、完璧に透明な彼女が映し出されていた。
「政司くんは、私が知ってる中で一番温かくて、誠実な人だよ」
胸の中で心臓が暴烈に跳ね上がるほど、柔らかく感情に満ちた声で彼女は言った。
「あなたといると、私、演じる必要がないの。髪が乱れてても、疲れてても、絵の具の愚痴をこぼしてても、あなたが私を嫌いになったりしないって分かってるから」
僕は金縛りにあったように動けなくなり、一言も言葉を紡ぐことができなかった。脈拍は完全に暴走していた。
身体的な距離の近さも圧倒的だったが、この瞬間に二人で共有している精神的な密接さは、その千倍も強烈だった。
冷酷な態度を捨て去ったことが、この扉を開いたのだ。誰かと、本当の意味で心を通わせるという扉を。
「朱莉……」
かすれた声で、どうにかそれだけを呟いた。
彼女は愛おしそうに微笑むと、ゆっくりと手を挙げ、信じられないほどの繊細さで、親指の腹を使って僕のエラ付近についていた小さな金色の絵の具の汚れを拭い取った。
彼女の肌は温かかった。触れ合っていたのはほんの数秒間だったが、まるで永遠のように感じられた。
「よし。絵の具、取れたよ」
僕の顔のすぐ近くから完全には手を引かずに、彼女は低い声で言った。
僕は彼女の視線を受け止めた。二人とも、一ミリも動かなかった。
教室内の空気が重くなり、触れられそうなほど純粋でロマンチックな緊張感に包まれた。彼女の体から放射される体温と、彼女自身の呼吸がわずかに荒くなっているのが伝わってきた。
僕たちの間に残された、最後の壁を打ち破るまであと一歩のところだった。
その時、外の廊下で金属製のバケツが派手にひっくり返る音が響き渡り、僕たちは我に返った。
弾かれたように、一瞬でお互いから身を引いた。まるで火傷でもしたかのように。朱莉は咄嗟に窓の方へと向き直し、真っ赤に燃え上がる両頬を手で覆った。
僕は作業机の方へ振り返り、胸の中の猛烈な動揺を誤魔化すために、適当な紙を手に取った。
「用、用務員さんが廊下を掃除してるんだな……」声が震えないよう必死に抑え込もうとしたが、まったく意味をなさなかった。
「う、うん……きっとそうね」背中を向けたまま、朱莉も明らかに声を震わせて答えた。
教室に再び静寂が戻ってきたが、それはもう穏やかな静寂ではなかった。お互いの間で何が起きかけたのかという完全な自覚に満ち満ちていた。
僕は窓の影に浮かび上がる朱莉の姿を見つめた。もう僕の心に迷いはなかった。おふざけは終わり、からかいの時間は過ぎ去ったのだ。
お互いに対する感情は、もう無視し続けるには大きくなりすぎていた。そして、遅かれ早かれ、僕たちがこの感情から逃げ続けられなくなる時が来るのだと知っていた。




