第9話:すべては誤解だった
「付き合うって……本気?」興奮気味に微笑みながら、蓮が眉を上げた。
「わけ……あるわけないだろ!」政司は彼女をまっすぐに見つめ、きっぱりと言い放った。「僕がバカだとでも思ってるんですか? 先輩は昔から、そうやって人をからかって遊ぶのが好きですよね」
蓮は腕を組み、投げやりな仕草で流した。
「バカね、何一つ分かってないわ」彼女は鼻を鳴らした。「こうなることは分かってたわよ。最初から、あなたに気なんてないんだから」
「え?」
「何よ? 本当に真に受けてたわけ?」
「まさか」政司は彼女を見ることなく、自分のロッカーを開けた。「ちょっと乗っかってみただけですよ。いいから、そこ退いてください」
「相変わらずね。私と話す時はいつも頑固なんだから」
「先輩が僕の話をまともに聞いたことがないからですよ」
政司は靴を履き替え、校舎の出口へと歩き始めた。観覧席から転落した時の痛みが脇腹に走り、そっと手を当てた。
門をくぐると、蓮が数メートル後ろを同じペースで歩き続けていることに気づいた。
「お願いですから、ついて来るのをやめてもらえますか?」立ち止まることなく頼む。「妹に見られたら、髪の毛を引っ張られますよ。あいつ、まだ先輩のこと嫌ってますから」
「なんで? まだ根に持ってるの?」
「ご自分に聞いてみたらどうです?」
「その必要はないわ。ただ、誰かと少し歩きたかっただけだから」
「は? お友達はどうしたんですか?」政司は横目で彼女を見た。「生徒会の役員で、可愛くて、絶対友達くらい山ほどいるでしょ」
「か、可愛い……?」蓮は小さく呟き、頬をかすかに赤らめた。
しかし、一瞬で態度を翻した。ペースを上げて彼の隣に並ぶと、彼の足に綺麗な蹴りを一発叩き込んだ。
「いっだぁぁぁ! おい! 狂ったんですか!?」政司は足を抱え、よろめきながら叫んだ。
蓮は大袈裟に鼻を鳴らし、くるりと踵を返して彼に背を向けた。
「バカね、だから彼女ができないのよ」吐き捨てるように冷たく言い放つと、別の道へと去っていった。
政司は道の真ん中で足を擦りながら、遠ざかる彼女の背中を見送った。
(一体全体、あの人は何なんだ……?)完全に困惑しながら思った。
家への帰り道、屋台の影に座り込んでいる一人の女子生徒の姿が目に留まった。
視線は定まらず、表情には深い悲しみが陰っていた。
もう少し近づくと、誰なのかに気づいた。
朱莉だ。
こんなところで何をしてるんだ?
「朱莉!」大声で呼びかけた。
彼女はハッと顔を上げた。僕が自分に向かって進んでくるのを見るやいなや、大急ぎで立ち上がり、バッグを肩にかけ直すと反対方向へ走り去ってしまった。
一瞬、固まってしまった。
本能的に動いた僕は、脇腹の痛みを無視して歯を食いしばり、彼女の後を追って走り出した。
「待ってくれ、朱莉!」
できる限りのスピードで追ったが、角を曲がると、そこには誰もいなかった。完全に姿を消していた。
翌朝、朝の光が教室のカーテンの隙間から差し込んでいた。先生が一本調子な声で授業を進める中、僕はノートの端をペン先でぼんやりと叩いていた。
朱莉はすぐ隣に座り、まるで僕が存在しないかのように黒板をじっと見つめていた。
昨日のは一体なんだったんだ? この時間が終わったらすぐに確かめないと。
チャイムが鳴り、授業の終わりを告げた。予想通り、朱莉はすぐに立ち上がり、大急ぎで荷物をまとめ始めた。
「朱莉……」手を伸ばし、話しかけようとした。
彼女は一言も発することなく、僕に背を向けて走り去ろうとした。
「待ってくれ!」席を立ち、食い下がる。
朱莉は教室の廊下の真ん中でピタリと足を止めた。振り返ることもなく、冷たい問いを投げかけてきた。
「何か用?」
「少し話せるか? 昨日のことなんだけど、僕は――」
言い終わる前に、彼女はバッグを胸に強く抱きしめ、その場の空気を完全に凍りつかせる言葉を放った。
「私……もう一緒にいる人がいるから」
その言葉は、政司の胸に冷たい虚無となって突き刺さった。
言葉は空中に漂い、骨の奥まで凍み渡るような重く冷たい静寂を残した。朱莉は静かにドアを閉め、急に広くなったように感じる教室の真ん中で、僕を置き去りにしていった。
ぼんやりとした目で、ゆっくりと席に戻った。
「あの子と喧嘩でもしたのか?」自分の席から見ていたナツキが訊ねてきた。
「違うと思う……」呟くように答える。
ナツキは真剣な表情で近づき、机に寄りかかった。
「聞いてくれ。まだ知り合ったばかりで、お互いの関係も少しずつ育んでる段階なのは分かってる。でもな、後で失ったことを悔やむくらいなら、今すぐ動いた方がずっとマシだぞ」
記憶にある彼からは想像もつかない大人びたその言葉は、僕の耳に警鐘のように響いた。彼の言う通りだ。関わってきた時間はごくわずかかもしれないが、今過ごしているこの瞬間は本物だ。もし見過ごしてしまえば、二度と繰り返されないかもしれない。
「そうだな。解決不能な問題になる前に、ちゃんとした方がいい」
胸の奥で決意の火花が散るのを感じながら言った。
ナツキは苦笑いを浮かべ、肩をすくめた。
「まあ、俺が言いたかったのはちょっと違うけど……お前がそう思うなら、行けよ」
一刻も無駄にせず、僕は立ち上がると廊下へ飛び出した。一瞬躊躇して左右を見渡し、右へ向かって走り出した。走る僕の背中に、遠いエコーのようにナツキの声が届いた。
「人生ってのは、お前が思ってるより単純だぞ、政司」
心臓をバクバクさせながら走った。彼女はどこにいる? 妹の言葉が脳裏をかすめた。『もし学校で誰かを探したいなら、校舎の裏に行きなよ。あそこはいつも静かだから』
角を曲がり、裏口へと向かった。
肩で息をし、観覧席からの落下の痛みが脇腹を刺激したが、完全に無視した。
裏庭にたどり着き、荒い息を整えようと立ち止まった。そこには誰もいなかった。奥の古い木々の影に、ぽつんと置かれたベンチを除いては。
ゆっくりと近づいた。頭を垂れ、肩をかすかに震わせている人影に気づき、足取りを慎重にした。
「朱莉……」息を整えながら、優しく呼びかけた。
彼女はハッと跳ね起きた。顔を上げた瞬間、その瞳の淡い赤みと、頬に残る乾いた涙の痕が目に飛び込んできた。
「政司くん……」顔を急いで背けようとしながら呟いた。「どうしてここに? 授業に戻った方がいいよ」
「戻らないよ」一歩踏み出し、強く言った。「何があったのか教えてくれ。昨日は走り去って、今日は口すらきいてくれない。僕が何か嫌なことをしたなら、言ってくれ」
彼女はリュックの上で両手を強く握りしめ、再び頭を下げた。重苦しい沈黙が裏庭を包み込む。
「あなたは悪くないの……」かすかに声を取り乱しながら呟いた。「私が勝手に勘違いしただけだから」
「勘違い? 一体全体なんの話だ?」
「昨日の放課後……あなたが学校を出る時」生唾を呑み込みながら言った。「ロッカーの近くを通ったら、あなたと生徒会の人が見えて……彼女が言ったことが聞こえたの」
政司は全てのピースがハマり、その場で凍りついた。
(朱莉があそこにいたのか……!?)
「彼女の告白も……あなたが頷いたのも聞こえたの」震えるため息を漏らしながら続けた。「帰り道に言ってくれたこと、私たちが特別な関係になれる意味だと思ってた……でも、期待して浮かれてた自分がバカだったって気づいたの」
冷や水を浴びせられたような衝撃が政司を襲った。
「待ってくれ!」一歩近づき、叫んだ。「誤解だ! 話を聞いてくれ、朱莉」
彼女は驚いて顔を上げ、溢れ出そうになっていた涙を止めた。
「古川先輩のあれは、ただのタチの悪い冗談だったんだ」必死に彼女の瞳を探しながら、急いで説明した。「彼女は本気じゃなかったし、僕も受け入れてない。『もちろん』って言ったのは、呆れて流そうとしただけなんだ。最初に聞こえたのは……その場のノリの誤解なんだよ」
「本当に……?」途切れ途切れの声で、目をパチパチさせながら訊ねてきた。
「本当だ。僕には彼女も、他に好きな人もいない」肩の力を抜きながら、しっかりと保証した。「帰り道に『もっと仲良くなりたい』って言ってくれたのを受け入れたのは……僕も本当にそう望んでたからだ」
朱莉は数秒間無言のまま、頬に紅潮を取り戻しながら言葉の一つひとつを噛みしめた。安堵の長いため息が彼女の胸から漏れ、今日一番の、小さく温かい笑みがその表情に咲いた。




