第13話「公爵家の影と冷たい試練」
二人の間に結ばれた番の契りは確固たるものだった。
あの雪の夜から世界の色が鮮やかに変わった。
番の契りは二人の魔力の回路を深く繋ぎ合わせた。
アレンの身体にはヴィルヘルムの強大な魔力が穏やかに流れている。
繋がりができたことで魔術の制御が容易になった。
以前のような魔力欠乏によるひどいめまいももう起こらない。
呼吸をするたびに彼の気配を内側に感じることができた。
首筋に刻まれた小さな噛み跡は制服の厚い襟で隠している。
誰の目にも触れない二人だけの秘密の証だった。
しかし周囲の反応は以前とは異なっていた。
アレンの身体から微かに彼の気配が漂うようになったのだ。
それは強大なαが所有を主張する強烈な印だ。
上位貴族の生徒たちはアレンに近づくことすら避けた。
すれ違うときには誰もが恐れをなして目を逸らす。
平穏で静かな学園生活がようやく訪れたかに見えた。
しかし運命はアレンに安息を長くは許さなかった。
ある日の昼休みのことだった。
アレンは図書室の窓際の席で古い魔導書を読んでいた。
窓の外の景色に目を奪われて本をめくる手が止まる。
黒い豪華な馬車が学園の正門を堂々と潜り抜けてきた。
四頭立ての立派な黒馬が重い車体を引っ張っている。
車体にはクレイグ公爵家の重厚な紋章が刻まれていた。
剣と百合をあしらった威厳のある銀色の紋章だ。
馬車から降り立ったのは灰色の髪の老紳士だった。
仕立ての良い漆黒のフロックコートを着ている。
手には銀の装飾が施された太い杖を固く握っていた。
彼は迷うことなく学園の来賓室へと真っ直ぐに向かった。
アレンの指先がかすかに冷たくなる。
それから間もなくしてアレンは担任教師に呼び出された。
「来賓室へすぐに一人で向かいなさい」
「公爵家からの使者が君をお待ちかねだ」
その言葉を聞いてアレンの足が微かにすくんだ。
番になったことが公爵家の中枢に知られたのだ。
権力を持つ彼らが黙って見過ごすはずがない。
アレンは重い足取りで来賓室の重厚な扉の前に立った。
深呼吸をしてから扉をゆっくりとノックする。
「入りなさい」
低くて冷ややかな声が部屋の中から響いた。
アレンが部屋に入ると老紳士が革のソファに座っていた。
彼の周囲には重苦しいαの威圧感が漂っている。
ヴィルヘルムの放つ清冽な覇気とは違う。
古く淀んだ息苦しい威圧感だった。
「私が公爵家の家令を務める者だ」
彼はアレンに座るように勧めることすらしなかった。
アレンは扉の前に立ったまま静かに深くお辞儀をした。
「お呼びでしょうか」
「単刀直入に要件だけを言おう」
家令は冷たい目でアレンを頭からつま先まで観察した。
品定めをするような無遠慮な視線だった。
「次期公爵たるヴィルヘルム様に君はふさわしくない」
「没落貴族のΩなどクレイグ家には不要な存在だ」
予想通りの冷酷な言葉だった。
アレンは制服のズボンの布地を強く握りしめて耐えた。
「君の実家の借金は公爵家が全て肩代わりしてやる」
「さらに君の口座に一生遊んで暮らせる金を用意した」
「すぐに学園を去りどこか遠くへ身を隠して生きなさい」
家令は懐から分厚い封筒を取り出してテーブルに投げた。
それは明確で卑劣な脅迫の形をとっていた。
「君のせいで彼の政治的な将来に大きな傷がつくのだ」
「彼を愛しているなら自分から身を引くのが筋だろう」
アレンの呼吸が浅くなる。
身分違いの恋が彼に迷惑をかけることは十分に理解している。
以前のアレンなら恐怖と罪悪感で震え上がっていたはずだ。
家族を守るために全てを諦めて封筒を手に取っただろう。
しかし今のアレンはかつての孤独な少年ではない。
首筋の噛み跡がじんわりと確かな温かさを放っていた。
彼と結んだ絆がアレンの背筋を真っ直ぐに支えている。
「お断りします」
アレンの声は自分でも驚くほど静かで落ち着いていた。
家令の白髪の眉が不快そうにピクリと大きく動いた。
「何だと」
「借金なら私が特待生として卒業した後に必ず返します」
「お金や脅しで彼から引き下がるつもりはありません」
アレンの堂々とした宣言に家令は鼻で笑った。
「愛などという不確かなもので公爵家が継げるか」
「君のようなΩに公爵夫人となる覚悟があるのか」
「私の価値は血筋だけではないと必ず証明してみせます」
アレンの揺るぎない視線が家令の冷たい目を見据える。
「身の程知らずの愚か者め」
「ならばクレイグ家に伝わる古い魔術の試練を受けろ」
「それに耐えられれば君の戯言を少しは信じてやろう」
「ただし命の保証は全くないと思え」
家令の目は残酷な喜悦の光を宿していた。
「逃げるなら今だぞ」
「私は逃げません」
「その試練をお受けします」
アレンの即答に家令は不気味な笑みを深く刻んだ。
アレンの背中に冷たい汗がゆっくりと流れていった。
明日の放課後に地下演習場へ来いと家令は告げた。
アレンは来賓室を後にして静かな回廊を歩いた。
足取りは重かったが心に迷いは一切なかった。
ヴィルヘルムにはこのことを伏せておこうと決めた。
彼が知れば必ず家令を激しく糾弾するだろう。
公爵家との間に決定的な亀裂を生むかもしれない。
それはアレンが最も望まない事態だった。
自分の力だけでこの理不尽な壁を乗り越えなければならない。
彼の隣に立つ資格を自分の手で勝ち取るのだ。
アレンは空を見上げて決意を固めた。
秋の空はどこまでも高く澄み切っていた。
彼への深い愛がアレンの心の中で静かに燃え続けている。




