第10話「薬の限界と呼び合う本能」
冬至祭が近づく学園は異様な活気に満ちていた。
大広間には氷の魔術で作られた装飾が輝く。
無数の氷の結晶が光を反射して美しい。
生徒たちは華やかな夜会に向けて浮き立っていた。
しかしアレンの体調は優れなかった。
病気ではないし抑制剤も毎日欠かさず飲んでいる。
それなのに下腹部で奇妙な熱がうずくのだ。
ヴィルヘルムの姿を見るだけで体温が上がる。
彼とすれ違うだけで足がすくんでしまうのだ。
呼吸が浅くなり喉の奥が乾いた。
それはこれまでの発情の症状とは違う。
薬で抑え込めるような単純な熱ではなかった。
強烈な渇望が内側から湧き上がる。
彼に今すぐ触れたい。
彼に自分を全て委ねたい。
理性をかすれさせるような衝動が波のように押し寄せる。
ある日の執務室での出来事だった。
アレンはいつものように彼とお茶を飲んでいた。
カップを置いたときに手元が狂って少しあふれた。
紅茶の滴がアレンの頬にわずかに飛ぶ。
「危ないな」
ヴィルヘルムが立ち上がってハンカチを伸ばす。
彼の顔がアレンの目の前に迫った。
冷たい空気をまとった彼特有の気配が近づく。
その瞬間アレンの全身が警鐘を鳴らした。
「ひっ」
アレンは悲鳴を上げて激しく身を引いた。
ソファの背もたれに背中を強く打ち付ける。
荒い息を吐きながら彼から距離を取った。
ヴィルヘルムはハンカチを持ったまま動きを止める。
彼の銀色の瞳に戸惑いが浮かんでいる。
拒絶されたと勘違いして少しだけ傷ついた顔だ。
「エルディス」
「申し訳ありません」
アレンは自分の身体を両手で強く抱きしめた。
これ以上近づかれたら自分を抑えきれない。
彼にすがりついてしまう予感があった。
「少し気分が悪いので失礼します」
アレンは引き留める彼の声を無視して部屋を飛び出した。
自分が恐ろしくてたまらなかった。
夜会の当日の夜がとうとうやってきた。
特待生のアレンも出席を厳しく義務付けられている。
簡素だが清潔な黒い礼服に身を包んだ。
大広間は華やかな音楽と笑い声に包まれている。
色とりどりのドレスが花畑のように揺れていた。
巨大なシャンデリアが魔法の光を放っている。
アレンは目立たないように壁際の影に立っていた。
冷たい果実水を飲んで喉の渇きを潤す。
しかし身体の奥の熱は引かなかった。
彼を探してしまう自分の目が恨めしい。
音楽がゆったりとした優雅な曲調に変わった。
広間の中央で生徒たちが手を取り合い踊り始めた。
アレンはその光景をぼんやりと眺めていた。
「こんなところで何をしている」
不意に背後からあの低い声がした。
振り向かなくてもわかる深い気配だ。
ヴィルヘルムが漆黒の礼服姿で立っていた。
彼の美しさは周囲の空気を奪うほどだった。
銀色の髪がシャンデリアの光を受けて輝いている。
アレンの鼓動が耳の奥でうるさく鳴った。
身体の奥の熱が急激に強さを増していく。
「先生」
アレンの声は情けないほどに上ずっていた。
ヴィルヘルムはアレンの様子がおかしいことに気づく。
彼の瞳が微かに険しさを帯びて細められた。
「顔がひどく赤いぞ」
「また熱があるのではないか」
彼が心配そうに大きな手を伸ばしてくる。
厚い手のひらがアレンの熱い額に触れた。
その瞬間アレンの全身に鋭い感覚が走った。
彼の体温が皮膚から侵入してくる。
「あっ」
アレンは思わず小さく喘いでしまった。
膝の力が抜けてその場に崩れ落ちそうになる。
ヴィルヘルムが力強い腕でアレンの腰を抱き留めた。
彼の硬い胸に密着してしまう。
αの強烈な気配が鼻腔を打つ。
アレンの思考が白く染め上げられた。
抑制剤は完璧に効いているはずだった。
これは薬の抗体による副作用ではない。
運命の番としての抗いがたい本能の呼び声だった。
彼を求める衝動が理性を食い破っていく。
「エルディス」
「どうした」
「息がひどく荒いぞ」
彼の低い声が耳元で響いた。
アレンは彼の腕の中で必死に小さく首を振った。
これ以上ここにいては取り返しのつかないことになる。
多くの生徒の前で彼に発情してすがりついてしまう。
「離して」
「一人にしてください」
アレンは力を振り絞って彼の胸を突き放した。
驚く彼の顔を見る余裕は全くなかった。
アレンは身を翻して華やかな大広間から駆け出す。
人波を掻き分けて暗い廊下へと飛び出た。
どこでもいいから彼から遠ざからなければならない。
本能を振り切るように夜の学園を走った。
冷たい冬の風が火照った身体に吹き付ける。
しかし身体の熱は燃え上がり続けていた。




