1-20 天理の王
なんでっ
なんで出た!?
何も意味ないのに。
ここで彼女を助けても、自分には何の得もないのに。
なのにいつの間にか体が。足が、勝手に動いてあっという間に病室へと辿り着いてしまう。
そして、霊獣と2人の少女の間を阻むように、結束たちに背を向けて立ってしまう。
「……………え?」
最初に反応したのは明音だった。
顔が見えないので分からないが、戸惑いが自然と口から出たような声。
戸惑うのも無理はない。彼女からすれば突然見知らぬ男がどこからともなく現れ、自分たちを守るように立っているのだ。
「………………?」
そして、明音の声に異変を感じた結束も目を開けて、その後ろ姿を目の当たりにする。
「……君はっ!」
「……………………」
「なんで……………なんで、あなたがここに」
結束は明音とは違い戸惑いよりも驚きの方が大きいようだった。
なぜ祐がここにいるのかという疑問や、突然現れたことへの動揺。
そして………微かに恐怖が払拭されたような、声。
「……………」
だが、後ろを振り向いてはいけない。
彼女に、顔を見られてはいけない。
きっと俺は今、必死な顔をしているから。
何かの感情に押され、なぜか走り出してしまった時の余韻が、まだ表情に残っているから。
顔を見られてしまえば、彼女らを守ろうとしてここに立っていることが伝わってしまう。
それではだめだ。
なぜ自分が走り出したのかは分からない。
なぜここに立っているのかは分からない。
だが、もう戻れないのだ。
ならせめて、彼女にはそれを悟られないようにしなければならない。
だから俺は、冷静な、落ち着いた声で言った。
「…………体、動くか?」
「……えっ」
「逃げれるかって聞いてんだ」
「あ………いや、えっと」
結束は動揺しながらも、祐の言葉で起き上がろうとする。
だがやはり彼女は、まだ体が動かないようだった。
祐は彼女が起き上がろうとするその間に、軽く深呼吸をする。
呼吸を整え、結束に見られてもいいような、落ち着いた表情を作る。
「………ごめんなさい。まだ霊力が回復しきれてなくて……」
呼吸が落ち着いた祐は2人の方を振り向き、明音に目を向けた。
「……………お前は」
明音はまだ腰が抜けてしまっている。
言うまでもなく動ける状態ではないだろう。
それを見て、祐は心の中でため息をつく。
「逃げられないんなら、せめてこっちを見ないでくれ。………霊能力を使う」
祐はそう言って前を向き直す。
見上げると、大様と構える霊獣と目が合う。
祐は、貌淋符を解呪した。
「………くそ。本当に、使いたくなかった」
霊能力は、もう一生使わないつもりだった。
戦いという場所から身を引いて生きていくと決心していた。
なのに、何で今俺はこんなことをしているんだ。
…………………。
…………あの時、恭也は言った。
『戦うために能力を使えとは言わない。生きるために能力を使え』
「……………」
俺は何のために霊能力を使おうとしているのか。
戦うため。
生きるため。
今にして思えば、恭也の言葉は余りにも抽象的で、なぜ自分があんな言葉に納得したのかは分からない。
でもきっと。
何となくだけど、今霊能力を使おうとしているのは戦うためでも、生きるためでもない気がする。
………………。
………………。
………一体、この感情を何と呼ぶのだろうか。
やはり答えは出ない。
結局自分一人で考えても、何も分からない。
だから俺は、いつものように思考を全て頭の隅に追いやり、静かに呟いた。
「……………おい、『ユグ』。力を貸せ」
自然の理を司る神の御霊、『ユグドラシル』。
祐に憑依している霊の名だ。
呼びかけるようにその名を口にするが、やはり返事はない。
独り言のようでむず痒いが、もう慣れたことだ。
それに、返事がなくとも体が霊の存在を感じている。
胸の内から、両腕に霊力が回っていくのが分かる。
自分が霊能力を使える状態になったことが、分かる。
そして、結束もその雰囲気を感じ取ったのか、背を向けている祐に向かって叫んだ。
「ち……ちょっと!?あなた、あいつと戦うつもり!?」
「……そうするしかないだろ。俺だって転界符で逃げる霊力なんて残ってないんだ」
「早まらないで!あなたじゃ、あいつには勝てない!」
その言葉に、祐は結束の方を振り返る。
「…………ああ?そんなのやってみなきゃ分かんないだろ」
「違う!あなたが弱いとか、そういうことじゃないの!霊獣は……」
「訳分からん。いいからお前は目を逸らしてろ。霊能力を使うと言った」
祐は、再度警告をして前を向き直す。
覚悟を決めるように。
気持ちを落ち着かせるように、軽く深呼吸をする。
そして、
「…………………【嵐操】」
瞬間、祐の両腕を中心に強い風の渦が生まれる。
その風は、病室の朽ちたカーテンを揺らし、服をひらめかせ、周囲の小さな瓦礫を飛ばす。
騒音が増幅し、場の空気が変わる。
霊獣も祐の戦闘態勢を感じ取ったのか、腰を低く構えてグガアアァ!と叫び声をあげる。
「……………っ」
その凄まじい咆哮に結束は腕で顔を覆うが、めげまいと前を向く。
「だめ………………!」
このままでは、戦闘が始まってしまう。
彼まで、巻き込んでしまう。
だから、彼に伝えなければならない。
「霊獣は………霊力での攻撃が効かないの!」
「………………」
祐は黙ったまま何の反応も示さない。
「だから、あなたじゃ………霊能力じゃ、勝てない!」
「………………」
少しの沈黙のち、やがて祐はゆっくりと口を開く。
「……………そうか」
「そう!だからここは……」
しかし、祐は結束に背を向けたまま、低い声で独り言のように呟いた。
「………じゃあ、勝てるな」
「………えっ」
声が漏れるような結束の反応を、しかし祐は完全に無視して両腕の袖を捲った。
祐の能力は両腕を中心にして起動する。そのための準備だ。
だが、結束は混乱を隠せずに声を上げる。
「ど、どういうこと?あなた、何をしようとしてるのか分かっているの!?能力が効かない相手と戦うなんて……」
「分かってるよ。いいから、お前はあっち向いてろって言ってん……」
だが祐の言葉を遮り、突然戦いの火蓋は切って落とされた。
「っ!!危ないっ!」
霊獣がグオオオ!と雄叫びをあげ、祐にめがけて腕を振るってきたのだ。
だが、祐はそれに合わせて面倒くさそうに前を向く。
「うるせえ」
右手を開いて、前に出す。
「吹っ飛べ」
瞬間、右手の周りに渦巻いていた風が拡散しながら放出され、霊獣の体に勢いよくぶつかる。
ドッ!と霊獣の質量と風の勢いがせめぎ合う。だが、それも一瞬。直後に霊獣の体は浮き上がり、病室の中心まで吹き飛ばされた。
霊獣は体勢を整えようと着地するが、勢いを殺し切れず、病室の端まで後退る。
「……………さて」
霊獣と距離を取った。
とりあえず、奴が体勢を整えて攻めてくるまでに、やるべきことをやろう。
まず、2つ。
1つは恭也の持つ連絡用の霊符を起動させて応援を呼ぶこと。
これはすぐ終わるので手短に済ませる。
「…………よし」
霊符を起動させた。目で見て確認はできないが、今頃恭也に振動が伝わっているはずだ。少しすればこちらの位置を探知して駆けつけてくれるだろう。
そして次にやることは、
「…………久しぶりだけど、上手くできっかな」
祐は目を閉じ、霊力のコントロールに意識を集中させる。
そして肌で感じ取ることができない程の、微弱な風を周りに展開する。
距離にして半径約12〜13m。祐が能力によって風を操作できる限界範囲だ。
祐は風を操る能力の付随効果として、操作範囲内の気圧差を感じ取ることができる。
このように微弱な風を展開しておくことで、その範囲内で何か動きがあれば目で見ていなくとも、その変化を察することができる。
いうならば周囲探知能力。第三の眼だ。
「おし……準備完了。やるか」
やるべきことはやった。
霊獣も体勢を整えてこちらを睨み、様子を伺っている。
………戦闘開始だ。
ここからは慎重に動かなければならない。
恭也の情報が正しければ、あいつは霊能力を持っている。
そして、能力らしき現象は結束と戦っていた時も見られなかった。
なら警戒する必要がある。
戦闘向きの能力か、否か。
戦闘向きだとしたら遠距離でも機能する能力か、それとも近距離か。
少なくとも、奴の能力が確定するまでは今の距離を保って戦った方が良さそうだ。
一応、さっき結束が口にした『霊力での攻撃が効かない』とかいうやつが能力である可能性もあるが。
「……………………」
霊力での攻撃が、効かない。
彼女が霊獣と戦った過程で導き出した考察。
霊獣の性質。
確かに、奴の体の強度は異常だった。
そもそも霊力が効かないのでは?と言われれば、一応納得はできる。
だが、結束が使っていた空間能力らしき力は霊獣を吹き飛ばしていた。
つまり霊術によって起こる現象を全て無効化するというわけではない。
おそらく正確に言うなら、『霊力による攻撃で傷つけられない体』といった感じか。
……………まあ、どちらにしろ
「俺には関係ねえな」
祐は、霊獣を半眼で見つめながら言う。
そして、霊獣が動く。
両腕を広げながら、初速からトップスピードの突進。
その体のバネ。瞬発力。
目の前で見るとやはり凄まじい身体能力だ。
だが祐は身構えもせず、ただ腕に霊力を込める。
さっき霊獣を吹き飛ばした時よりも強く、激しい渦を生成し、そのままその腕を大きく振りかぶった。
「こっち来んな。死ね」
旋風を纏った拳で空を殴る。
すると、殴る勢いに乗せて旋風が霊獣にめがけて放出される。
それはさっきのような拡散された、相手を吹き飛ばすための風ではない。
むしろ槍のように収束し、心臓があるであろう左胸一点を穿つための、鋭い一撃。
だが、その一撃に霊獣は即座に反応して左肩を前に出し、タックルの様な姿勢に変えた。
攻撃態勢を変えないまま、身を守るつもりだ。
どうやら、霊獣は理性がないといっても最低限の防衛本能は備わっているようだった。
…………だが、
「……見誤ったな、化物」
旋風が霊獣の左肩に直撃する。
今まで何の攻撃も受け付けず、無傷だった霊獣の体。
だが、その風はドウン!と霊獣の左胸を肩ごと撃ち抜き、一瞬で霊獣の体に円筒状の空洞を生む。
霊獣は予想外のダメージに突進の勢いを完全に殺され、後方に仰反った。
そして………
背後で、声がする。
「…………なっ」
その声に祐は振り返る。
結束が、呆気に取られた顔でこちらを見ていた。
「………おい、見んなっつっただろうが」
「何で…………い、今の、霊能力よね?どういう
………」
「いい加減にしろよ。何度言ったら分か………」
だが、そこで祐は言葉を止める。
後方で、何か異様な音がしたから。
ギュルギュル、グチュグチュと、粘着的な何かが動くようなねっとりした音。
その音に、祐は前を向く。
すると、祐の旋風によって貫かれた霊獣の左半身が、その穴を塞ぐように外側から少しずつ修復されていた。
やがて、完全に元通りになると、霊獣は何事もなかったかのように肩を落としてこちらを見る。
「………ちっ。弱点、左胸じゃないのかよ」
敵は無傷。
仮眠はとったが霊力は半分も回復していない。
「やっばいかも……」
祐は楽観したように言いつつも、自身が身震いしているのを感じた。




