1-17 遭遇
「……嫌な予感しかしない」
如月を裏切っている家がある……考えただけでも面倒だ。
一度どこかの家が請け負った「小さい仕事」は部外者に情報を漏らさないために「家内機密」として家の中だけで管理され、他の家すらも関わることができない。
だが、他の家が如月に内緒で恭也に同じ仕事を委託しているのだとしたら、それは完全な邦霊への裏切り行為だ。
如月家が恭也に任務委託をしているというのも、当然ありえない。
もしそうなら同じ任務に結束とわざわざ別行動させる意味がわからないし、そもそも邦霊トップの実力を持つ如月家が委託を必要とする任務なら最初から「大きい仕事」として銃身区間に仕事が回っているはずだ。
「……もしかして俺、結構やばいことに首突っ込んでる?」
何がともあれ、全ては推測だ。
これ以上知るには恭也を問い詰めるしかない。
と、そこまで考えていたところで祐は1階から入口を抜ける。
生ぬるい湿気と腐敗臭が消え、新鮮な空気が体を包む。
「くあーっ!やっと出たっ!」
胃の中を換気するように祐はおおっぴらに両手を広げて、スーハーと深呼吸をする。
「………ふぅ」
さて、これからどうするか。
彼女達がこの病院に居座る限り、任務の続行は不可能だ。
彼女達がいつここを出るかも分からない。
今はとりあえず病院から距離をとって恭也に渡した振動する霊符を起動させるのが1番安泰だろう。
恭也が六神符で祐の位置を知れば何かあって離脱したのだと察してくれるはずだ。
祐は重苦しく聳え立つ廃病院に背を向ける。
「よし、まずはここから離れ………」
が、その瞬間。
ドオォン!
ドドドドドドッ!
突然、祐の言葉を遮り背後から鳴り響いた凄まじい轟音が鼓膜を唸らせた。
「っ!?」
祐は反射的に振り返る。
音が聞こえたのは上の方からだ。
「は!?あれ………」
場所は3階、東棟の端。
祐がさっきまで隠れていた病室だ。
窓ガラスが割れ、砂埃のような煙がモクモクと出ている。
さっきの音はどこかの壁か天井が崩れた音だろうか。
祐は状況確認のため、急いで六神符を起動させた。
「…………」
反応は2つ。
2つとも、煙が上がっている3階の病室からだ。
恭也の反応はない。今の音は恭也にも聞こえているだろうが、貌淋符はまだ解呪していないようだ。
つまり、この2つの霊力反応は結束とその側近と思われる少女。
「………どういうことだ」
なぜ、あの2人は貌淋符を起動していないのか。
霊術士が任務中に探知避けを使わないというのは普通じゃありえない。
彼女達がもし霊獣の調査でここにいるなら必ず貌淋符を使っているはずだ。
だが、現に六神符は2人の反応を示している。これはつまり、
「戦闘中か!?」
祐は息を呑む。
どうする?
様子を見に行くべきか?
2人が戦っているのだとしたら相手はほぼ間違いなく霊獣だろう。
他の人間と戦っているのなら、そいつの反応も六神符に出るはず。
…………もし。
霊獣が、規格外の強さだったら。
彼女達が太刀打ちできないほどの強さだったら。
もし祐がここで2人を見捨てて、そのせいで………
「っ、そうじゃねえだろ!」
祐はブンブンと首を横に振る。
何を考えているんだ、俺は。
今考えることはそうじゃない。
霊獣が今、すぐそこにいる可能性がある。
さっきまでは存在すら疑わしかったので断念したが、いると分かれば彼女達に見つかるリスクを取ってでも調べに行く価値はある。
………そうだ。
調査だ。
霊獣の、調査。
決して彼女達を助けるためではない。
祐は心の中でそう唱え、病室へと向かった。
入口を抜け、階段を飛ばし飛ばしで駆けていく。
3階まで登ったところで渡り廊下の死角に身を隠し、病室の中を覗く。
「…………なっ」
その光景は、一言で言うと想像以上だった。
まず目に入ったのは、霊獣と思われる熊のような形をした化物。だが、熊はあくまでも形容だ。実際の熊とは程遠い。
薄紫色の半透明な体。2足で立ち、両手両足から生える7本の指から鋭い蹄が伸びている。
舌はまるで蛇のように長く、大きく見開いた目には虹色に鈍く光った泡のようなものが浮かんでいた。
そして、なんと言っても驚くべきはその大きさだ。
霊獣の仕業だろうか、祐がさっきまでいたであろう病室とその隣の彼女達が調査しようとしていた病室。その2つの部屋を隔てる壁が破壊され、部屋同士が繋がっていた。
おそらくさっきの音はこの壁が壊された音だろう。
そして、その繋がった病室の3分の1以上を霊獣の体が占めていたのだ。
「あんなでっかいの、どこに隠れてたんだよ!」
霊獣は、グガアァァァ!と、まるで怪獣のような雄叫びをあげる。
その衝撃で周りの瓦礫が吹き飛び、距離を取っている祐さえ後退りしてしまう。
「くっ!」
だが、その雄叫びの矛先は同じ繋がった病室にいる、2人の少女だ。
「結束様!こいつは……」
「多分、霊獣……なのかな。でも、この大きさは想定外だった。明音、あなたは転界符で逃げて!」
結束の言葉に、明音は沈んだ表情で下を向く。
「申し訳ございません……私、今日の試験で霊力を使いすぎてしまって、転界符を使えるほどの霊力が………で、でも!どちらにせよ、結束様を置いて逃げるなんてできません!」
「霊力がないなら下がってて!あなたの実力じゃ足手纏いだから!」
「そっ、そんなっ!弾よけでもなんでも構いません!私も戦闘に……」
その瞬間。
霊獣が右手を上げる。
狙われたのは明音と呼ばれる少女だ。
霊獣の動きは、かなり速い。
その図体には似つかわしくないほどのスピードで霊獣の平手が襲いかかる。
「ひっ」
「っ!明音!」
霊獣の動きに結束はいち早く反応し、明音の元へ飛び上がる。
平手が彼女に直撃する寸前。結束は明音を抱きかかえ、攻撃の軌道上から離脱する。
霊獣が外した攻撃はそのまま部屋一帯を薙ぎ払い、正面の壁を扉ごと破壊した。
さっきと同じような瓦礫の崩れ落ちる轟音が病院中に響く。
「やっっばすぎ……」
祐は、目の前の異様な光景にただ呆然と立ち尽くしていた。
速さだけじゃない。威力もまるで常軌を逸している。
あんなやつが街に出ればその被害は想像できない。
まさしく、動く公害だ。
……だが、それでも。
「……あいつなら、やれるだろ」
彼女なら。
如月結束なら、きっと、勝てない相手ではない。
あの図体の敵相手に出力の低い霊符で戦うのは厳しいが、ここは学校とは違い霊能力が使える。
彼女の霊能力は不明だが、霊符をあの制度でコントロールできる彼女なら勝てる可能性は十分にある。
これは、思ったより収穫かもしれない。
霊獣と結束が本気で戦えばどちらの能力情報も手に入れることができる。
霊獣の情報は任務達成のために。
結束の情報はこれから先彼女とやむを得ず接触することになったときの交渉材料のために。
とりあえず、ここは傍観を決め込むことにしよう。
結束は病室の端まで下がり、抱えていた明音を下ろした。
「大丈夫?怪我してない?」
「申し訳ございません……私、なにも役に立たなくて………」
結束は崩れ落ちるようにその場に座り込む明音を見て眉をひそめる。
明音は、恐怖に体を震わせている。
腰が抜けてしまったのか、うまく立ち上がれないようだった。
「………明音は戦闘よりも研究分野の人間だから仕方ないよ。………ごめんなさい。私があなたを無理矢理連れて来なければ、こんな……」
「あっ謝らないでください!ここに来たのはあたしの意志です!なのに…………歯痒いです。そばにいるのに、何もできないなんて……」
「それは違う。何もできないなんてことはない」
「…………え?」
結束は明音に背を向け、ガルルルとこちらを威嚇しながらゆっくりと近づいてくる霊獣をじっと見つめる。
「霊獣は………強い。私の力でどれだけ戦えるかは分からないけど、もしかしたら『アレ』を使うことになると思うから………その時は、お願いね」
結束は明音を頼るかの様な発言をするが、その実、気弱になっている明音のフォローをする。
「………!!はい、分かりました!どうかお気をつけて」
結束は振り返り、横目で明音を見て無言のまま軽く微笑む。
そしてすぐに霊獣に向き直し、結束は地面を蹴りあげた。




