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婚約破棄された完璧令嬢は、微笑みのまま王都を去る~王太子に選ばれなかった私が、自由を手に入れるまで~   作者: カルラ


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第六章 遅すぎた謝罪

アルベルトがグランフェルト公爵邸を訪れたのは、婚約破棄から四十日が過ぎた午後だった。  

先触れは一刻前に届いた。  

王太子の訪問としては異例の短さであり、正式な会談ではなく、私的な用件であると書かれている。


「お断りになりますか」  


マリアンヌが尋ねた。  

アデライドは鏡の前で耳飾りを選んでいた。  

青玉は王家を連想させる。  

真珠では喪に服しているように見える。  

結局、装飾の少ない銀の耳飾りを手に取った。


「王太子殿下のご訪問を、公爵令嬢が理由なく拒むことはできません」

「理由なら、十分にあるかと思いますが……」

「私情で礼を欠くべきではありません」

「左様でございますか」  


マリアンヌは銀の留め具を整えた。


「本日は、どのようなお話だと思われますか」

「王太子府の混乱が収まらないのでしょう」

「新聞では、立て直しが進んでいると」

「表向きの記事です」

「では、復帰を請われると?」  


アデライドは鏡の中の自分を見た。  

淡い金髪は一筋の乱れもなく結い上げられている。  

頬は少し痩せたものの、顔色に問題はない。  

捨てられた女には見えない。


「分かりません」

「期待なさっているのですか」

「状況から可能性を推測しているだけです」

「お嬢様」  


マリアンヌは鏡越しに主人を見た。


「もし殿下が婚約を戻したいとおっしゃったら、どうなさいます」  


アデライドは答えを用意していた。  

すぐには受け入れない。  

公爵家の名誉を回復するため、王家から公式の謝罪を求める。  

祝賀会で発表した以上、同等の規模の場で婚約復活を宣言させる。  

リディア・エヴァンスについても、相応の処分が必要になる。  

それらの条件が満たされれば、王国の安定のため、婚約へ戻ることを検討してもよい。


「そのときに考えます」

「左様でございますか」  


マリアンヌは、それ以上尋ねなかった。



アルベルトは薔薇の間で待っていた。  

春から初夏にかけて使われる応接室で、庭園に面した窓の外には白薔薇が咲いている。  

婚約して初めて二人きりの茶会をした部屋でもあった。  

偶然なのか、父が意図して選んだのかは分からない。  

アデライドが入ると、アルベルトは即座に立ち上がった。  

礼装ではなく、紺色の簡素な上着を着ている。  

顔には疲労が色濃く、目の下に薄い影があった。


「お待たせいたしました、殿下」

「いや」  


アルベルトはアデライドの顔を見つめた。


「来てくれて、ありがとう」

「ここはわたくしの家でございます」

「ああ」  


彼は気まずそうに目を伏せた。


「そうだった」  


アデライドは向かいの椅子へ座った。  

マリアンヌが紅茶を注ぎ、壁際へ下がる。  

アルベルトは彼女を見た。


「二人で話したい」  


マリアンヌは動かなかった。


「マリアンヌ」  


アデライドが呼ぶと、侍女は一礼した。


「隣室におります」  


扉が閉じる。  

部屋には二人だけが残された。  

以前なら、沈黙が苦になることはなかった。  

アデライドは書類を読み、アルベルトは本を読む。  

話さなくとも同じ場所にいることが自然だった。  

今は、茶器の小さな音さえ、互いを責める声のように聞こえる。


「今日は、どのようなご用件でしょう」  


アデライドが尋ねた。  

アルベルトは紅茶に手をつけない。


「謝りに来た」

「謝罪でございますか」

「あの夜のことだ」

「婚約破棄について?」

「婚約破棄を、あのような形で発表したことについて」  


言葉が胸へ落ちるまで、わずかに時間がかかった。  

婚約破棄そのものではない。  

方法について謝罪しに来たのだ。


「もっと早く、君に話すべきだった」  


アルベルトは両手を握り締めた。


「二人きりで話して、君の意見を聞くべきだった」

「わたくしの意見を聞けば、決定を変えたのですか」

「それは」

「変えなかったのでしょう」  


アルベルトの沈黙が答えだった。


「でしたら、話し合いに意味がございましたか」

「ある」  


アルベルトは顔を上げた。


「君は、あんな場所で突然知らされるべきではなかった」

「では、どこで知らされればよかったのでしょう」

「それは分からない」

「二人きりであれば、人目を気にせず泣けたから?」

「違う」

「怒ることも、縋ることもできたから?」

「違う」

「同じことではございませんか」  


アデライドは微笑んだ。


「場所がどこであっても、殿下がわたくしをお選びにならなかった事実は変わりません」

「分かっている」

「いいえ」  


声がわずかに強くなった。  

アデライドは即座に息を整える。


「殿下は、お分かりになっておられません」

「何を?」

「わたくしが、何のために生きてきたかを」  


アルベルトの顔に痛みが走った。


「君は僕のために生まれたわけではない」

「ですが、そのように育てられました」

「だから、間違っていたんだ」  


アデライドの指先が冷えた。


「何が、間違っていたと?」

「君の人生を、僕の妻になることだけに使わせた」

「使わせたのは、誰です」

「王家も、公爵家も」

「殿下ご自身は?」  


アルベルトは答えなかった。  

アデライドの胸に、四十日間押し込めていたものが滲み出す。


「わたくしが王妃教育を受けることを、殿下は一度でもお止めになりましたか」

「止めなかった」

「外交を学び、財政を学び、殿下のお仕事をお支えしたことを、迷惑だとおっしゃいましたか」

「言えなかった」

「なぜです」

「君が懸命だったからだ」

「懸命であったことが、罪なのですか」

「そうは言っていない」

「では、何がいけなかったのでしょう」  


アルベルトは額に手を当てた。


「君がいけなかったわけじゃない」

「また、それですか」  


アデライドは笑った。


「わたくしは何も間違えていない」

「アデライド」

「何も間違えていないのに、選ばれなかった」

「これは試験ではない」

「分かっております」

「分かっていない」  


アルベルトは初めて、明確に彼女の言葉を否定した。


「君は、正しく努力すれば、望む結果を与えられるべきだと思っている」

「努力した者が報われるべきだと考えることは、誤りでしょうか」

「報われ方を、他人に決めさせることはできない」

「他人ではございません」  


アデライドは彼を見据えた。


「あなたです」

「僕も、君とは別の人間だ」  


その言葉は静かだった。  

怒りよりも、長い間言えなかった事実をようやく口にした疲労があった。


「僕が何を望むかは、僕が決めたい」

「リディア嬢が、そう教えたのですか」

「彼女は関係ない」

「関係がないはずがございません」

「僕が決めた」  


アルベルトの声が短く、強くなる。


「リディアが僕を誘惑したわけでも、君から奪ったわけでもない」

「そのようなことを申しておりません」

「君が調べさせていることは知っている」  


アデライドの微笑みが固まった。


「何のことでしょう」

「エヴァンス子爵家の財政や、リディアの学院での行動だ」

「王太子妃候補となった方の身辺を確認することは、王国にとって必要です」

「それをするのは、君の役目ではない」  


自分の役目ではない。  

その言葉が、アデライドの胸の穴をさらに広げた。


「彼女には手を出さないでくれ」  


アルベルトが続けた。


「手を出すとは、ずいぶんなお言葉です」

「悪かった」

「まるで、わたくしが彼女へ危害を加えると疑っていらっしゃるように聞こえます」

「そういう意味じゃない」

「では、どういう意味です」

「調査をやめてほしい」

「断る理由がございません」

「アデライド……」

「殿下は、何を恐れておいでですか」  


アデライドは身を乗り出した。


「わたくしが、彼女の隠しているものを見つけることを?」

「何も隠していない」

「なぜ断言できるのです」

「彼女を信じているからだ」  


あまりに簡単な答えだった。  

アデライドは言葉を失った。  

十年間そばにいた自分に、アルベルトはその言葉を使ったことがあっただろうか。  

頼りにしている。  

君なら大丈夫。  

君は間違えない。  

そう言われたことは何度もある。  

信じていると言われた記憶は、なぜか見つからない。


「わたくしは、信じていなかったのですか」

「君の能力は信じていた」

「能力だけを?」

「そういう意味では」

「結構です」  


アデライドは立ち上がった。


「お話は、よく理解いたしました」

「待ってくれ」  


アルベルトも立ち上がる。


「まだ謝罪が」

「謝罪なら頂戴しました」

「受け入れてくれるのか」

「婚約破棄の方法について、殿下が不適切であったと認められたことは理解いたしました」

「君を傷つけた」

「ええ」  


アデライドは微笑んだ。


「ですが、傷つけたことをお詫びになりたいだけなのでしょう」

「それではいけないのか」

「お詫びになれば、殿下のお心が軽くなります」

「そんなつもりじゃない」

「わたくしは何も取り戻せません」  


言った瞬間、部屋の空気が変わった。  

アルベルトはひどく悲しそうな目で彼女を見た。


「取り戻したいのか」  


アデライドの喉が動いた。  

元に戻してください。  

その一言を口にすればよい。  

リディアとの婚約を取りやめ、もう一度自分を選んでほしい。  

十年間の努力を無意味にしないでほしい。  

言いたい言葉は胸の内側に溢れている。  

しかし、それを口にすれば、彼女はアルベルトの慈悲へ縋ることになる。  

一度捨てられた女が、誇りもなく戻してくれと懇願する。  

リディアに負けたと、自ら認めることになる。


「今さら、何をおっしゃっているのです」  


アデライドは、それだけを答えた。  

アルベルトは目を伏せた。


「……そうだな」

「本日のご用件がそれだけでしたら、失礼いたします」

「アデライド」  


扉へ向かう彼女の背に、声が届く。


「君が幸せになることを、願っている」  


アデライドは振り返らなかった。


「ご厚情に感謝申し上げます」  


扉を開ける。  

隣室にいたマリアンヌが、何も聞かずに続いた。  

廊下を半ばまで進んだところで、アデライドは足を止める。  

薔薇の間の扉は閉じている。  

厚い扉の向こうから、アルベルトの声が聞こえた。  

独り言のような、小さな声だった。


「君は今でも、僕が戻るべきだと思っているんだね」  


アデライドは扉を見つめた。  

当然でしょう。  

声には出さず、胸の中で答える。  

正しい場所へ戻ることの、何が悪いのか。  

間違った選択を正すことを、なぜ彼は拒むのか。


「お嬢様」  


マリアンヌが呼んだ。


「何でもありません」  


アデライドは歩き出した。  

窓の外には白薔薇が咲いている。  

婚約した年、アルベルトが好きだと言った花だった。  

彼が好きだと言ったから、公爵邸の庭師に頼み、毎年最も美しく咲かせてきた。  

今になって、アデライドは気づく。  

自分自身が何色の花を好きなのか、一度も考えたことがなかった。








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