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婚約破棄された完璧令嬢は、微笑みのまま王都を去る~王太子に選ばれなかった私が、自由を手に入れるまで~   作者: カルラ


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第四章 わたくしがいない王宮

婚約破棄の翌朝、王太子府では七通の手紙が行方不明になった。  

正確には失われたのではなく、どこに保管されているのか誰にも分からなかった。  

西方三国の大使から届いた親書であり、一通ずつ異なる返書を送る必要がある。  

これまでなら、アデライドが内容を確認し、重要度と返答期限に従って分類していた。  

机の上には未処理の書類が積み上がっている。  

引き出しには小さな札が貼られていたが、そこには「青一」「青二」「白三」としか記されていない。


「青とは何だ」  


アルベルトは疲れた声で尋ねた。  

若い文官たちは互いの顔を見合わせる。


「おそらく、外交関係かと」

「では白は?」

「宮内府ではないでしょうか」

「なぜ疑問形なんだ」

「アデライド様が独自にお決めになった分類でして」  


王太子府に配属されたばかりのセシル・ハワードが、帳面を抱えて進み出た。


「分類表は残っていないのか」

「探しております」

「本人に尋ねればいい」  


アルベルトが言うと、部屋の空気が凍りついた。  

誰も答えない。  

婚約を破棄した翌朝に、書類の場所が分からないから教えてくれと頼む。  

それがどれほど無神経な行為か、アルベルトにも理解できた。


「いや」  


彼は額を押さえた。


「忘れてくれ」

「殿下」  


老侍従が慎重に声をかける。


「本日のご予定ですが、十時より財務卿との会談、十一時半より北方大使との昼餐がございます」

「財務卿との会談は午後のはずだ」

「予定表には十時と」

「昨日、変更した」

「変更の記録がございません」  


アルベルトは顔を上げた。


「アデライドに伝えた」  


再び沈黙が落ちた。  

これまではアデライドへ伝えれば、変更された予定が必要な者すべてに共有された。  

彼女が誰に、どの順番で、どのように伝えていたのか、考えたことすらない。


「財務卿へ使いを」

「すでに王宮へ向かわれております」

「北方大使は?」

「こちらも、先ほど正門を通られたと」  


アルベルトは窓の外を見た。  

逃げ出したいと思ったが、自分で選んだ結果である。


「財務卿を第二応接室へ」  


彼は深く息を吸った。


「北方大使には事情を説明し、しばらく待っていただく」

「どのような事情と?」

「予定の管理に失敗したと、そのまま伝えてくれ」  


老侍従は意外そうに目を見開いた。


「よろしいのでございますか」

「僕たちの失敗だ」  


アルベルトは書類の山へ向き直った。


「アデライドのせいにはできない」


正午を過ぎる頃、公爵邸へ王太子府から最初の問い合わせが届いた。  

北方大使の夫人へ渡す予定だった贈答品の保管場所を尋ねる内容である。  

アデライドは手紙を読み、引き出しから便箋を取り出した。


「お答えになるのですか」  


マリアンヌが尋ねる。


「わたくしが用意した品です」

「ですが、もう殿下の婚約者ではございません」

「贈答品が見つからなければ、王国の信用に関わります」  


アデライドは西倉庫の三番棚にあることを書き、封をした。  

二通目は午後に届いた。  

南方使節団の宿泊費について。  

三通目は夕刻だった。  

祝賀会で余った酒を、どの慈善院へ送る予定だったのかという質問である。  

そのすべてに、アデライドは返事を書いた。  

翌日は五通。  

その次の日には九通。  

質問は次第に細かくなっていった。  

青い札が何を意味するのか。  

東方大使の誕生日に何を贈る予定だったのか。  

来月の晩餐会では、どの貴族夫人を誰の隣へ座らせればよいのか。


「お嬢様」  


十七通目の手紙が届いたとき、マリアンヌが銀盆を机へ置いた。


「そろそろ、おやめになってはいかがでしょう」

「何を?」

「王太子府のお仕事でございます」

「質問に答えているだけです」

「答え続けていれば、いつまでも質問が参ります」  


アデライドは封を切った。  

今度は東方語で書かれた親書の翻訳を求めている。


「翻訳官へ渡せばよいでしょう」

「そのようにお返事なさいませ」

「ですが、東方の古い宮廷語が使われています」

「お嬢様なら、お読みになれる」

「ええ」

「だからこそ、王太子府はお嬢様へ送ってきたのでしょう」  


アデライドは親書へ視線を落とした。  

自分がいなければ困ると、分かっていた。  

実際、王太子府は混乱している。  

アルベルトも今頃、自分がどれほど多くの仕事を担っていたのか理解し始めているだろう。


「今回だけです」

「昨日も、そのようにおっしゃいました」

「国家間の問題を放置できません」

「では、婚約者でなくとも、王太子府の仕事を続けるおつもりですか」

「そのようなことは申していません」

「無報酬で働いてくださる便利な元婚約者になられるのでしたら、同じことでございます」  


アデライドの眉が動いた。


「言葉が過ぎます」

「失礼いたしました」  


マリアンヌは謝ったものの、親書を翻訳する道具を用意しようとはしなかった。  

アデライドはしばらく考え、便箋を取り出した。  

東方語を扱える翻訳官の名前を三人記し、そのうち一人へ依頼するよう書き添える。


「これでよいでしょう」

「賢明なご判断でございます」

「あなたに褒められる筋合いはありません」

「左様でございますね」  


返書を出した翌日も、王太子府から手紙が届いた。  

アデライドは封を開かず、送り返した。  

付箋には一文だけを記した。


『わたくしは、もう王太子妃ではございませんので』  


それ以降、問い合わせは来なくなった。


王太子府では、セシルが三日間ほとんど眠らずに働いていた。  

アデライドが残した記録を解読し、仕事の全容を把握しようとしている。  

しかし調べれば調べるほど、彼女一人に集中していた役割の多さが判明した。  

大使夫妻の好み。  

貴族同士の対立関係。  

王族の健康状態。  

地方から届く陳情書の優先順位。  

慈善院への寄付。  

晩餐会の席順。  

アルベルトの予定。  

書類を渡す順番から、紅茶を出す時刻に至るまで、彼女の判断によって動いている。


「これを一人で?」  


同僚の文官が呆然と呟いた。


「一人でなさっていたから、誰にも分からないんです」  


セシルは目の下に隈を作りながら答えた。


「能力が高いのは間違いありません」

「なら、戻っていただくしか」

「戻られなければどうするんです」  


セシルは帳面を机へ置いた。


「アデライド様が病に倒れた場合も、同じ混乱が起きたでしょう」

「だが、あの方は病など」

「人間です」  


セシルはきっぱりと言った。


「どれほど優れた方でも、一人の人間です」  


彼は仕事を五つに分けた。  

外交、宮廷運営、慈善事業、王族日程、貴族間調整。  

それぞれに担当者と副担当者を置き、すべての記録を共通の書式で残す。  

判断に迷った場合は、一人で抱えず定例会議へ持ち込む。  

最初の一週間は失敗が続いた。  

晩餐会の招待状に誤字があり、大使へ謝罪した。  

慈善院への送金が二日遅れ、セシル自身が馬車で届けた。  

アルベルトと財務卿の予定が重なり、双方に頭を下げた。  

それでも彼らは、一つ失敗するたびに記録を残し、同じ間違いを繰り返さない方法を作った。


「アデライドなら、このような失敗はしなかった」  


アルベルトが零したことがある。  

セシルは筆を止めた。


「はい」

「責めているわけではない」

「存じております」

「君たちは、よくやってくれている」  


アルベルトは乱れた机を見回した。


「ただ、彼女ならもっと上手にできた」

「アデライド様は、お一人で完成なさっていました」  


セシルは答えた。


「私どもは、全員で失敗して、全員で覚えております」  


アルベルトはその言葉を聞き、しばらく黙っていた。


「どちらが正しいのだろう」

「正しさは分かりません」  


セシルは苦笑した。


「ただ、私どもの方法なら、誰か一人が去ってもすべては止まりません」


一か月後、公爵邸への問い合わせは一通も届いていなかった。  

アデライドは朝食後、郵便物を確認した。  

王家からの正式な婚約解消文書。  

貴族夫人たちからの見舞い。  

領地からの報告。  

友人からの茶会の招待。  

王太子府の封印が押されたものはない。


「本日は、これだけですか」

「はい」  


執事が答える。


「王宮からの使者は?」

「参っておりません」

「そう」  


アデライドは新聞を開いた。  

社交欄には、昨夜王宮で開かれた晩餐会の記事が載っている。  

大きな失敗は報じられていない。  

新たに王太子府の文官となったセシル・ハワードの名もあり、若者たちが協力して宮廷事務の改革を進めていると記されていた。  

彼女がいない王宮は混乱している。  

そのはずだった。  

混乱していなければならなかった。  

アデライドは新聞を閉じた。


「マリアンヌ」

「はい」

「王宮の記事は、どの程度信用できるのでしょう」

「新聞社によるかと存じます」

「失敗を隠している可能性は?」

「ございます」

「そうでしょうね」  


アデライドは紅茶を口へ運んだ。  

香りも味も、なぜか薄く感じられた。


「王宮は、わたくしがいなくても困っていないように見せる必要がありますもの」


マリアンヌは何も答えない。  

窓の外では春の花が咲き、穏やかな風に揺れている。  

待っていれば、アルベルトは戻ってくる。  

その確信は、まだ揺らいでいない。  

ただ、戻ってくるまでに思っていたより時間がかかっている。  

それだけだった。
















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