第十七章 見つけた
三年という歳月は、王国から多くのものを奪い、同時に多くのものを作り替えた。
国王は王太子失踪の翌年に病で倒れ、第二王子レオナルトが摂政へ就いた。
王妃府は解体されることなく、セシル・ハワードを中心とした共同管理組織へ改編された。
かつてアデライド一人の頭の中に収められていた予定や人脈は、複数の台帳へ整理され、誰かが欠けても業務が止まらない仕組みが築かれている。
彼女がいなければ崩壊すると囁かれた王宮は、不格好ながらも立ち直った。
失敗する者はいた。
晩餐会の席順を取り違える者も、外国語の敬称を誤る者もいる。
それでも彼らは誤りを記録し、共有し、次の者が同じ失敗をしないよう話し合った。
王宮は完璧ではなくなった。
その代わり、一人の完璧さへ依存することもなくなっていた。
エリオット・ヴァレンは、その変化を横目に捜査を続けた。
アルベルトの遺体が見つかったのは、事件から八か月後である。
ライゼン離宮近くの森で土砂崩れが起き、古い狩猟小屋の跡から人骨が現れた。
衣服の留め具。
王家の紋章が刻まれた懐中時計。
治療記録と一致する左腕の骨折痕。
それらによって、遺体はアルベルトと断定された。
胸骨には、細い刃物による傷が残っていた。
離宮の温室を再調査すると、床板の継ぎ目から微量の血痕も見つかる。
当時の管理人は、王太子と会っていた女性の顔を見ていない。
ただ、その女性は左手で杖を持ちながら、階段を上る際には無意識に右足から踏み出していたと証言した。
身体の不自由な者ではない。
変装に慣れていなかっただけだった。
アルベルトの居室からは、覚書も発見された。
アデライドと会う。
偽造命令書の証拠を見せ、自首を勧める。
リディアには帰宅後にすべて話す。
たったの三行である。
それだけで、彼が逃亡したという筋書きは崩れた。
リディアの死も再調査された。
遺体に残る傷は、自らつけるには不自然な角度だった。
別荘で発見された金貨には、流通前に王国財務院で保管されていたものが含まれている。
ベルナール連邦の外交官が使ったとされる封蝋には、王妃府で保管されていた見本と同じ微細な欠けがあった。
そして手紙の端には、アデライドが文書整理に用いていた特殊な記号が、ごく薄く残されていた。
偽造の下書きを分類するため、本人だけが分かる印をつけていたのだろう。
一つひとつは、偶然と呼べるほど小さい。
だが偶然が同じ人物の周囲へ積み上がれば、やがて輪郭を持つ。
マリアンヌの証言は、その輪郭へ名を与えた。
それでも、アデライドの行方だけは分からなかった。
事件当日に王国を出た船は十九隻。
漁船を含めれば五十を超える。
乗客名簿には偽名が混じり、密輸船まで含めれば正確な数を把握できない。
公爵家の資産も調査されたが、コンラートは娘の逃亡へ一切関与していなかった。
アデライドが国外へ資金を移していた痕跡は見つかったものの、複数の商会を経由しており、最終的な送金先は霧の中である。
捜査本部は一年で縮小され、二年目にはエリオットと二人の部下だけになった。
国王の側近から、死者を追うより国境の治安へ人員を回すべきだという意見も出た。
エリオットは反論しなかった。
ただ辞表を出し、軍務から離れた。
王家の特別調査官という肩書だけを残し、私費で大陸の港を巡った。
西方諸国。
北の自由都市。
ベルナール連邦。
南洋へ通じる島々。
アデライドは目立つ。
美貌ではない。
能力である。
どこへ逃げても、無能な者を演じ続けることはできない。
帳簿の誤りを見つけ、非効率な組織を整え、困っている者を助け、やがて周囲から頼られる。
その痕跡を探せばよい。
だが同時に、彼女ほど慎重な人間が、自分の特徴を容易に晒すとも思えなかった。
三年目の春、エリオットは南方の港町で、一通の古い送金記録を見つけた。
王太子失踪の半年前、グランフェルト公爵家と取引のある商会から、セレーネ海洋都市の小さな陶器会社へ多額の資金が渡っている。
表向きは設備投資だった。
ところが、その陶器会社は送金の直後に解散していた。
資金を受け取った人物は、アデル・グラン。
出身地不明の未亡人。
名前を紙へ書いた瞬間、エリオットは椅子から立ち上がった。
アデルはアデライドの幼名として、公爵家内部だけで使われていた呼び名である。
グランはグランフェルトの前半を残したもの。
あまりに単純だった。
だからこそ、三年間、誰も気づかなかった。
エリオットはセレーネへ向かった。
青い海と白い石造りの建物に囲まれた都市は、エルミア王国とは別の季節にあるようだった。
街路には香辛料と果実の匂いが漂い、港では十を超える国の言葉が飛び交っている。
アデル・グランの名を尋ねると、誰もがすぐに知っていると答えた。
「銀帆商会の女主人だろう」
宿屋の主人が誇らしげに言う。
「立派な方だ。嵐で夫を亡くして、一人で商売を始めたそうだよ」
「どのような商売を?」
「穀物と薬草が中心だ。去年、島々で疫病が流行ったときは、薬を原価で売った。孤児院にも毎年かなり寄付している」
「評判は?」
「悪く言う者などいないさ」
予想していた答えだった。
エリオットは礼を述べ、次に銀帆商会を訪ねた。
港へ面した三階建ての建物で、倉庫と事務所を兼ねている。
受付の若者にアデルとの面会を求めると、現在は別の島へ出張中だと告げられた。
「いつ戻りますか」
「五日後の予定です」
「彼女の顔を確認したい」
エリオットはエルミア王国の紋章が入った身分証を見せた。
若者は警戒したものの、壁に掛けられた創立記念の肖像を指し示す。
十数人の従業員の中央に、一人の女性が立っていた。
淡い金髪。
青い瞳。
三年前より少し大人びているが、見間違えるはずがない。
彼女は誰の後ろにも立っていなかった。
王太子の隣でも、公爵の娘としてでもなく、自分が築いた商会の中心で微笑んでいる。
肖像の彼女は幸福そうだった。
偽りの表情には見えない。
「この方ですか」
エリオットが尋ねる。
「はい。アデル会長です」
若者は胸を張った。
「我々の恩人ですよ。会長が来るまで、この商会は借金まみれの小さな倉庫でした。帳簿を立て直し、船主と交渉し、三年でここまで大きくされたのです」
「すべて一人で?」
「最初はそうだったそうです。でも今は、部署ごとに責任者を置いています。会長は、自分に何かあっても商会が止まらないようにしろと、いつも仰っています」
エリオットは肖像を見つめ続けた。
彼女も学んだのだろうか。
王宮で仕事を独占した過去を捨て、今度は他人へ任せることを覚えたのか。
もしそうなら、なぜ罪だけは認められなかったのだろう。
人は変われる。
けれど変わった事実は、過去を消さない。
「会長が、何か?」
「確認したかっただけです」
エリオットは肖像から視線を外した。
「彼女が、本当にここにいるのかを」
外へ出ると、港に夕陽が落ちかけていた。
海面が黄金色に光り、帆柱の影が長く伸びている。
部下の一人が、通りの向こうで待っていた。
「どうでした」
エリオットは一度、目を閉じた。
三年間、違っていてほしいと思い続けた。
偽造命令書だけなら、追い詰められた末の過ちだったかもしれない。
アルベルトの死も、事故であってほしかった。
リディアの死に至っては、別の犯人がいる可能性を最後まで捨てなかった。
尊敬していた。
彼女が王妃となれば国は安泰だと、本気で信じていた。
だからこそ、見つけた喜びなどなかった。
「……見つけた」
声は、波音へ消えそうなほど低かった。
翌日、エリオットはセレーネ市政府を訪れた。
エルミア王国から持参した逮捕状、アルベルトとリディアの検死記録、偽造文書の鑑定書、マリアンヌの供述書を提出する。
都市政府は当初、著名な商人であるアデルを外国へ引き渡すことに難色を示した。
だが被害者が一国の王太子であり、証拠も揃っている。
協議の末、現地法に基づいて身柄を拘束し、公開審理で引き渡しの可否を決めることになった。
銀帆商会が所有する船の入港記録も調べられた。
アデライドは五日後ではなく、二日後に帰る予定だという。
情報を曖昧にしていたのは、商取引上の防犯対策らしい。
二日後の朝、港の監視塔から銀色の帆が見えた。
エリオットは現地の兵士十二名とともに埠頭で待った。
船から降りた荷役人へ確認すると、アデルはすでに小舟へ乗り換え、東側の桟橋から上陸したという。
「逃げたのか」
部下が剣の柄へ手を掛ける。
「いや」
エリオットは首を振った。
アデライドは追跡に気づいていない。
今日は孤児院の創立祭へ出席するため、混雑する中央港を避けただけだった。
市政府の役人が、彼女の予定表を差し出した。
午前は商会本部。
正午から孤児院。
午後二時、海岸通りのレストランで、共同経営者との昼食。
その後は別邸へ戻る。
「どこで拘束しますか」
現地兵の隊長が尋ねた。
商会には多くの従業員がいる。
孤児院には子供たちが集まる
別邸は高い塀に囲まれ、裏手から海へ出られる。
「レストランだ」
エリオットは答えた。
「正面と裏口を同時に押さえる。抵抗しない限り、傷つけるな」
「殺人容疑者です」
「承知している」
彼は海岸通りの地図を開いた。
「だが、彼女には王国で証言してもらう」
死んで逃げることも、誰かに殺されて物語を終えることも許さない。
何を考え、なぜ二人を殺し、なぜ自分だけが新しい人生を得てよいと信じたのか。
生きたまま、自らの言葉で語らせなければならなかった。




